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~浅草 今戸神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 今戸神社
今戸神社

 

 

浅草寺から北に進み隅田川のそばに今戸という地域があります。前回紹介した橋場不動尊も近いです。ここに今戸神社があります。

 

今戸神社公式ホームページ

 

縁結びや招き猫でなかなか有名な神社です。

 

康平6年(1063年)、源頼義・義家父子が勅令による奥州討伐の折に鎌倉の鶴ヶ岡浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請しました。浅草に勧請した方が今戸八幡であり、これが現在の今戸神社になります。

そして今戸八幡は戦乱に遭います。江戸時代の頃、3代将軍徳川家光は今戸八幡の再建を命じて寛永13年(1636年)に再建が成りました。

時は流れて大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で社殿は灰燼に帰し、その後復興。

しかし昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲によってまたも被災します。それでも昭和46年(1971年)に現在の社殿が再建されたのです。被災と再建(破壊と再生)を幾度と繰り返してきた歴史です。

 

昭和12年(1937年)に隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡から今戸神社と改称されました。白山神社とは白山信仰を表し、加賀国白山比咩神社を総本社とする白山神社は各地に鎮座し、その多くは祭神を白山比咩神・伊弉諾尊・伊弉冉尊の3柱としています。

 

今戸神社の御祭神は應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、福禄寿です。

 

まず八幡神社は応神天皇(應神天皇)を祀るもの。今戸八幡ももちろんそうでしょう。白山神社と合祀して祭神となった伊弉諾尊と伊弉冉尊は古事記に出てくる日本を生んだ夫婦神。そのため今戸神社は縁結びにご利益があるということでしょう。福禄寿は福(幸福)と禄(生活・経済の安定)と寿(健康にして長命)の三つの福の神。今戸神社の福禄寿は浅草七福神の一つに数えられます。

 

由緒(歴史)と御祭神だけでも色々と興味深いわけですが、更に土地の工芸品が関係します。今戸神社のある今戸地域には江戸時代からある陶磁器があり、それを今戸焼といいます。境内には「今戸焼発祥之地」とある石碑があります。前回紹介した橋場、今戸、それら周辺(浅草の東北)で盛んな焼き物です。伝承によれば戦国時代の天正年間(1573年~1592年)に生産が始まったとも。日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦などを生産しました。その今戸焼ですが、宝暦2年(1752年)に職人が今戸神社に今戸焼の狛犬を寄進しています。また今戸焼きの招き猫が作られていました。

 

今戸神社の鳥居を見ると招き猫のイラストが脇にあります。“招き猫発祥の地”として、大いに招き猫を推していることがみてとれます。本殿にも多数の招き猫の置物があります。

ただ招き猫発祥の地については諸説あるのです。江戸時代の地誌『武江年表』、日記『藤岡屋日記』の嘉永5年(1852年)にエピソードが載っています。浅草に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言いました。その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現在の浅草神社)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったというのです。今戸焼きの招き猫だから今戸神社(当時は今戸八幡)が発祥であるという根拠。しかしその史料は招き猫が浅草寺・浅草神社に由来するとするものであると言えます。

 

浅草以外にも招き猫発祥の地は幾つか言われています。有名なものが東京都世田谷区の豪徳寺。豪徳寺にも無数の招き猫があり、私は豪徳寺が招き猫発祥の地だと認識していました。さらに東京都新宿区の自性院。ここでは猫地蔵がありそれが招き猫と関連して考えられるようになったのか。また東京都豊島区の西方寺。猫塚や猫の木彫象があったとか。他にも京都の伏見稲荷大社という話もあります。

少なくとも豪徳寺の方が招き猫に力を入れている感じがしてどちらも自称招き猫発祥の地という印象を受けます。

 

加えて今戸神社がもう一つアピールしていること。それが沖田総司の終焉の地沖田総司とは幕末に活躍した新撰組の一番隊組長。局長近藤勇、副局長土方歳三と並ぶ新撰組トップ3の一人。非常に人気のある剣士です。今戸神社境内には「沖田総司終焉之地」とする石碑が立っています。ただ沖田総司が亡くなったのは千駄ヶ谷ではないか?と私は疑問に思ったのです。どういうことかというと沖田総司は結核を患い、明治維新直前の幕末の混乱から戦線離脱しています。結核が原因で亡くなるのですが当時の沖田総司を診ていた医師が松本良順。同じ新撰組の永倉新八の手記に沖田総司は松本良順宅で亡くなったとあります。松本良順は当時の今戸八幡に住居を間借りしていたため、現在の今戸神社が沖田総司終焉の地だというわけです。

しかしこの時永倉新八は江戸におらず、最新の史料によれば松本良順の手引きで千駄ヶ谷の植木屋柴田平五郎宅の納屋に匿われていたとあり、その千駄ヶ谷で死亡したというのが定説となっているようです。私が千駄ヶ谷に近い國學院高校の卒業生なのでこの話を聞いたことがあり、沖田総司の最期は千駄ヶ谷だと認識していました。

 

招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地とピーアールしていますが少々真偽が怪しいところがあります。見方を変えるとそれだけ世間にアピールする姿勢があるということ。随所に楽しませる工夫があるように感じます。若者に人気があるというのは頷けます。浅草寺ほど目立ちませんがなかなか面白いですし写真映えするものがたくさんあります。

 

甲野 功

 

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