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~パラリンピック東京大会閉幕~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 都庁で展示されていたパラリンピックのシンボル、スリーアギトス
都庁で展示されていたパラリンピックのシンボル、スリーアギトス

 

 

昨日、国立競技場でパラリンピック東京大会の閉会式が行われました。オリンピックから続いたパラリンピック東京大会も幕を閉じました。

 

昨日は朝早くからヘリコプターの音が聞こえていました。パラリンピックのマラソン競技中継のためです。オリンピックと異なり北海道ではなくこの東京の街並みでマラソン競技が行われました。近所なのでちょっと見に行こうと思いましたが、新型コロナウィルス感染対策として人混みを作らないようおとなしく自宅にいました。札幌でマラソンコース沿道に人が群がったことはネガティブなニュースとして報道されましたし。

夜はもちろんヘリコプターの音が鳴り響き、国立競技場で閉会式が行われている事実を肌で体感しました。

 

パラリンピックが終わってみて、改めて開催できて良かっです。スポーツの一面だけでなく障害そのものの事、障害を持つ者の事、社会環境、サポート体制、そして多様性。多くのことを学ぶ機会になりました。

 

パラリンピック競技種目を通して障害の分類を具体的に知ることに。視覚障害、肢体不自由、機能障害。パラリンピックには聴覚障害の選手が出場することはできず、デフリンピックに出場します。デフリンピックの存在をこの年で知ることになりました。おそらく本大会が無ければ知らずにいたことでしょう。

 

障害について、障害者のこと、その周りの人。私はこの仕事をしているので人体、疾病、傷害などの医学知識が一般の方よりあると思います。知識があるからこそパラリンピックを見た時に思うところがあります。

 

2004年に東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に入学しました。そこで解剖学、生理学といった人体の基礎に加えて病理学、臨床医学各論、臨床医学総論といった具体的な疾患疾病に関する勉強。そしてリハビリテーション学も。20代半ばで初めて基礎医学を勉強し、障害について考えることになりました。特に当時3年間の学生生活で考えるきっかけを与えたのが『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰作)と『リアル』(井上雄彦作)の2つのマンガ作品。

『ブラックジャックによろしく』は新人医師が体験する医療現場の実際を描いています。『リアル』は日本一のバスケットボールマンガといってよい『スラムダンク』の作者井上雄彦氏が描く車イスバスケの話です。

 

『ブラックジャックによろしく』ではダウン症を持った双子が生まれる話があります。障害を持って生まれた子どもを受け入れることができず実の父親は殺してくれと主治医の産科医に言います。もちろん殺人罪になるのですが、父親は弁護士、法を理解した上で言います。そして双子の一人は先天性疾患のため生後間もなく死亡。残った新生児のために奔走する研修中の主人公と産科医のエピソードです。

その頃の私は自分に子どもができるという実感がありませんでしたが、子どもを作るということはその子に障害が持って生まれたとしても覚悟を決めて向き合うことなのだと考えました。おそらく取材した内容なのでしょう。作中の登場人物の行動はとてもリアルでフィクションとは思えない内容でした。『ブラックジャックによろしく』は著作権フリーなのでネット上で読むことができると思います。気になったら一度読んでみてください。

 

『リアル』は健常者として高校生活を送っていた主人公が病気になり、車イス生活を余儀なくされるストーリー。そこから車イスバスケと出会い、のめり込んでいくというもの。主人公以外にも多くの障害を持ったキャラクターが登場します。その家族やサポートする人も健常者も。『スラムダンク』という高校バスケを描いて大ヒットを飛ばした作品のあとに車イスバスケを題材にした井上雄彦氏。少年誌から青年誌に場を移してより“リアル”な障害者、そして車イスバスケの実態を描いています。

連載が始まった頃は車イスバスケ、それどころか障害者スポーツそのものの知名度は低く本作で初めて知ったという人が多かったと思います。私もその一人です。このパラリンピック東京大会で車イスバスケのチームが金メダルを掛けて王者アメリカと戦ったというのはあまりにも出来過ぎたストーリーだと思いました。

 

2つの作品を通してストーリーとして障害を、障害を負った当人を、その家族のことを、サポートをする人々を知りました。時を同じくして学問として医学を学びました。将来子どもができたとして障害を持って生まれたらどうだろう。自分自身も事故や病気で障害を持ったらどうなるだろう。そのようなことを考えた20代半ば。専門学校の教員に授業中、例え将来目が見えなくなっても鍼灸マッサージの技術と資格を持っていれば生活ができるからね、と言われたものでした。

 

パラリンピック競技を見るとその当時のことを想い出します。

 

オリンピックは超人たちの祭典だと思っています。生まれつき恵まれた肉体や環境の者が更なる努力を積み重ねてルールという制約の中で最高のパフォーマンスを競う。どの種目でも私はちょっとくらい体験できるでしょう。棒高跳びだって棒を持って走るくらいはできるはず。できるからこそその記録に驚き感動します。

 

パラリンピックはまた違った意味で超人たちの祭典でした。失った、あるいは元から持たない身体機能を、工夫して代用して競技に臨みます。残った機能を鍛え上げる、装具・器具やサポートメンバーの助けを使うといったやり方で。そこには選手たちの創意工夫、そして器材の発展が見て取れます。健常者では疑似体験すら難しい状況で肉体を鍛錬しているパラアスリート。凄い、だけでなく、なるほど、という感嘆がありました。

 

おそらく最もパラリンピック、そして障害者に対して多くの日本人が注目した大会だったことでしょう。アフターパラリンピック。これから障害者が生きやすい社会環境にできるのか。多様性を認める世間になるのか。問われることだと思います。

 

甲野 功

 

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