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~キメハラについて考える~

鬼滅の刃 0巻 吾峠呼世晴
鬼滅の刃 0巻 吾峠呼世晴

 

毎日たくさんの「鬼滅の刃」関連のニュースが出てきます。

 

前回も書きましたが新型コロナウィルスで経済が疲弊した映画界、それどころか日本、更には世界にも影響を与えかねない鬼滅の刃の映画と鬼滅の刃コンテンツ。色々な偶然とクリエーター達の必然が重なった令和時代最初のブームと言えるでしょう。

 

そこで出てきた新しいワード、「キメハラ」。これは「鬼滅の刃ハラスメント」の略だそうです。

 

興味がない人に

鬼滅の刃面白いよ!見ないと!

まだ見ていないの?時代に乗り遅れるよ!

人生損しているね

など鬼滅の刃に興味を持つように強要することだそう。

あるいは聞きたくもないのに関連ニュースが聞こえる、目に入ってくるというものや、反対にあんな残酷なアニメが好きだなんておかしいんじゃないと愛好者をバカにするような態度も入るのだとか。

 

何でもハラスメントにすればいいというわけではないという意見(というか本当に社会的問題となるハラスメントの深刻さが薄まってしまうという懸念)もあります。

 

とにかく「鬼滅の刃」が大ヒットしているからこその新ワードでしょう。

キメハラとは、いわば同調圧力というものでしょう。

みんなが楽しんでいるのだからおまえも右にならえ。空気を読めよ。一緒になろうよ。

そういうことで、それが不快に感じる人がキメハラという言葉(概念)を生んだのではないでしょうか。

 

「鬼滅の刃」に限らず、大ヒットがあればなんにでも起こりうる現象であり、小さなコミュニティーでもあることでしょう。クラスのお友達がみんなバレエを習いだしたから、やりなくないけれど同じバレエ教室に通っている。家族みんなサッカーが好きなので合わせるために義務感でサッカーを観ている。こういうことはあるのではないでしょうか。

 

そもそも私も長女が練る前にずっと鬼滅の刃に出てくるキャラクターの話をしてくることがありました。

カナヲちゃんはね・・。ハシラの中でもはギユウさんが・・。コチョウシノブさんは美人で・・・。

一体何を言っているのか分からないのですが、邪険に扱えず眠いなか相槌をうっていました。目を輝かせて夢中になって語る長女の顔をみると知らないから話をするなとは言えません。これも一種のキメハラでしょう。

 

凄く人気があるということは耳にしていたので、これは読んでおくかと決心して原作コミックを買いだしたのが春先でした。段々と社会現象になっていることも分かってきたので社会勉強と割り切りました。

 

映画公開によりそのブームが更に大きなものになりました。子どもと水道橋のジャンプショップに行くと、そこには「鬼滅の刃」グッズがたくさんあります。子どものためにいくつかグッズを買いましたが関連商品は山の様にあり、まだまだ増える一方。

夏が終わる頃には次女の保育園ではみんな「鬼滅の刃」ごっこをしています。リズムダンスの曲はアニメの主題歌。最近では映画の主題歌を先生がピアノで弾けるように練習しています。地域限定のキーホルダーをカバンにつけて行けば周りからスゲーと言われています。その勢いはドラえもん、ポケモン、プリキュアの比ではありません。

保護者もキメハラという表現ではありませんが子どものために「鬼滅の刃」を勉強しないといけなくなっている感じです。小学校の担任や保育園の先生も。

 

このような現象をみたときに懐かしい感覚に襲われるのです。

 

それは私が子どもの頃、1980年代の日本の日常はこういう感じだったと。

 

私は1977年生まれ。物心つくのが3~4歳だとして1980年頃。小学校6年生のときが1989年。80年代とは物心がついて中学校にあがるまでの10年間になります。今の娘たちの年齢でした。この頃の日本は同調圧力だらけでした、現在と比べると。

右にならえ。国民総中流。

そういう時代でした。

 

個人的な体験として象徴的だったことが野球です。

 

