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~未来形の埋蔵量~

KAMINOGE117号表紙 KAMINOGE編集部 玄文社
KAMINOGE117号表紙 KAMINOGE編集部 玄文社

 

 

現在、唯一毎月必ず購入している雑誌(書籍に分類?)がKAMINOGE(以下、カミノゲ)です。デザインや作りがしっかりしていて値段も1000円以上します。

 

この出版不況でありながら毎月発行して100号を越えました。中身のほとんどはインタビュー記事です。主にプロレスラー、格闘家、その周辺関係者なのですが編集部が面白いと思った人はジャンルを問わず登場します。なお創刊号の表紙は甲本ヒロト氏でした。だいたいはプロレス、格闘技が好きという人が登場しますがときに一体何の関係があるのだろうという人も登場します。西村知美さんとか。

 

源流はプロレス格闘技雑誌「紙のプロレス」にあり、その後紆余曲折を経てそのDNAを受け継いで創刊した感じです。「紙のプロレス」は“世の中とプロレスをする”というコンセプトがあってその流れがカミノゲにもあるように思います。なおカミノゲというのは新日本プロレスの道場がある上野毛からとっていますし、「紙のプロレス」は運営や名前を変えながら最後「kamipro」で終わりましたからその語感の近いネーミングにしたと思われます。

 

更に「紙のプロレス」の源流は“ターザン山本時代の”「週刊プロレス」にあると言えます。“ターザン山本時代の”という形容詞がつくのは、当時編集長だったターザン山本氏の方針で他に類をみない特別な存在だった「週刊プロレス」という意味です。

※「週刊プロレス」は現在もあり、唯一残っているプロレス専門の週刊誌です。

 

ターザン山本氏が編集長をしていた時期の「週刊プロレス」に当時の私は虜になり中学2年から大学生くらいまで毎週購入して読んでいました

 

活字プロレスというジャンルを拡大させたのがターザン山本氏と「週刊プロレス」でした。活字プロレス自体が意味不明だと思うのですが開祖はターザン山本氏の師にあたる井上氏だと言われています。最も週刊プロレスを読んでいた1990年代前半は他団体時代に突入していて全ての大会や試合を追えるような状況ではありませんでした。戦後のような力道山一択というわけにはいきません。自ずと雑誌でしか知らない、情報が入ってこない試合が大部分になります。インターネットはもちろんYouTubeもABEMAもない頃でテレビ中継されるごく一部の試合以外は現地で観るか週刊プロレス他媒体を介して知るしかありません。プロレスを文章で想像を膨らませて考えさせるやり方、すなわち活字プロレスを世に広めました。

 

この方法が大ヒットして週刊プロレスは発行部数を上げていきます。ターザン山本氏曰く、版元のベースボールマガジン社の社屋を建て替えたのは週刊プロレスの売上だそう。その後、業界関係者や選手と軋轢を生みターザン山本氏は週刊プロレスを去ることになります。

絶頂期から編集長を追われる時期を中高生時代につぶさに見ていたものでした。

 

あれから四半世紀経過して、いまだにカミノゲに毎週登場するターザン山本氏。たまに記事を書きますが多くはインタビューを受ける側です。第三期黄金期と言われたプロレス業界、その当時の中心人物であったので過去のことや裏話は需要があります。10代の頃にファンの側から見ていたプロレスの裏事情を知る機会になっています。

 

ところが今回のインタビューは現在進行形のターザン山本氏を語っています。その中で若者と接する方法や現状を鋭く指摘している個所があり、非常に納得できました

75歳のターザン山本氏が20代、30代の若者と接することで知った指摘。そのことを紹介します。

 

・若者たちは上下関係を嫌う

ターザン山本氏はインタビュー中で、若者は上下関係が持っている無言の圧力、支配力、強制力といったものを徹底的に拒否、拒絶しているといいます。具体例として、新入社員ですら自分が部下だという発想がそもそもなく、先輩が上司という概念もない。仕事を教えてもらう立場でありながらも、先輩・上司から上から目線で一方的に指導することはやめてくださいね、という言い分が定着していると解説します。

 

・年配の人は挫折感を味わう

そのため上司・先輩は自分が上の立場であるという素振りを極力見せてはいけない。いままで上下関係で築いてきたキャリアや人格は何だったのかという戸惑いが50代以上にはあり挫折感を味わっている。たとえ役職があったとしても後輩たちと同じ土俵に立って同じ目線でコミュニケーションをとらなければ、組織に発展性も創造性もないという考えが現代社会では浸透している。年配の人たちがこの変化を理解することはできないと思う。このように語ります。

 

このような現在の社会環境を踏まえて75歳のターザン山本氏が、我々年配者が時代の変化だと思って自分たちを変えていかなければならない、と語るのです。

 

そう簡単に変えることができたら苦労しないでしょう。年配者の方々にはこれまでの実績、キャリアがあります。成功体験も失敗体験(ある意味これも成功への良い意味での経験になる)もしてきた。そのプライドやこだわりがあるのに、まだ成果も出していない、年齢を重ねていない、苦労も知らない若者に合わせるために変化するということは非常に苦しいはずです。語るターザン山本氏は75歳。完全に後期高齢者です。しかもただの高齢者ではなく、かつては業界の歴史を動かした人物です。

いち雑誌媒体の編集長でありながらその影響力の大きさを危険視した業界最大手新日本プロレスは週刊プロレスを取材拒否に。追従して取材拒否をする団体が複数。実質ターザン山本氏の解任が取材拒否解除の条件となった。

 

その変化することを厭わない理由が一番興味深い内容でした。

 

・若者たちと自分たちは対等

ターザン山本氏は言います。確かに長くいてきて社会的な知恵を持っている。若者にはそれがない。仕事をやらせてもたぶん自分たちの方ができるだろう。しかし自分が身につけてきたものは既に過去形であり、既成概念。対して若者は未来形。過去形の価値観と実績はあるけれど、若者たちの未来形の埋蔵量と比べるとこれは同等である。すなわち対等なのだと。

 

この表現は稀代のライターでもある氏の観察力と表現だと思います。聞き手の人も「未完成だけど未来形」と合いの手を入れています。この未来形の埋蔵量という言葉は私が何となく感じていたことを言い表したような気がします。年下の学生さんや後輩鍼灸マッサージ師と話をしているときに、教えてやっているという感覚が生まれないのです。経験も知識もそして年齢もこちらが上なのですが、どこか羨ましいような気持ちがあるのです。それは彼ら彼女らの持つ未来形の埋蔵量が見えていて憧れているからかもしれない、そう思いました。私が得た経験・知識・体験は過去形であり既成概念になっています。それと同等のものをまだ得ていない若者はあるのだと肌で感じていたのでしょう。

 

私は現在40代。あと30年後も同じように自らを変化することをためらわずそのときの若者と接することができるだろうか。そういうことを考えさせられた今回のインタビューでした。

 

甲野 功

 

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