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~師匠は患者さん~

私には治療に関して師匠がいません

 

鍼灸にせよ按摩、指圧にせよ師匠と呼べる存在がいないのです

師匠にあたるのは、これまで出会ってきた、そしてこれから出会うであろう患者さんになります

 

周りで活躍している鍼灸師の方々の多くは師匠がいるようです。
かつては師匠の内弟子になり技術を習得することが当たり前であった時代があるよう。大学病院麻酔科に入る際に鍼灸部門のトップの先生には「誰かを師事していますか?」と面接で聞かれました。そのときに私は「いいえ」と答えました。鍼灸師なのに師匠がいないというのはいかがなものか、というニュアンスを相手から感じたものでした。

 

社交ダンスに関しては師匠がいますので、師匠につくことがどのようなものかは理解しているつもりです。
おそらく特定の師匠がいた方が何かと助かる事でしょう。迷ったとき、悩んだとき、壁に当たったときに相談できる存在です。私の鍼灸専門時代の同期は師匠の跡を継いで鍼灸院をしている人もいます。師匠がいることで一つの大きな軸ができることでしょう。

 

勘違いして欲しくないのは、私にはたくさんの先生や指導者がいます。民間の整体学校に始まり、鍼灸、按摩、指圧、マッサージ、柔道整復と多くの優秀な先生に出会い、指導を受けました。またセミナーや書籍、更にはSNSの記事やテレビ番組からも大いに勉強し自身の技術や理論を高めてもらっています。何でも独学で我流であるということでは決してありません。

 

話を戻して、ではなぜ私に治療に関する師匠がいないのでしょうか。

 

理由の一つは、この先生に弟子入りして技術を学びたい!と強く思う人がいなかったこと。
程度に差はあれ、たくさんの先生や講師に出会い授業や指導を受けてきました。たくさんの専門学校を出ましたし、職場もリラクゼーション店から鍼灸整骨院、クリニックに病院と渡り歩いてきました。各場面で勉強になる先生、先輩、更には同僚や後輩がいました。
ですが、何が何でもこの人についていきたい!という存在には出会いませんでした。それは次の理由に繋がります。

 

二つ目の理由は私が求める将来像に合う人がいなかったことです。
私は現在、開業しています。特に社交ダンス選手、更には学生競技ダンス連盟(学連)の選手に力を入れています。もともとこの世界に入ったのは学連選手のケアをしたいという想いからでした。そしてそのようなロールモデルとなる人間はいなかったのです。スポーツトレーナーや治療家で競技ダンス選手をみている人、元競技ダンス選手の鍼灸師さんがいることは知っていましたが、私が求める治療家像に合致する人はいませんでした。
正確にいうと私が求める治療家像がどんどんと変わっていったからなのですが。あることができるようになると、もっと他にできた方が役に立つだろう、という風に理想が高くなっていくのでした。

 

師匠を持つことの良さは何となく分かっています。反対に師匠がいないからこそ貪欲に視野を広げられたとも言えます。

 

民間の整体学校で習得した技術(それに拙い知識)を使って母校の後輩たちに施術すると喜ばれました。
これがしたかったことだ、と最初は満足したものです。
しかし段々と求められる要求が高くなってきます。腰が痛い、足が痛い、肩が痛い。リラクゼーションはできても痛みに対処できない。鑑別もできなければ処置もできない。病院を薦めていいのかも分からない。このような状況に陥ります。
この頃、腰部ヘルニアの後輩がいて、それを見過ごしてしまい、結果その後輩はヘルニアの悪化により選手生活が継続できなくなりました。今でも後悔しています。これではいけないとあん摩マッサージ指圧師の国家資格を取らなければいけないと次の専門学校に進学することを決めます。

 

徒手療法である、按摩マッサージ指圧が重要で、ついでに鍼灸の資格を取ることにした私には鍼灸という技術はどうでもよいものでした。競技ダンスの大会会場では鍼灸をすることは現実的ではなく、徒手で行える技術こそが必要だったからです。鍼灸マッサージ科(本科)の学生時代には臨床現場で後輩から沢山の事を学びました。学校で習ったことを試し、仮説を立てて立証する。その繰り返しでした。あの3年間があるからこそ、今こうして独立していられます。まだまだ低いレベルの技術と知識に付き合ってくれた後輩たちは師匠でした。