80年代は少年は野球をするのが当然のこと。男の子はみんな野球ファンである。そうであれ。そういう同調圧力が厳然とありました。特に巨人全盛で私の生まれ育った地域はそばに後楽園球場(まだ東京ドームはできていない)があったので本拠地とする巨人の人気が強かったです。東京ドームができるにあたり、小学生が巨人軍のエースとなる(現実ではもちろん不可能な)マンガ、アニメができました。

 

私が小学生の頃、男の子のほとんどが野球をやっていました。そして野球の能力がその人の価値であるような。

私は球技全般が苦手です。運動神経がいい方では無いのですが道具を扱う運動が特に苦手です。山登り、水泳、幅跳びはそこそこできましたが球技はどれもダメ。このような男の子にはとても生き辛い時代でした。

 

「お前はどこファン?」と聞いてくるやつ。プロ野球ファンであるのは前提条件でどこの球団のファンなのか、を聞いてくるのです。しかもジャイアンツ以外の球団を挙げると馬鹿にしてくるという。

放課後校庭で遊ぶときも野球をするのが当たり前で、学年が下の男の子にボール投げてと言われて投げたところ、「使えねえや」と言われる。大して話したこともない年下に投げるボールの速さだけで値踏みされる屈辱

 

本当に苦痛でした。今風に言えばジャイアンツハラスメント、略してジャイハラでしょう。今では信じられないかもしれませんが当時は普通の光景でした。

 

この時の恨みがあり、私は傲慢なプロ野球ファンが今でも大嫌いです。

断っておきますが野球そのものが嫌いとか野球ファンが嫌いということはありません。“傲慢な”という形容詞がつく野球ファンが嫌いなのです。あの当時、弱くても必死に応援する阪神ファンは好感が持てました。周りの気持ちを顧みず自分たちこそが王道でありみんなそうであると妄信している野球ファン(特に巨人ファン)が嫌いなだけです。

4番バッターが三振すると、巨人が負けるとテレビのチャンネルを変える。そして機嫌が悪くなり周囲にあたる。みんな巨人が好きに違いないよね、と思い込んでいる。そういう人々。

そんな人いるわけないでしょう、と思うかもしれませんが当時の私の周囲にはたくさんいました。勝てないと怒りだすってそれはファンじゃないよね、と子供心に思っていました。負けが込んでいても必死に六甲おろしを歌う阪神ファンが本来のファンでしょう、という気持ちを持っていました。

 

今では野球のルールすら知らないという若い人も珍しくないでしょう。テレビの地上波で試合が流れることは稀ですし、若い人はテレビをあまり観ません。私がテレビで野球に関することを見るのは高校野球か野球好きの中年芸能人が話題に挙げているときくらい。それも言ってもわからないよね、という前提で話しています。

 

シーズン中は毎大会ゴールデンタイムで巨人戦を生中継し、次の番組を後ろにずらして延長放送していた時代でした。ただの練習合宿に過ぎないキャンプに毎日女子アナウンサーが取材にいって中継していました。今となっても信じられないことですね。

このような80年代。そこかしこに同調圧力は溢れていました

 

女は家庭に入って家事育児にいそしむのが幸せだ。

デートでは男が全額支払うべき。

一流大学を出て一流企業に勤めて社内結婚して郊外に一軒家を建てる。

クリスマスケーキと一緒で25を過ぎた女性は価値が激減。

 

現在であれば許されないようなことを平気で言っている時代。私が子どもの頃は1月4日の仕事始めに銀行の女性行員は晴れ着で出社していました。晴れ着に髪を結って化粧をして下駄。これでまともな仕事ができるはずもないですし、する気もさせる気もないでしょう。自社の女性社員はコンパニオンとして扱っていた。今だったら完全にセクハラですね。

 

このような男性優位の社会でありました。力の強いもの、声が大きいものの意見がまかり通りマイノリティーは目立たないように耐え忍ぶ。差別しているという感覚も概念もほぼ無かったと思います。

