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~十条駅前の再開発~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 十条駅の駅前正面
あじさい鍼灸マッサージ治療院 十条駅前左側
更地が広がる東京都北区十条駅の駅前

 

 

昨日は次女を連れて十条に行ってきました。

十条とは東京都北区にある十条駅。埼京線で新宿から大宮方面に向かって3駅目。赤羽駅の隣の駅です。ここ数年は毎年3月のはじめに行きます。私にとって、我が家にとってとても縁のある土地なのです。

 

私が初めて十条駅に来たのは大学に入学してすぐの4月。1996年のときでした。東京理科大学の社交ダンスをする部活(舞踏研究部)の新入生歓迎で先輩方に連れられて、東京成徳短期大学に行くため。もう四半世紀も前のことになります。当時、東京成徳短期大学と一緒に部活しており、東京成徳短期大学の生徒に対する新入生歓迎イベントを行うに東京理科大側からの1年生として特別に参加しました。

 

今では考えられませんが、社交ダンスを見たら男子学生が逃げていく時代だったので、社交ダンスのデモンストレーションを見せてもこいつは逃げないだろうという上級生の判断で私だけ行きました。今のようにテレビで当たり前のように芸能人が社交ダンスをして競技会に取り組む様子を番組で特集するようなことはありませんでした。映画「Shall we ダンス?」が公開されたのがその年の1月。テレビ番組で「ウリナリ社交ダンス部」の企画が始まったのは同じ年の4月。それまでは社交ダンスとは中高年が行うもので、大学生ら若者がするイメージが世間にありませんでした。特にラテン種目という男女が離れて踊る種目は、見たら絶対に男子生徒がひいてしまうので内容を隠して上級生は新入生歓迎会をしていました。

 

今振り返ると異常なことですが、活動内容をほぼ話すことなく勢いと人海戦術で男子学生を部室に集めて教科書類の荷物を人質(物質?)に大学近くの喫茶店に連れて行き、夕方まであれこれ時間を稼いで飲み会まで連れて行くという方法が取られていました。20世紀のことで、令和の今よりも大らかな時代のことでした。ここはどのようなことをしているのですか?と聞いても全ての上級生がはぐらかせて話題に触れないという。とにかくただ飯食えるよ、ただ酒飲めるよ、男だらけの理科大で女子がいっぱいいるから、という言葉で押し切っていました。

 

そのような時に安パイと判断されて東京成徳短期大学に連れて行かれたのが、十条という街との始まりでした。部活に入ってからは週に1回練習会があるため十条駅から東京成徳短期大学に行きました。また京浜東北線東十条駅のそばに富士学院という都内屈指の有名な社交ダンス練習場があるため十条駅に行く機会はとても多かったです。大学1年生の春、18歳の頃から、長らく十条には社交ダンスの街という印象しかありませんでした。それ以外の事は何も知らず、何も知ろうとせず。

 

今ヤングジャンプ誌でスガワラスエコ作『シャドウクロス』という社交ダンス(競技ダンス)をテーマにしたマンガが連載していますが、この作品の主な舞台は十条です。コミック第1巻の表紙は十条駅前、十条銀座商店街の入り口が背景に描かれています。当時も今も社交ダンスの聖地といえる土地なのです。

 

その十条が職場であり修行の場となったのは20代の終わりからでした。29歳の2月にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師免許の国家試験をパスしてあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師になった私は就職活動の末、就職先を十条の鍼灸整骨院に決めます。もちろんかつて知った土地で社交ダンス関係者がたくさん住んでいるはずという目論見がありました。

場所は十条銀座商店街が終わり富士見銀座商店街の始まりのところ。JR埼京線十条とJR京浜東北線東十条の間くらいに位置します。そこで約4年間働きました。途中3ヵ月ほど浦和に異動したこともありましたがほとんど十条。週6日。毎日十条駅から勤務先に通勤しました。

 

十条が趣味で来ていた場所から仕事の場に変わりました

 

国家資格免許を取ったルーキーは十条という場所で下積み、経験を重ねることになります。入職当初は毎日が辛くて大変でした。もうもたない、続かない、辞めたいと初日から思っていました。朝十条駅までが遠くて途中よくお腹が痛くなって新宿駅や十条駅でトイレに駆け込んでいました。苦しい修行の場でした。

