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~東日本大震災から10年~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 10年前4月の風景
10年前、2011年4月の外堀

 

 

2021年3月11日。あの東日本大震災から10年が経ちました

 

振り返れば早かったかもしれません。

東北ではまだ終わったことではないでしょうし、少し前には東日本大震災の余震とされる大きな地震が起きました。東京でもかなり長い時間揺れました。10年前のあの日がまだ続いていることを東京にいても思い知らされます。あの東日本大震災とそれからの日々は心境も環境も大きく変える出来事であり、今でも忘れず心に残っています。

 

2011年3月。2009年12月に結婚式を挙げ、翌2010年の夏に新婚旅行へ。2011年1月末にあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師の国家試験を終えて新卒として入った当時の職場を去りました。約4年間、ルーキーから育ててもらった職場。当時柔道整復師科3年生の私は柔道整復師として新しい環境で研鑽を積みたいと願い、3月の柔道整復師国家試験を前に退職していました。激務といってよい環境から勉強に専念できることになり、同級生と勉学に励む日々でした。4年前にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家試験を経験していましたから、余裕とは言いませんでしたがかなり落ち着きを持って本番に臨みました。鍼灸師国家試験の後は体力が限界で同級生と食事に行くことができませんでしたが柔道整復師国家試験のときはみんなで学校に戻り自己採点をし、新宿で餃子を食べて解散したものでした。あの時の解放感とこれから柔道整復師として整形外科で働くのだという希望がありました。

 

国家試験が3月最初の日曜日。少しゆっくりしようと就職活動は控えて、妻が当時働いていた職場で臨時アルバイトをしていました。国家試験が終わって1週間も経たない金曜日の午後。アルバイトをしているときに、大きなそして長い揺れに襲われます。あまりに激しい揺れで隠れた机が浮くかと思いました。人生で初めてもうダメかもと感じた瞬間でした。

 

そこから日常は大きく変わりました。

 

当日は携帯電話が繋がらなくなります。直後はラジオもだめでした。交通機関が麻痺して大量の帰宅難民が生まれます。幸いなことにいた場所は歩いて自宅に帰ることができる距離でした。早退して帰宅しました。途中初めて目にした東京理科大生の避難。週末の金曜日、東京では大勢の帰宅困難者を生みます。そして東北では地震直接の被害よりも津波という更なる災害が起きており、夕方からのニュースで映像が流れ始めます。テレビ番組は全て震災報道に切り替わり、地震、津波、火災とどんどん情報が出てきました。

 

2011年3月11日の夜は色々な感情が入り交じり床に就きました。夜中余震で目が覚めます。もともと下痢になりやすいところで心理的ストレスのせいか夜中にお腹を下して苦しみました。

 

日が明けて3月12日。東北の状況が大変なことが判明してきます。被害の全容も掴めません。テレビから流れてくる報道をずっと見ていることに。各種鉄道は運転再開を始めたようでした。そこから色々なデマや美談、情報が錯綜します。噂レベルだった原子力発電所が危険という情報が真実味を帯びてきます。水素爆発をして建屋が吹っ飛ぶ映像が流れ、放射線が出るということが現実に。当時、多くの国民は放射能と放射線、ベクレルとシーベルトの違いもよく分かっていませんでした。知識が乏しいがゆえの恐怖・不安に拍車をかける。これは今でも変わりません。

 

揺れによる被害だけでなく、津波、火災という目に見える被害以上に原発事故という目に見えない災害が重くのしかかります。確認できる被害が無いにも関わらず非難を余儀なくされる原発近隣の住民。物理学を学んだ者としてとても心が苦しくなりました。原子力発電というのは理論上核分裂をコントロールして熱量を生み出すものであり、瞬間的に行えば原子爆弾となります。

 

東京では電力不足が現実問題として直面することになり計画停電が実施されることに。私の住む新宿区は対象外でしたが停電は現代社会に大きな苦痛となります。節電、自粛が叫ばれ、記憶では昭和天皇崩御のとき以来の自粛活動。テレビは報道だけでCMもありません。電気が消えて現実的にも心理的にも東京が暗くなりました。多くの外国人が帰国しました。私は3月末に鎌倉に一人行きましたが、普段は観光客でごった返している小町通りが閑散としていたことを記憶しています。

 

これから日本はどうなるのだろう。自分の暮らしはどうなるのだろう。柔道整復師専門学校の卒業式が中止となり、謝恩会委員だった私は謝恩会の開催中止を決定しました。けじめもつかない、就職活動もままならない。宙ぶらりんの状態で3月が終わりました。

 

4月になると状況が動き始めます。就職活動が上手くいき新宿区内のクリニックで働くことが決まります。それまでに何件か整形外科に落ちた結果。有事の際に歩いて帰宅できる距離の職場が見つかりほっとしました。後に職場の大きな問題が発覚し1年で去ることになるのですが、この時期に体験したことは大きかったです。

 

3月11日。実家に戻ると家の中は大変なことになっていました。しかし当時町会長だった父は自宅の片づけを後回しにして町内の状況を確認に出ていました。母校の中学校は避難所となり多くの住民が余震を恐れて体育館に集まったと言います。このときのことが地域に根付こうという想いを強くしました。それまでそこまで愛着がなかった地元というものに。働く場は歩いていける距離がいいと考えるようになります。

 

ある整形外科病院で就職面談をしたのですが、そのときの相手は理事の人でした。つまり病院の現場ではなく経営側の人。その人にその年齢、国家資格であれば独立して開業することを本気で考えなさいと言われます。就職活動は落ちますが、するどい助言で開業することを真剣に考えるきっかけとなります。そして開業するならば以前は人通りの多い神楽坂がいいと思っていたのですが、東日本大震災を経験して生まれ育った町内でするという気持ちが芽生えます。

 

このときの気持ちというか決意は数年後に現実のものとなっていきます。東日本大震災からの復興と同じように新しい環境を作っていったと言えます。

 

生きているだけで幸運だったから前を向いて進んでいこうという気持ちに。

頑張ろう日本、頑張ろう東北。合言葉でした。

 

10年経ってまた困難に遭遇しています。東日本大震災とは違う新型コロナウィルス。日本だけでなく全世界が。目に見える災害ではなく、目に見えないウィルスとの闘い。新型コロナウィルス感染が広がってから1年が経過してワクチン接種という対策方法が見えてきました。10年前に世界からもう日本はだめだと言われ、かつて世界第二位の経済大国だった国は世界第二位の経済支援国であった時期がありました。2021年は違った困難で経済的打撃を受けています。そして今回は海外の支援がありません。それでも10年前の大災害から生き延びた我々は負けずに戦わないといけないのでしょう。10年という区切りで決意を新たに。

 

甲野 功

 

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