 

キメハラという言葉は、ブームになったらそれを誰にでも強いることはよくない、という防衛本能や過去の教訓が生んだ言葉かもしれません。実感がないだけで「鬼滅の刃」を勧めることは差別、暴力、不快な気持ちにさせることがありますよと。

 

一方、別の見方もできます。世間は一体感を求めているのでは?という。

 

80年代はまさに老若男女、子どもからお年寄りまで同じコンテンツを見ていた時代でした。テレビが一家に一台かあって二台。ビデオデッキも完全に普及しておらず録画が簡単ではありませんでした。予約録画も最初はできなかったのでリアルタイムで視聴しながらビデオテープに番組録画をしていたのです。もちろんアナログ方式ですから一度に録画できる時間は2時間くらい。ハードディスクで数千時間録画可能など夢のような話。一台のテレビをリアルタイムで家族で視聴する時代でした。

 

今のようにスマホ、タブレット、パソコンと一人一人見る媒体を持っていることはないのです。全員が揃って同じコンテンツを見るのです。そうなるとゴールデンタイムの番組は家族全員同じものを見ることになるので共通の話題が生まれます

 

今の20~30歳くらいで80年代のヒット曲が大好きという人がいるそうです。国民的ヒットというものを経験していないため80年代の誰もが知っていて熱狂していた時代が羨ましいのだと。確かに私が子供の頃は松田聖子を誰でも知っていたし、みんなプロ野球巨人戦を観ていて、学校のクラスでは「俺たちひょうきん族みた?」と会話していました。

 

令和の現在では誰もがみる番組はほぼありません。若い人はYouTubeをみて半沢直樹をみません。左遷って何?というか。

中高年にはヒカキンもはじめしゃちょーもフィッシャーズも誰だか分かりません。

国民誰もが話題にできるのはスポーツの国際大会で大活躍する競技くらいではないでしょうか。昨年のラグビーワールドカップとかフィギアスケートの羽生結弦選手とか。

 

このような時代ですからみんなが話題にできるコンテンツを求めているのではないかと。

本来ならば開催されていたはずの東京オリンピック・パラリンピックは延期となりました。スポーツの国際大会はほぼ開催できていません。オリンピックがあればみんなが夢中になったことでしょう。

 

メディアで人気!と話題にしても30年前に比べれば非常に小さな規模での注目です。若い人は無数の選択肢から見つけることが楽しさになっているようです。

先日公園に子どもを連れて行ったときに知らない小学生くらいの集団が「鬼滅の刃」について知識を披露し合っていました。5名くらいいたでしょうか。共通の話題があるというのも珍しいことだと言えます。

 

 

新型コロナウィルスで東京オリンピックが延期となった今年。人との交流が大いに制限されてきました。その時にみんなで話題にできるものとして「鬼滅の刃」が注目され、昔のような同調圧力を避けたい気持ちが「キメハラ」なる言葉を生んだのでは。そんな考えが浮かびました。

 

甲野 功

 

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コメント: 2
  • #1

    中村 尚能 (水曜日, 18 11月 2020 21:28)

    先日の治療院での講義に参加させてもらったもの(関西学生)です。

    言葉を文章にして起こすことは重要でそれはブログ作成等の様々なアプローチでSNSを活用して上で更にその重要性は高まると思っていてます。そのため先ずは日記という形でけいたのメモ帳に文章を作成していました。講義が終わり関西の方に戻ってからブログを立ち上げみようと思いブログの内容を参考に出来る人を考えたときに甲野先生が良いなと思いましたので今後もブログを拝見させてもらいます。
    キメハラについて私も考察した文章を作成したことがあり、こちらの記事にコメントを残させてもらいます。 先日の講義の際は大変お世話になり、ありがとうございました。

  • #2

    甲野功 (水曜日, 18 11月 2020 23:08)

    中村さん
    コメントありがとうございます。そして先日は遠いところからお越し頂きありがとうございました。
    中村さんの文章を拝見したいです。完成したらお知らせください。