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~神社の陰陽勾玉巴を求めて~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 陰陽勾玉巴の社紋
陰陽勾玉巴の社紋

 

 

鍼灸師が絶対に学ばないといけない科目に東洋医学概論があります。先月末に国家試験が行われましたが東洋医学系の問題は曲者で難度を上げる要因の一つになっています。東洋思想をベースに構築された技術体系である鍼灸は時代が進むにつれて現代医学の要素も取り入れつつも東洋医学としての立ち入りを守り続けています。卒業後は鍼灸師各々の技術を習得することになるのですが、根幹にある東洋医学、東洋思想は知っておかないといけません。

 

東洋思想の基本中の基本に陰陽論があります。万物は陰と陽の2種類に分類することができ、それは相対的である。絶対の陰も絶対の陽も存在せず、変化しうるもの。このような思想、考え方があるのです。それを視覚的に示したのが陰陽太極図。誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。韓国の国旗にデザインされ、サーファーに人気のあるブランドにも使われています。

鍼灸師であるからかもしれませんが私は陰陽太極図に思い入れがあります。これを見ると、お!っと注目してしまいます。

 

本当に偶然ですがこの陰陽太極図を社紋にしている神社があることを知ります。それも近所に。

神社巡りが好きですし調べることも苦にならない私は、是非この社紋をこの目で見てみたい、そしてなぜこの模様を採用しているのかを知りたくなりました。そこで現地調査をした内容をここに書いていきます。

 

まずは四谷三丁目にある四谷於岩稲荷田宮神社へ。

 

神社と御朱印 四谷於岩稲荷田宮神社

 

場所は東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅から徒歩10分弱。偶然にも鍼灸の専門学校でもある新宿医療専門学校のそば。また近くには慶応大学病院(大学内で鍼灸の研究をしている)があります。社紋を正式には『陰陽勾玉巴』と言います。鍼灸師にお馴染みの陰陽太極図とはデザインが同じですが別物です。家紋としての呼称です。調べると古くから登場する家紋で、公家、武家の家紋の他に神社の神紋など非常に多く使用されているとのこと。この陰陽勾玉巴が社紋であるのは田宮家の家紋であるからです。順を追って説明しましょう。

 

四谷於岩田宮神社がある場所は四谷左門町といってかの有名な四谷怪談に関連する場所なのです。この土地には江戸時代に幕府の御先手組同心である田宮家の武家屋敷があり、神社は田宮家の邸内社として奉斎されていました。

 

ここからはサイトにある解説(御由緒)を抜粋して引用しましょう

(前略)

 

田宮家初代・又左衛門の娘・お岩はこの社を篤く信仰しており、田宮家の養子である夫・伊右衛門とは仲睦まじい夫婦であったという。また薄給であった夫を支え、商家に奉公に出るなどして家勢を再興したといわれる。

 

お岩は1636(寛永13)年に逝去したが、近隣の人々は田宮家復興が邸内社の御利益にあるとして「お岩稲荷」と呼び信仰する者が多かった。評判の高まりを受け、田宮家内でも邸内社の傍らに小祠を造り「お岩稲荷」と名付けて崇敬したという。また、邸内社であるにも関わらず参詣を望む者が後を絶たず、ついには一般町人にも参拝が許可された。

この頃には「於岩稲荷」「大巌稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」など様々な呼称があった。

 

お岩が没してから約200年後の1825(文政8)年、四世鶴屋南北作の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」が江戸中村座で初上演されると、江戸市中で根強い人気があった当社はさらに多くの参詣者を集めたといわれる。1870(明治3)年頃「於岩稲荷田宮神社」と改称された後、1879(明治12)年に左門町内の火災により社殿が焼失した。この時、「東海道四谷怪談」を得意とした初代市川左團次からの「芝居小屋の近くに移転してほしい」という要望もあり、左團次から土地の寄進を受け遷座した。これが現・中央区新川2-25-13の於岩稲荷田宮神社である。

 

1931(昭和6)年、四谷左門町の「於岩稲荷田宮神社跡」が東京都史跡に指定されるが、1945(昭和20)年の空襲で建物を焼失する。戦後、1952(昭和27)年この旧地に当社が再建され現在に至る。

 

(後略)

 

四谷怪談のお岩さんは田宮家だということなのですね。しかもご利益があるとお岩稲荷と祀られているという。私はこのことを知りませんでした。近所で高校時代は毎日四谷三丁目を通って高校に通っていたにも関わらず、お岩稲荷のことはもちろんお岩さんのことも知りませんでした。よって四谷於岩稲荷田宮神社は跡地というのが正しいようです。社殿はありますが東京都教育委員会の出した解説板には跡地として書かれています。

 

しかし注目の陰陽勾玉巴はしっかりとありました。白黒でまさに陰陽太極図と同じです。境内は狭いのですが社紋のインパクトあり、鍼灸師としては思うところがありました。本当にあったのだと。

 

 

外側には明治座、市川、中村といった知識のない私でもわかる歌舞伎に関わる名前が彫られた石があります。

 

歌舞伎役者にとって「東海道四谷怪談」はとても重要なものであることが伺えます。そしてその演目を得意とした初代市川左團次は於岩稲荷田宮神社を芝小屋の近くに移転してほしいと要望を出したと言います。そしてできたのが中央区にある於岩稲荷田宮神社(越前前)なのです。

 

神社と御朱印 於岩稲荷田宮神社(越前堀)

 

こちらは東京メトロ日比谷線八丁堀駅から割と近いところにあり、鍼灸マッサージ専門学校の伝統校の一つ東京医療福祉専門学校があります。鍼灸関連の関連機関が陰陽勾玉巴の紋に呼ばれたのでしょうか。偶然でも面白いです。

 

こちらの社紋は紫と白。四谷三丁目は白黒でした。色の違いがあるのが興味深いです。鍼灸師であれば陰陽論と並ぶ五行説という思想を勉強します。五行色体表といって五行には五種類の色が割り当てられています。紫はないのですが、それを青とみなしたとするとどうなるのでしょうか。

ネット情報によると中央区の於岩稲荷田宮神社が本社で四谷は飛地境内社の位置づけとなっているそうです。境内にはなかなか興味深いものがありましたが紹介はまた別の機会に。

 

陰陽太極図と同じ社紋がある於岩稲荷田宮神社を巡りました。まさか四谷怪談と関わる神社だったとは。調べてみると新しい発見があって面白かったです。小学生なら夏休みの自由研究になったかなという感じがします。

 

甲野 功

 

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