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~谷祐二・さとみ組~

先週の京都旅行の目的の一つは谷祐二・智美(さとみ)先生の二人に会うことでした


二人は現在社交ダンスのプロダンサーとして活躍する、大学の後輩です。現役選手としては2組しかいない両方後輩にあたるペアなのです。二人が京都に移住してからは一度も姿を見る機会がなく、京都で再会できることを楽しみしていました。

 

二人との関係は私の成長ともリンクします。

 

リーダー(男性)の谷祐二先生は私の孫代の孫代に当たります。
私たちが出た学生競技ダンス連盟(学連)の業界用語のようなもので、自身が4年生のときの1年生を「孫代」と呼ぶことがあります。大学生なので最上級生と最下級生の関係ですね。1年生からすると2年生が兄代・姉代、3年生が親代、4年生が神代と言う習慣があります。4年生からだと1年生が孫代、2年生が子代、3年生が弟・妹代となります。


当時の、私たちが所属した東京理科大学舞踏研究部は、4年生と1年生の繋がりが強く4年生が1年生を指導し育てることが伝統でした。


私が4年生のときの1年生(つまり私からみて孫代)を、全力で育成しました。その孫代が最上級生の4年生の時に入部したのが谷祐二先生。同様に当時の4年生に育てられました。私とは隔世遺伝のような関係になります。


彼らは4年生の時に東京理科大学舞踏研究部の全盛期を作ります。冬の全日本戦において団体3位、8種目中6種目ファイナル入りという記録を打ち立てるのです。そのときの黄金世代を担ったのが谷祐二先生であり、本人も冬の全日本ファイナリストでした。

 

パートナーのさとみ先生はリーダーの祐二先生の1期上の先輩になります。
私からみると子代の孫代になります。私が3年生のときの1年生、この世代は今でもプロで活躍しています。三森秀明、酒井良美、杉野貴史、染谷修平といった、現役プロダンサーをしている世代。彼らが4年生の時に1年生だったのがさとみ先生の世代なのです。


さとみ先生たちが4年生の時に、私の世代では宿願だった東部1部校昇格を達成します。東部1部校とは東部日本ブロックの大学で12位以内に入るということ。言い換えれば1軍です。
私が入部したころの理科大は東部18位以内に入って夏の全日本選抜に行くことすらギリギリの位置にいました。1部校昇格は夢のまた夢という時代。何年もかけて成績を上げていき、さとみ先生世代がやっとやってくれました。


二人は2部校から1部校に這い上がる時期を過ごした先輩後輩の間柄です。

 

この頃に私はサラリーマン生活に終止符を打ち、今の業界に入る決意をします
麻疹で入院という病気が引き金でしたが、もっと母校の後輩を強くしたいというのが一番の理由でした。谷組の二人は私がサラリーマンだった時代を知る最後の後輩と言えます。

脱サラをして整体学校に入り一から勉強、技術習得を過ごしながら、ダンスの練習と今に繋がる技術体系の研究をしていたときに大学生だった二人。私に何もなかった頃(知識も技術も経験も資格も持ち合わせていない頃)、OBと現役生という関係でしたが、私の中では同時期に成長していたと思っていました。

 

学年が違うため各々別の相手と大学時代は組んでいた谷組。二人とも大学を卒業してからカップルを組み、アマチュア選手として活動を始めます。祐二先生は一般企業、さとみ先生はダンス関連の職場に。


その頃私は鍼灸マッサージの専門学校を経て国家資格を取得、東京都北区十条の鍼灸整骨院で働いていました。都内、都内近郊で競技ダンスをする人ならば富士学院は有名なダンスの練習場です。そこがあるのが十条。当時も今も競技ダンサーが集まる土地です。競技ダンサーのケアをしたくて就職先を十条にしました。そして競技ダンスに専念できる環境を求めて十条に移り住んだ谷組。互いに大学卒業後も同じ生活圏にいました。

 

二人とも当時私が勤めていた職場に来院したことがあります。そして二人の重要なアマチュア戦(A級昇級がかかったB級戦競技会)に私がサポートで帯同したこともありました。その頃の私は国家資格を取り、実績を残すことに集中していた新人時代。その当時にアマチュア選手として活躍していた二人に、大学の先輩だけでなく治療家として接することが、大きなステップアップの経験になりました。

 

ほどなくして私が結婚することになり、披露宴に二人が出席することになりました。新郎側の受付もお願いしたものです。大学のダンス部で披露宴に呼んだ後輩は3名だけであり、世代が遠いにも関わらず特別な関係でした。

 

その後谷組の二人も結婚し、お世話になっていた山本先生の元でプロ選手になることを決意します。すなわち京都への移住することに。
二人が所属するのが京都駅からほど近い山本善洋ダンススクール

最も世界で活躍した日本人選手の一組に挙げられる山本善洋・英美組のスタジオです。特に山本英美先生は今も昔もキンタロー。さんの師匠であり、現在のTBS「金スマ社交ダンススペシャル」では総監督として有名です。


谷組の二人は東京から新天地である京都に移住しプロ選手としての活動を始めます。それと同じくらいの時期に私も約4年過ごした十条の職場を去り、クリニック鍼灸マッサージ教員養成科入学といった新しい環境に身を移していきます。

 

二人がプロになってからは会うことが無くなり、二人のダンスを見る機会もありませんでした。東京と京都の地理的な差がありましたし。関西ではA級選手として活躍しているようだ、という噂を耳にするくらいでした。学生は夏の全日本選抜戦を大阪で開催するのですが、そこで当時の現役生が谷組に会場で会ったという話を聞いたのが具体的なことでした。

 

それが今年の春に意外な所から谷組のことを聞くことになりました。


春休みの時期に岡山大学の競技ダンス選手が私のところに来院したのです。岡山から東京に出てくる用事があり、学連選手をみていることを知っていたので来てみたいということでした。とても光栄でした。
その選手との会話の中で、岡山なら京都の方がこちらより近いから谷組を知っているかと思い尋ねると、好きな注目選手です!という反応。まさか私の後輩とは予想だにしていなかったようで大変驚いていました。てっきり関西出身の選手だと思っていたとのこと。


私としても後輩が岡山大学の学生に注目されていることを東京で知るとは予想もしていなかったので驚きました。関西圏で本当に活躍しているのだと間接的に知ることができました。
その時に京都に行って会いにいこうと決めたのです。

 

色々あって7月に職場で二人にやっと会うことができました。
コーチャーとして生徒に指導している姿を見たときに、大学1年生の頃を知っているので親のような気持ちになりました。それと同時に二人が大学生で部活としてダンスをしている頃、私はまだサラリーマンだったことを顧みます。

 

後輩の成長と自身の成長が重なるものがあります

 

谷祐二先生の「できるなら死ぬまでダンスで飯を食っていきたい」という言葉が私の心にも響きました。自分も一生治療で食っていくことになるだろう、と。

 

京都日帰り、再会の旅は己の歩んだ道を見直すものになりました。

 

甲野 功

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