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~「ムー」から学んだこと~

オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術 三上丈晴著 学研プラス
オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術 三上丈晴著 学研プラス

 

 

世の中には「ムー民」という言葉があります。これは月刊「ムー」の愛読者、支持する人々を指します。つまり「ムー」のファン。「ムー」とは日本が誇るオカルト雑誌。超常現象、超能力、超古代文明、心霊、陰謀論などを扱う専門誌です。競合するような雑誌が存在しない、唯一無二の存在。強いて言えば「東京スポーツ新聞」が近いと言われます。この「ムー」が好きな人々が「ムー民」なのです。

 

「ムー民」という用語が生まれる前から私は「ムー」関連の本を読んできました。今でもたまに月刊「ムー」を購読することがあります。少し前までは「ムー」を読んでいるというのはとても奇天烈な人間であるとされてきました。あるマンガではギャグに使われたらしく、結婚して妻に「本当にムーを読んでいる人を初めて知った」と言われたもの。それくらい怪しい存在でした。表現として“ムー的”という形容詞があり、真偽が定かではない、胡散臭いが絶対嘘とも言い切れない、といったものに使われます。

 

その月刊「ムー」が今年通算500号になりました。月刊で500号です。1年で12号ですから500号がいかに長い時間を紡いできたかわかります。その偉業に関連するのか、現5代目編集長である三上丈晴氏の著書が発売されました。

 

オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術 三上丈晴著 学研プラス

 

タイトルに“オカルト”と“あやしい”がつきます。このネーミングセンス。

三上丈晴編集長は「ムー」編集部に入って30年、編集長に就任してから15年以上という「ムー」の顔ともいう人物。数多くのメディアに登場し、その界隈ではとても有名な人物です。もちろんずっと前から私も知っていて、テレビやYouTubeでその姿を観てきました。作り手として、出役として、「ムー」を牽引する三上氏の本に興味があり、書店で2度ほど買うのを躊躇い、ついに買ってしまったのがこの本でした。作り手側からの「ムー」について語った本書を一部紹介して、私との関りについて書いていきます。

 

三上丈晴(みかみたけはる)氏は筑波大学自然学類を卒業しており、物理学を学んだ人物。そう、私も東京理科大学理学部応用物理学科卒ですから、物理学繋がりでシンパシーを感じています。三上氏は1991年に学習研究社(通称、学研)に入社します。そう、あの学研です。知らない人もいますが、唯一無二のオカルト雑誌「ムー」は学研が出版していたのです。店頭販売をしないで自宅に送られる「学習」と「科学」を出版していた学研です。図鑑や参考書を出版している学研です。その事実も面白いですし、意味があるのです。

 

なぜ学研が「ムー」なるオカルト雑誌を作ることになったのでしょうか。著書にはその経緯が知らされています。当時、学研で出していた中高生向け雑誌「高校コース」で人気となった記事を扱い専門雑誌にしようという機運が高まります。時代は雑誌発刊ブーム。売れそうならばやってみようという空気だったそう。かの「高校コース」で人気だった記事が超能力や予言など今の「ムー」が扱うオカルト系だったのでした。なのでそれらを扱う雑誌を作ろうと。太平洋に沈んだとされる伝説のムー大陸から名前をとって「ムー」という名前の雑誌が生まれます。発刊当初は隔月発行でした。しかし創刊から1年で大幅な方向転換を強いられます

雑誌が売れなかったのでした。

起死回生の策として一般中高生向けにしていたライトな誌面からマニアの社会人に向けた、字だらけの誌面にしたのです。まるで論文のような長い文章。細かい説明。今でもそうですが「ムー」はとにかく字がびっしりとある雑誌です。この方向転換がしっかりとはまり、売上は急上昇。赤字から黒字に転換し、月刊発行までになうのでした。これは編集部のターゲット層を読み間違った結果だとして、本書では『創刊当時、編集者が思っていた以上に、読者のレベルが高かった。』と振り返っています。オカルトが好きなマニア層はより深い情報を求めていて、その要求に応えたのが「ムー」だったのです。その結果、好きな人以外は手に取らない、近寄りがたい、活字だらけの月刊誌に変貌したのでした。

 

「ムー」のテーマは<スーパーミステリー・マガジン>だといいます。これは表紙に「super mystery magazine mu」と表記されていることから明白です。ただのミステリーだと推理小説のように思われてしまうのでスーパーを付けてスーパーミステリーにしたといいます。ただし推理小説ではないが推理や謎解きはあるのが「ムー」。扱う対象は現代科学で解明できない超常現象、怪奇現象、心霊、超能力、魔術といったもの。

 

三上氏はノンフィクションミステリーという表現を使います。創作(フィクション)ではない実際に起きる謎(ミステリー)。そしてそれはどの部分が謎で、どうして科学で説明できないのかを丁寧に説明しないといけないといいます。この点が重要で、何か謎の現象を扱うにしても、冒頭にその謎自体を詳しく掘り下げて科学で説明できるところとそうでないところをはっきりさせるのです。そのため「ムー」の文章は多量の専門知識が述べられて、特に最先端物理学や生物学、医学などの解説が入るのです。編集長の三上氏が物理学専攻ということも関係するのですが、この出来事不思議ですね、とするのではなく、何故不思議なのか=現代科学で説明できないのかを徹底的に論じるのです。これが数ある都市伝説系YouTubeチャンネルやテレビ特番と違うところです。一般の人にはさっぱり分からないような学説や理論もしっかりと掲載してくるのが「ムー」。

