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~鎌倉荏柄天神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 荏柄天神社
鎌倉の荏柄天神社

 

 

鎌倉に太宰府天満宮(福岡)、北野天満宮(京都)と並び古くは日本三天神と称される神社があることをご存知でしょうか。それが荏柄天神社です(昔は荏原山天満宮といった)。前の2つの天満宮は非常に有名です。行ったことはないのですがよく耳にする有名観光地でしょう。それに並ぶものが鎌倉にあったとは。調べるまで知りませんでした。鎌倉という古都であればあってもおかしくないのでしょうが、鎌倉エリアの神社お寺でもそこまで有名でないと思います。

 

荏柄天神社

 

私が荏柄天神社を初めて訪れたのはもう10年くらい前になると記憶しています。柔道整復師専門学校の同級生と鎌倉に行ったときに一緒にいた人が行ってみたいといって足を運びました。鎌倉の神社といえば鶴岡八幡宮。それ以外の神社はお寺に比べると知名度が劣るところが多いのかと。鎌倉五山を筆頭にお寺のイメージが強いので。そのときは竹寺として有名な報国寺に行ってその帰りに鎌倉駅に向かう途中で荏柄天神社に寄ったのだと思います。そのときは、河童の画が描いてあるモニュメントがあるところだな、という印象だけでした。

 

後々きちんと調べて訪れてみるとなかなか興味深い神社だったのです。

 

創建は長治元年(1104年)。鎌倉幕府ができる数十年前になります。前述したように荏柄山天満宮といいました。鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝は荏柄天神社が幕府から見て鬼門の位置(北東)にあることから社殿を造立します。古来より日本では鬼門封じとして北東の方角に神社やお寺を置いてきました。京都だと比叡山延暦寺、江戸だと寛永寺といったように。源頼朝もまた鬼門の位置にこの神社があったことを有難くおもったのでしょう。その後も略年表を見るとわかるように北条時政足利成利豊臣秀吉徳川家康・秀忠・家綱・光圀といった時の権力者に縁がありました。

 

略年表

 

さて荏柄天神社の御祭神はといえば、天満宮であるのでもちろん菅原道真公です。菅原道真は学者の家系に生まれ本人も優れた学者でした。そして国政にも進出しときの右大臣になりますが、左大臣藤原一派の策略により九州に左遷されられます。そしてその地で死去。菅原道真の死後、数々の災難が続き天神様として祭ることでその呪いを解消させようとしたといいます。菅原道真は学問の神様であると同時に日本三大怨霊に数えられる存在なのです。菅原道真公を御祭神であるから900年余り存在しているのかもしれません(祟りが恐ろしいので)。

 

現在の荏柄天神社はというと、鎌倉駅の繁華街から北に向かったところにあります。閑静な住宅地という感じのところにあります。鎌倉は海と山が近い地形なので多くの神社、お寺は高台に向かってあります。荏柄天神社も同様に少し高低差があります。最初の鳥居をくぐると石階段があり、登っていくと正面に朱色の拝殿が見えます。向かって右脇には少し上に登れる階段があり、岩屋(洞窟)があります。岩屋があるのも鎌倉の土地らしい景色。

そして拝殿に向かって左側には一番の特徴といえるかっぱ筆塚絵筆塚があります。かっぱ筆塚は一見大きな岩に見えます。よく見ると岩肌に河童が彫られているのです。ここに河童の画を描き続けた漫画家の故清水崑氏が愛用していた絵筆が納められています。

かっぱ筆塚から階段で上にあがると緑色の大きなモニュメントがあります。それが絵筆塚です。故清水崑氏の意思を継いだ横山隆一氏ら漫画家が建立しました。キャラクターを河童のモチーフにしたイラストが奉納されており、その数は154枚。中にはドラえもんの作者故藤子・F・不二雄氏、ゴルゴ13の作者故さいとうたかを氏のものもありますこれらにちなんだ絵筆塚祭が毎年10月に行われています。筆の焚き上げ供養を行います。

 

このようにみると歴史と現代が入り混じった何とも不思議な神社だと思います。中心地から少し離れていて落ち着いた雰囲気が味わえることでしょう。

 

甲野 功

 

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