開院時間
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私は中学校2年生の時にクラスメイトが話題にしていることからプロレスを観るようになりました。
最初は全く興味が無かったのですが見始めるとその魅力にはまりました。今思うとどうしてあれくらい熱中したのだろうか、そう振り返ります。思い当たるふしは、当時(1991年の頃)はとにかく社会が“右にならえ”の風潮だったからではないでしょうか。少年はみんな野球が好きでなければいけない。人と違うことをすると後ろ指をさされる。今とは比べようもないくらい多様性のない時代だったと感じています。
野球というか球技全般が苦手だった私は野球が下手くそというだけで下に見られました。いきなり初対面で「君はどこファン?」と聞いてくる。少年は野球好きで当然でどこのファンであるかが重要。野球に興味がありませんと言ったら「こいつ人間か?」くらい白い目で見られました。
小学校時代から背が高かったので周りからからかわれました。周囲は羨ましいという気持ちかもしれませんが毎日毎日「背が高いね~」と言われるのが苦痛で。小学校卒業時には170cm近くありました。ただいつも猫背で背を低くみせようとしていて。中学校でぐんぐん伸びていていた身長はぴたりと止まりました。
共働き家庭などほとんどないので放課後母親が自宅にいないことが不思議に思われる。なんでお前のうちに母さんがいないの、お菓子はでてこないの、と言われる。
ずっと何か息苦しさがありました。
それがプロレスという世界はもっと鬱屈していて、しかしそれをエネルギーにしていました。世間からは八百長だショーだと言われて。だからこそレスラーもファンも見返してやろうという熱量がすごかったのです。マイナーだから強い。そんな力がありました。
プロレスの世界を知ってから周囲の目を気にするのをやめることにしました。好きなことは好きだとはっきり表に出していこう。好きでもないのに「好きな球団は阪急です」なんて回答をするのをやめよう。気持ちが変わりました。
プロレス関連の雑誌や本をたくさん読むようになりました。思春期の私に与えた影響はとても大きかったと思います。今よりもずっと活字を読んでいました。もう30年近く前のことなので誰の言葉か忘れてしまったのですが、未だに心に残っているものがあります。
優しい人というは、頭が良い人なんだよ
あるプロレスラーのインタビューに出てきたものだったと思います。凄く印象に残っていて真理をついているのではないでしょうか。
優しいということは、相手のことを思いやれて相手のために行動できること。そのためには頭が良くないといけません。優しい振る舞いができるためには、前提条件として頭が良い。そういうことです。その逆また真なりとはいかず、頭が良い人が必ずしも優しいとは限りません。そして頭が悪いから優しくないとも言えません。そこのところがまず注意が必要です。
頭が良いとはどういうことでしょうか。一般的な広い意味がある表現です。かみ砕くと、博識である、記憶力がある、洞察力がある、機転が利く、思考の回転が速い、といった項目が挙げられます。これらが優しさとどう関係するのでしょうか。
優しいということは人が嫌がることをしないことが要素に入ります。成長を促すために敢えて嫌なことをする場合もあるでしょうが、信頼関係がなければそれはただの意地悪です。日常生活においては人が嫌がることはしません、してはいけません。
では、はたして嫌がることを理解できているのか?という話です。人が嫌がることはそれぞれ違います。性別、年齢、社会環境、宗教観、倫理感など多岐にわたるものがあります。例えばムスリムの方に良かれと思って肉料理を振る舞ったらどうでしょうか。何を人が嫌がるかは違いますが知識があれば推測できることがあります。博識であれば余計な軋轢を防ぐことができます。
相手がいて、以前嫌な顔をしていたなと記憶していれば次はしないようにできます。洞察力があって些細な変化を見逃さない。そのことを忘れないでいる。そういう能力は人が嫌がることをしないことにつながります。初対面でも無言のアピールから察することができます。例えば腰が痛そうにしているなら手助けをするとか。
こういったことをひっくるめて“頭が良い人”とまとめているのでしょう。
このことは今の自分にも大いに当てはまります。
患者さんを前にして、絶対に優しい人間でなければなりません。そのためには頭が良くないといけないと思っています。患者さんは何かしら不調があって初対面の私の前に来ます。そのときどのようなことに困っているのか、その状況を打破するためにはどうしたらいいのかを考えます。学んできた知識と積んできた経験を駆使して。技術以前に博識であり記憶力が無ければどうにもなりません。一人でやっているので助けてくれる人はいません。
そしてどれだけ正しい技術であっても患者さんを不快にさせては効果が無くなります。「こんな奴に触られたくない」と思われたらもうダメなのです。だから洞察力を磨き、コミュニケーション能力を高める必要があります。頭の回転が速くないといけないのです。仏頂面で、黙って受けていれば治るから、という態度ではもう成り立たない時代です。
交流のある学生さんにはこの話をよくします。我々は少なくとも頭が良くないといけない。それは優しくなるため。真心があって親切であっても行動に移すには頭の良さが必要。勉強をするのは当たり前で、加えて頭の回転も速くしないといけないと。
思春期のあの頃目にしたプロレスラーの言葉は今でも心の中に生きています。
甲野 功
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