 

時間は進み、鍼灸師あん摩マッサージ指圧師の資格を取って鍼灸整骨院に就職しました。
そこで好きではなかった鍼治療を嫌でもすることになります。当時の院長は祖父も父も鍼灸師という3代続く鍼灸師の家系のひと。鍼師なのだから鍼治療をしろ、という当然の考えでした。院長からは経絡治療の基本を習いましたが他に何かを教わった覚えがなく、昔ながらの「技術は盗め」という感じでした。トップがそうでしたから先輩鍼灸師の方々からもさほど教わることもありません。
一番は教えてくれたのはやはり患者さんでした。
あまり勧めたくもない鍼をして(本当に当時の患者さんには失礼な話ですが)まぐれで効果が出て喜ばれる。その体験が「鍼治療は凄いのかも」と思うきっかけでした。学生時代に鍼が効いたと思ったためしがなかったですし、積極的に鍼を受けることを拒否していた私にとって、鍼治療というものを教えてくれたのは職場で私の鍼を受けてくれた患者さん達だったのです。
そこから競技ダンス選手にも鍼灸が有効だと考えるようになり、本気で鍼も灸も勉強し練習し臨床に挑みました。「先生の鍼で本当に楽になったの」と患者さんに泣かれたことも、「鍼をされて頭痛がひどくなった」とクレームを受けることも、鍛えてくれたのは患者さんであり臨床現場でした。後に教員養成科に進んで更に鍼灸を学ぼうと決める遠因でした。

 

整骨院であるので当然ながら外傷患者さんが訪れます。鍼灸師だから知らない、という態度を院長に咎められて外傷に向き合うようになりました。そして競技ダンス選手がケガしたらどうする?という気持ちに。
実際に後輩が競技会中に足を挫いて競技を辞退した経験がありました。また競技会中に肩が外れた後輩をただ見ているだけということもありました。
これは外傷の応急処置もできなければいけないと考え柔道整復師の学校に通うことを決意します。午前中は柔道整復師専門学校、午後は鍼灸整骨院という生活でした。学校で学んだことを現場で復習し更に理解を深める。教科書通りの事、そうでないこと、実際の患者さんの様子など教えてくれたのはここでも患者さん。

 

この頃になると美容、不妊、骨格矯正など多岐に渡る分野や技術に興味があり、色々と手を出しました。院長に「お前は何がしたいのか分からない」と苦言を呈されました。ですが私の中では「これは患者さん、競技ダンス選手のためになる」というものを選んで学んでいたので迷いはありませんでした。反対にエコーの読影を同僚が勉強していましたが、それは医師に任せればいいだろうと興味を示さなかったものです。


当時の上司である院長が師匠であれば、経絡治療をもっと深めて一緒に黄帝内径(鍼灸のバイブルのような存在である古典)を読もうという話に従っていたことでしょう。
私自身が<このようなことができたら目の前の患者さんや競技ダンス選手のためになる>ということを追い求めることができたのは、特定の師匠がいなかったからだと思います。

 

更にクリニックや病院勤務という経験、教員養成科で多方面の知識と技術習得があり、今日に至ります。
教員養成科では各部門のトップに位置する講師が授業をしてくださり大いに成長させてくれました。クリニックと病院では医師と仕事をすることができて更に高い意識で仕事をすることができました。
それでも師匠と言えるのは、目の前にいて私の治療・施術を受けてくれる患者さんであることは変わりません。そして患者さんのために新たな勉強をすることも変わりません。特定の師匠がいない分、フラットな気持ちで勉強できると言えます。

 

今後、この人こそ私が求める完成形の治療家だ!という人に出会うかもしれません。そのときは素直に師事することでしょう。
それまでは、患者さんが師匠です、と言うようにしています。

 

甲野 功

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