 

現代科学で説明できない事象を取り扱うのが「ムー」。では現代科学で説明できないのならどうするのか?それは“未来科学で説明する”といいます。未来科学とは未来において発見されるかもしれない法則を想定するということ。ここが「ムー」の2面性というか真骨頂といいますか。今はまだ発見されていないが、こんな(現代では不可能と思われている)ことが将来可能になるかもしれない、というテイで記事が進むのです。現代科学一辺倒であれば学術誌になります。NEWTONと同じです。「ムー」は学術誌ではなく知的エンターテイメント雑誌だと三上氏はいいます。大事なことはストーリーであり結論に至るドラマ性だと。綿密な科学的検証を行った上で説明できないものを、壮大なありそうな妄想に近い理論(未来科学)で説明して結論つける(すなわち謎解きをする)。それが「ムー」なのです。それを「ムー的」世界と表現します。

 

このスタンスは実に科学的だと思います。正確には前半までは。現代科学では説明不能なものは潔く、今のところ説明できません、と結論つけます。勘違いされることが多いのですが、真っ当な科学者ほどやすやすと断定はしません。かの超一流大学のUFO否定派の某教授も宇宙人の存在ははっきりと否定していなくて、広大な宇宙には人類と同等レベルの知的生命体が存在することは完全に否定することはできないが、我々と出会う可能性は限りなく低く、日本のアリとアフリカのアリが偶然出会うことがほぼあり得ないように、宇宙人が現れていることは考えられない、という旨の発言をします。それは、要するに宇宙人はいないということでしょう?、という話ではないのです。

 

「ムー」の場合、そこに実は開発されているが公表されていないテクノロジーがあった、とか、過去に滅んだが現代文明を遥かに凌駕する文明があったのだ、とか、まだ立証できていない新発見があったのだ、といった何かしらの結論を示すのです。学術誌や学会であれば、原因不明である、とするところを。それが陰謀論やトンデモ学説と親和性が高くなるので、あやしいオカルト雑誌という立ち位置になるのでしょう。

 

さて三上氏は本書で「科学」について言及しています。一般の人が無自覚に使用している「科学」という言葉は正確には「自然科学」のことを指すといいます。自然科学ではない科学には政治科学や社会科学なども含まれます。それらの科学は「自然科学」とは比べようもないくらい曖昧なもの。政治や社会は合理的に働くとは限りません。科学的といったら「自然科学」に則ったということになります。「自然科学」は物理、化学、生物学などが入ります。余談ですが日本において自然科学を学ぶ初めての私学大学が東京理科大学だそうです。それまでは国立大学のみで教えていたのだとか。

 

さて三上氏の考えにおいて、数学は自然科学でないとしています。一般的には数学も自然科学の範疇に入ります。先に挙げた東京理科大学には数学科があります。しかし三上氏は数学は自然科学より上位の概念であるとします。物理学においては計算式に無限大が出たらその理論は間違っているとだいたい判断されます。ところが数学は無限大(∞)という言葉や概念を使います。ちょっと数学を勉強すれば∞はよく出てきます。数学では1÷0=∞と解釈し、何なら1÷∞=0であります。しかし物理学の対象は現実世界です。宇宙の広さも、素粒子の数も果てしないが間違いなく有限です。天文学的数値と言っても理論上は宇宙の距離は測れますし、テラとかペタという単位で素粒子の数も表現できます。数学は自然科学の上位概念。自然科学は形而下であり数学は形而上であると。この考えはとても含蓄が深く、この年になって数学を見直すきっかけになりました。

 

私が中学生くらいのときに「恐竜に毛が生えていた?!」という内容の本を手に取りました。それが「ムー」関連の本でした。それ以外にも当時では(内容によっては現代でも)嘘だろ、という内容がたくさんありました。しかしその結論に至るために現代科学での解説と説明できないことを述べているところに感心したのです。プロレスと「ムー」は思春期に大きな影響を与えました。どちらも世間的には胡散臭いとされるもの。表面的な胡散臭さの奥にある真実。その2面性に惹かれ、深く物事を追求する姿勢を学んだと思います。

 

そして今、鍼灸師として東洋医学を扱う立場になりました。教科書に陰陽論とか五行説とか書いてあります。占いをする人からすると占いそのものだと言います。気の種類として原気、宗気、衛気、営気があるとか。一般的にみたら十分オカルトではないでしょうか。学び始めた頃は、物理を大学で学んだ身としては、鍼灸や東洋医学はオカルトで非科学的だと感じていました。それは鍼灸師になってからも消えず、教員養成科に進学して学ぶまで払拭されませんでした。鍼灸師免許を取り現場に出て。柔道整復師科に入学しより鍼灸科以上に現代医療分野を学び。同時に臨床を経験し。その先に教員養成科で学び直す。行きついたのが「ムー的」世界でした。

 

いまや「ムー」でしか扱われなかったことが日常生活に溢れてきました。都市伝説、予言、陰謀論、UFOなど。NHKでディープステイトが報道されるとは。アメリカ国家がUFO(正確にはUAP)を認めるとは。自衛隊に宇宙部隊が設立されるとは。NSAやエリア51の存在を公表するとは。混沌とした時代に真贋を見極める訓練として「ムー」の存在は決して小さくありませんでした。

 

甲野 功

 

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