開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~地域散策 花園神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 花園神社
花園神社

 

 

生まれ育った東京都新宿区の神社、寺社、仏閣などを紹介しています。今回は東京都内でも屈指の繁華街である新宿の総鎮守、花園神社を紹介します。

 

東京新宿鎮座花園神社

 

新宿区という区名はもちろん新宿という街に由来しています。コロナ前は世界中の外国人観光客が新宿を訪れて、世界一乗降者数の多い駅としてギネス記録を持っている新宿駅。鉄道だけでも多くの路線があるマンモスターミナル駅で、バスタ新宿という高速バス、長距離バスのターミナルも控えています。その新宿を護る神社として伊勢丹本店のすぐそばにあるのが花園神社です。

 

新宿が栄えるのは、東京以前の江戸の街が栄えたことに要因があります。江戸が栄えるのはもちろん、徳川家康公が江戸幕府を開いたからです(1603年)。花園神社は徳川家康が江戸に入る前からあったと言われており、大和吉野山から勧請されたとか。詳しいことは分かっていないようです。江戸の街並みが徳川家康らによって整備される前からこの地を護ってきたのは確かなようです。

江戸時代、寛永の頃(1624~1644)までは現在の場所より約250m南、現在の伊勢丹デパートの付近にありました。諸事情により現在の場所に移転することになります。その場所が徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部であり、たくさんの花が咲き乱れていたそう。美しい花園の跡に移転したので「花園稲荷神社」と呼ばれたのが社名の由来とされているそうです。神社の区分はこの時点では稲荷神社だったようです。

※神社には幾つかグループというか区分があります。稲荷神社は京都の伏見稲荷大社を筆頭とした神社の種類。他には八幡宮、天満宮、白山神社、愛宕神社、厳島神社、氷川神社など様々な種類があります。

 

しかしこの「花園」が正式名称になるのはずっと後のことになります。江戸時代は稲荷神社の「稲荷」の方が強く、「三光院稲荷」や「四谷追分稲荷」と呼ばれていました。三光院稲荷というのは当時の神仏習合により、花園神社も三光院(真義真言宗豊山派愛染院の別院)が合祀されていたため。四谷追分稲荷というのはその地名から。追分とは街道の分岐点を指しており、四谷は今も残る地名。この場所は甲州街道青梅街道の分岐点だったのでした。

 

余談ですが、この追分が新宿の成り立ちに重要です。日本橋を起点とした五街道の甲州街道において日本橋の次の宿場町が高井戸と16kmも離れていたため、その間に新しい宿場町を作らないと人も馬もきついという事情がありました。そこで新たに宿場町を作られることになり、追分でもあるここに新しい宿場町、すなわち新宿が置かれることになります。それが内藤新宿とか四谷新宿と言われるもので、今日の大都会新宿のはじまりになるのです。今でも伊勢丹本店のそばには追分交番という交番が存在します。

 

話を戻して三光院は明治に入り、神仏分離令が発布され廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離されます。(明治前までは神仏習合といって、神様と仏様を同時に祀る(同一視する)考えがありました。明治維新がなり、国家神道を進める上で仏教と分ける意図があったのでしょう。神仏習合とは逆の神仏分離があり、同時にお寺、仏像を排斥する廃仏毀釈運動が起こったのです。)

改めて神社の届け出を出すときに花園の文字を忘れて「稲荷神社」と書いて提出したのだとか。最初に書いた通り稲荷神社は全国にありますし、単なる稲荷神社とするとそれは総本山である伏見稲荷大社を表します。そこで「村社稲荷神社」が正式名称になるのですが、ずっと前から花園社と呼ばれていたこともあり、大正時代に社号改名願を出して「花園稲荷神社」に変えます。そして昭和40年(1965年)に「花園神社」が正式名称になります。

 

花園神社と言えば酉の市が有名でしょう。秋の風物詩として非常に賑わいます。酉の市というのは大鳥神社の祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと:古事記に登場する)が東夷征伐の戦勝祈願をして帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになったもの。武功を願うものから商売繫盛に転じたようです。

花園神社の末社に大鳥神社があり、花園神社は日本武尊も祭神としています。花園神社の酉の市は明治時代に始まりました。多くの人が訪れて熊手を買っていきます。

 

他にはその土地柄もありますが芸能と縁が深い神社です。花園神社のそばには吉本興業東京本社がありますし。芸能との関係は江戸時代からです。安永9年(1780年)と文化8年(1811年)に大火で焼失した花園神社社殿を再建するために境内に劇場を設けて、見世物や演劇・踊りなどをしたのでした。今でも境内にはテント芝居小屋が置かれますし、境内社には「芸能浅間神社」があります。全国にある浅間神社の中でも、芸能に関わりのあるものは珍しいといいます。芸能人の奉納者の名前が多く並んでいて関わりが深いことが伺えます。藤圭子さんの『圭子の夢は夜ひらく』の歌碑が建立されています。

またテレビ番組の企画で井戸を掘っており、有事の際には利用できるように境内に井戸があるのです。花園神社にはかつて井戸がありましたが東京大空襲で焼失。改めて井戸を再建するために芸能浅間神社境内で掘り進めるのでした。その様子が2019年にテレビ東京の番組「新宿で井戸を掘る!」が放送されたのです。

 

テレ東プラス>約75年の時を超え、パワースポット「花園神社」の井戸が復活! 災害の備えてとして...井戸の重要性を周知:新宿に井戸を掘る!

 

いかがでしょうか。新宿区になる神社の中でも全国区に近い知名度を誇る神社ではないでしょうか。立地も伊勢丹本店のすぐ近くという場所。行ったことはなくとも存在は知っているという人が多いのではないでしょうか。他にも歴史的に重要なものがたくさんあるパワースポットです。新宿に来たときは足を運んでみてください。

 

甲野 功

 

★ご予約はこちらへ

電話   :070-6529-3668

メール  :kouno.teate@gmail.com

LINE :@qee9465q

 

ご連絡お待ちしております。

 

こちらもあわせて読みたい

これまでに訪れた神社やお寺を紹介したブログはこちら→詳しくはこちらへ

地域のおススメスポットを紹介したブログはこちら→詳しくはこちらへ