 

そこから嫌というほど経験を積み多くの出会いがありました。十条と言えば社交ダンスという認識でしたが、それはごくごく一部のことで多くの住人にはそのようなことなど知られていませんでした。都内有数の商店街十条銀座商店街を筆頭に多くの商店街があり、激安衣料品店が並びユニクロが出店できない、物価が非常に安く何でも安価で手に入る、東京23区で最も高齢者の多い区が北区、などの情報を知るようになりました。富士学院とは隣にある富士塚からとったものだと知りました。当時は富士塚とは何かも分かっていませんでした。

近隣に住むお年寄りと触れ合いながら十条の事を学び、地域特性を理解することが仕事をする上で非常に重要だと理解します。この時の経験は地元で独立した今でも非常に助かっていることです。ここはどのような街なのか?どのような歴史があるのか?どのような人が住んでいるのか?特産は?長所と短所は?立地条件は?そのような問いをする癖ができたのがこの十条勤務時代です。今の礎を築いた場所が十条であることは間違いありません。妻と出会ったのもこの十条です。

 

十条の職場を辞めて新しい一歩を踏み出したのが2011年1月末でした。柔道整復師国家試験を直前にして、柔道整復師として試してみたいことができました。それまで毎日、1年間のほとんどを過ごした十条に行かなくなりました。そして柔道整復師国家試験が終わり本格的に新しいステージに向かおうとしたとき、東日本大震災が起きました。3月11日の金曜日午後。尋常でない揺れと全鉄道機関が運休になる異常事態。幸い歩いて自宅に帰ることができたところにいましたが、もしも十条勤務だったら帰宅することは不可能だったでしょう。本当に良かったと思ったのと同時にもしも十条勤務のままだったらどうなっていたのか、どのように振る舞っていたのか、を考えました。そして自宅のことを後回しにして近所を見回りに出た当時町会長だった父親に姿をみて、そのうちこの生まれ育った土地で開業しようと心に決めたものでした。

 

十条には私にとって師匠と言える患者さんが数名います。究極は技は盗んで学べ、現場で成長しろという感じだったので一番鍛えてくれたのは患者さん達でした。実際にやってみなければ分かりません。誰かを師事して学ぶという事はしたことがなく、臨床現場で学びながら成長したものでした。その患者さん達の中に非常にお世話になった方がいて、その方に会うために何度も十条を訪れています。ここ数年は新型コロナウィルスもあり、3月だけにしています。先日もそのような理由で十条駅に降り立ったのでした。

 

このように十条駅は様々な思い出があります。その変化も見てきました。

 

ここ数年の十条駅前の変化は異様とも思える程です。駅前のロータリーとオブジェが無くなりました。駅出口正面と向かって左側の区画が更地になってしまいました。駅前に軒を連ねていた多くのお店が消えています。ラーメン屋も不二家も公衆トイレも電気屋も何もかもが壊されています。下町で古い家屋が密集しているエリアなのですが駅前がぽっかりと空白になっています。昨年から立て壊しが進んでいましたが今年みた駅前の景色は本当に街の一角が消えてしまったと思うものでした。

駅前には39階の高層施設などができるそうです。

 

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25年も経てば街並みが変わるのは仕方ないことですし、何の進化もしないのはそれで問題でしょう。ただ十条駅にこれだけの高さの施設ができることになるとは、という気持ちです。埼京線で新宿→池袋→板橋→十条→赤羽と駅が並びます。池袋、赤羽という大きなターミナル駅に挟まれた大規模開発の空白地帯のような面があります。高層ビルがなく空が新宿よりもずっと広い。個人商店が数多く残り、長く住んでいる人々が多い。令和の現在でも商店街に勢いがある場所です。その駅前に住居を含めた商業施設ができ、そのために多くのお店が立ち退きました。商店は人々の歴史でもあります。1年ぶりに駅出口に出て思い出の場所がごっそり消えてしまったような喪失感がありました。時代の流れとはいえ唖然としてしまいました。十条という街のバランスが大きく変わるのだろうなと思いました。

 

十条で競技ダンスに励み、十条で修業し成長し多くの出会いに恵まれました。その十条が駅前再開発で大きく姿を変えようとしています。

 

甲野 功

 

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