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~仕事の借りは仕事でしか返せない~

NHKニュースWEBより オリンピック 柔道男子 高藤 金メダル 今大会日本初の金メダル
NHKニュースWEBより オリンピック 柔道男子 高藤 金メダル 今大会日本初の金メダル

 

 

東京オリンピックが開幕し、メダルラッシュの日々が続いていますね。

本大会最初の金メダル獲得は柔道男子60kg級の高藤直寿選手でした。

 

毎大会、柔道は開幕直後から始まります。軽量級から男女1階級ずつ毎日行われていきます。男子は60kg級が最も軽い階級。初日にお家芸といえる柔道で金メダルを獲得しました。

 

NHK オリンピック 柔道男子 高藤 金メダル 今大会日本初の金メダル

 

高藤選手は前回金メダル候補としてリオデジャネイロオリンピックに参加するも銅メダルに終わります。一般的に見ればオリンピック銅メダルは素晴らしいことですが、柔道発祥の日本において、高藤選手にとって、それは悔いしか残らない成績。

 

高藤選手は

「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」

と東京オリンピック金メダル獲得を目指して頑張ってきました。

 

知っての通り日本で生まれた柔道。競技レベルは高く日本代表になることも容易ではないはずです。オリンピック代表を取り、かつ金メダルを取るという目標で4年間と思いきや1年延長して5年間頑張りました。

 

男子柔道60kg級は2004年アテネ大会以降、金メダルを逃しています。2004年はあの野村忠宏選手のオリンピック3連覇のとき。その野村選手は今回は開会式の聖火ランナーとして参加。17年間王者を出すことができませんでした。それくらい金メダルを奪取することが難しくなっていました。

 

高藤選手の「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」という言葉はとても心に響きました。私の場合は「仕事の借りは仕事でしか返せない」と置き換えていますが。

 

私のこれまでの人生で大きな勝負というのはほとんどなかったと言えます。誰もが経験するようなことばかり。その中では勉強社交ダンス仕事といったことが特に思い入れのある勝負でしょうか。

 

高校時代から本腰を入れて勉強し始めて、成績上位者に入ることを意識しました。進学校であったため色々な機会で成績順位が出るシステムでした。部活動のような感覚でクラスメイトと上位を目指したものでした。大学受験は第1から第3志望まで落ちて4番目志望である東京理科大学に合格。それも予定では最初の旧センター試験方式で合格するはずが不合格になり一般試験でも合格でした。

この時に大学受験では不合格という経験をしまいしたが大学入学後の生活を充実することでその借りを返したという気持ちでした。

 

大学生活で重きを置いたのが社交ダンスを競技として行う学生競技ダンスでした。真剣に取り組みましたが選手としては三流で終わります。4年間の競技生活で40回を超す一次予選落ちを経験しました。練習をして実力がつけばつくほど上位との差を実感することに。

そもそも練習方法、方針がおかしな方向に行っていたのに気づくのに時間がかかり過ぎました。突然急に成績上位者になるはずはなくパッとしない選手として終わりました。

その代わりたくさん一次予選落ちをしたことや失敗した経験を活かして後輩の育成に力を入れました。部活の借りは後輩たちが返してくれると考えて頑張りました。特に力を入れたのが後の全日本選手権準優勝し現プロ選手であり指導者となっている三森秀明先生でした。

 

そして今も続くのが仕事という項目です。

 

大学4年生の就職活動は必ずしもうまくいったとは言えませんでした。技術職希望でしたが大学で研究していた半導体関連の商社に入社。技術部門の配属は叶わず技術営業部門に。心身ともにストレスで疲弊し20代半ばの麻疹罹患により入院。これが大きな人生の転機になります。この経験を機に現在の仕事に転向することを決意します。

それまで浪人することも留年もなく大学卒業と進み上場企業に就職して、人生初めての挫折というか困難だったと思います。キャリアチェンジをすることで、その借りを返そうという気持ちだったと思います。

 

そこから専門学校に入学し新しいジャンルの勉強を始めます。入学当初は勉強のやり方が掴めず満足した成績を出せませんでしたが段々と勉強方法が分かってきて成績が上がってきました。東京理科大学時代の経験を活かせるようになりました。

 

あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の3つの国家資格を取得して現場に出るようになってからは大小様々な成功と失敗を繰り返してきました。新人時代、中堅時代、勤務、独立とステージも変わってきました。思い出したくない失敗もあります。その負い目を払しょくしてくれるのは時間の経過もありますが、やはり仕事での成功です。

 

仕事の借りは仕事でしか返せない

 

これが真理だと思っています。見方を変えると返せない借りがあったらこの仕事を辞めて別の職に就いていることでしょう。仕事を続ける以上、現場に出る以上、何かしらの失敗はこれからもあるはずでしょう。それを乗り越えるには仕事での成功体験しかないように思うのです。そうでなければ仕事をすることが怖くなってしまうでしょう。

 

話を戻してオリンピック柔道。私も柔道整復師ですので専門学校で初歩的な柔道実技を学びました。柔道には国内式(講道館柔道)と国際式(JUDO)の二つがあると言われています。もはやオリンピック及び国際大会の柔道は日本の武道ではなく、国際スポーツとしてのJUDOと言えるでしょう。かつては白の道着しか認めませんでしたが世界的な競技の流れで青い柔道着導入へ。

 

オリンピックを見るたびにルールが変更されています。かつての効果や有効、優勢勝ちというものは東京オリンピックの柔道種目にはありません。疑惑の判定が起きないようにすぐにビデオ判定をします。ポイントを取って時間切れで逃げる戦法が使えないようにゴールデンスコア(延長戦)は時間無制限になっています。

技術面については寝技の進化が激しく、道着を使った絞め技を使った抑え込みやひっくり返す動作が生まれています。その動きは柔術や総合格闘技の要素を感じます。以前は亀(うつ伏せになる防御姿勢)になってしまえば審判が待てをかけてくれるものでしたが、今はそこから攻める技術が発達しています。

投げ技に関しても、一時期は双手刈や朽木倒しという技と称して(どちらも本来柔道の技だが足を取る投げ技)レスリングのタックルに近い技術で勝負が決まってしまう時期がありました。ルール改訂の要因になりました。

 

ルール改訂が頻繁に行われるため過去の戦法、戦術が通用しなくなります。

高藤選手の凄いところは同じことをしていては落ちていくだけなので状況に応じて対策を重ねてきたことにあります。テレビのコメンテーター(過去に活躍した元柔道選手)の口から、どういう技名になるのか分からないとか、ルール内で許される新しい技術、といったコメントがありJUDOが進化していることをうかがわせます。ルールや技術の変化に合わせて対応していかないと金メダルを取ることができません。なお高藤選手の決勝戦は対戦相手の消極的姿勢が続き指導(警告)3回で反則負け。最新ルールの結果です。

 

このように状況の変化に対応しながら努力をして更なる結果を求める姿勢にも感銘を受けます。私の仕事も社会情勢や法律、ガイドラインによってルールが変わることがあります。同じことをしているのは停滞どころか衰退になります。借りを返すには更に努力や工夫が必要なのです。毎回オリンピック、特に柔道は楽しみにテレビ観戦していますが学ぶことが多々あります。今回もたくさんの学びがありそうです。

 

甲野 功

 

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