開院時間

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~人生で初めて救急搬送された~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 血液検査
血液検査の履歴

 

 

あれからひと月。

人生で初めて救急車に乗って救急搬送されました

CRP値15。

 

24歳のときに麻疹にかかり9日間入院しました。そのときに次ぐ”困難”でした。

 

8月半ば。お盆明けの頃。固いキャベツを右奥歯でかじったときに強い痛みがありました。その少し前にも同じ歯が痛いときがあり、そのときはしばらくしたら痛みが治まったので、このときも様子見をしようと思っていました。そして次女が発熱。1日置いて私も38℃台の発熱。時間差で長女も発熱しました。それと同時に歯の痛みだけでなく右顎が腫れてきました。週末だったので休んでいると週明けにはほぼ熱は下がり36.6℃ほどに。平熱に比べて若干高い体温ですが、まあそこまで熱がある実感はありません。顎は大きく腫れています。もちろん新型コロナウィルスの疑いがあるのですが、この顎の腫れは耳下腺や顎下腺の炎症も考えられ、それにより発熱した可能性も考えました。単純に虫歯(う歯)ということも。長女も次女もこの段階で平熱に戻っていました。私はまず歯科医を受診することにしました。

 

近所の歯医者を受診すると、顎が腫れたことにより既に口がしっかりと開かない状況。これではよく奥歯が診ることができないので腫れをひかせる薬と鎮痛薬を処方されて、口が開くようになったらきちんと処置をしましょう、ということになりました。薬を服用し始めるも顎の腫れも顎の痛みもひく気配はありませんでした。

 

その後、長女と妻がPCR検査をして長女のみが陽性判定。後日私と次女がPCR検査をしてどちらも陽性判定。自宅療養期間が始まります。私も含めて子ども達も体温・酸素飽和度に関して特に問題はありませんでした。しかし私の右顎は腫れが酷くなる一方でした。もう歯が痛いというより顎が痛い。顔が変形し口がますます開かなくなっていきます。段々と痛くなる感覚が短くなり痛み止めを飲むという状況でした。口が満足に開かなくなっていき食事そのものが困難になります。それまで使っていた電動歯ブラシから柄の細い歯ブラシに替えることに。

 

色々と体調面が重なったことで悪化したのだと思われます。まず体重が増えすぎているので7月末あたりから減量を始めていました。8月半ばの時点で4kgほど体重が落ちていて、そこからなかなか落ちないという状態でした。食べる量を減らしつつ筋トレを続けていて普段よりも肉体に負担がかかっていたのかもしれません。お盆休みに子ども達とプールに行き、泳ぎの練習をつけていました。そのときに私も少し泳ぎましたが、水泳により思った以上に体力を消耗したかもしれません。小学校時代4年間水泳を習っていたので泳ぐのが得意なのですが、気合を入れて泳いだことが思いのほか体に疲労を与えたような気が、思い返すとします。そこに新型コロナウィルス感染で免疫力が一気に低下したのではないかと。

ワクチン接種を3回済ませたおかげか、コロナの方の症状は軽微なものだったと思うのですが、顎の腫れは酷いという。

 

自宅療養が明けて歯医者にいくと、腫れはいっそう酷くなっていて薬の効果が出ていない、という判断でした。私ももう気付いていましたが、膿が溜まっているだろうから口腔外科で外科的処置をしないといけない段階だろうと。その時点では頬の内側だけなく、外側にも腫れが生じていました。ひげを剃った際に腫れて表面が引っ張られた皮膚が弱くなっていたのでしょう。マスクをしていたらその部分が擦れて接触性皮膚炎のような感じで腫れあがってきたのです。このときの私の顔は右下が大きく腫れて二重あごになり、さらに右頬の下外側にもう一つ膨らみが乗っかっている状態。体重は減量を始める前から8kg落ちていましたが顔は以前よりも丸い状態。ひどい有様でした。

 

まちの歯医者は近所の大規模な病院の口腔外科にあてて紹介状を書いてくれてそれを持って受診してくださいといいます。そして強い鎮痛剤を渡しました。私は先が見えない状況だったので少し気持ちが楽になりました。早速紹介された病院に電話を入れます。

しかし厳しい現実。

予約を入れようとすると9月20日になりますといわれたのです。電話をしたのが8月31日。20日も待っていられません。それならばこの紹介状を持って別の口腔外科を探してもよいですか?と聞きます。状況を知った病院側は、それならば9月6日の通常診療時間外に何とか対応するという話になりました。20日より2週間早まるのでそれでお願いしました。ただ6日間も待つのかという不安がありました。その時点で夜は痛みで目が覚めて、鎮痛薬を飲んでまた眠りにつくという状態でした。

 

そして9月2日(金)の夜。下の子を寝かしつけて一緒に寝ていました。しかし右顎の強い痛みで目が覚めてしまいます。今までに体験したことのないほどの痛み。それまでは痛いなと思っても横になっていられるくらいでしたが、そのときは座って必死に痛みに耐えるほど。鎮痛薬を飲みましたが効果がありません。前々から心配していた妻が救急車を呼ぼうか?と聞いてきます。時間は夜11時をまわっています。まだまだ新型コロナウィルス感染者が多くて救急車が来ないといわれていました。(おそらく)虫歯で救急車は呼べないだろうという気持ちと痛みが強すぎて耐えられないという葛藤がありました。しばらく耐えたものの一向に痛みがひかないため、「(救急車を)呼んでくれ」と頼みました。

 

この時点で入院することが頭によぎり、最低限入院できる準備をして荷物をまとめました。保険証はもちろん、渡された紹介状に服用している薬、コンタクトレンズ備品一式など。時期が時期ですからすぐに救急車が来てくれるとは限りません。せめてもと思い、玄関で座って痛みに耐えていました。幸運にも数分で救急車と救急隊員が来てくれました。このとき都会に住んでいて良かったとちょっと思いました。そして少し不安が薄れて痛みも軽減したような気がしたのです。

 

顎が強烈に痛いとはいえ自力で歩ける状態だったので、自ら救急車に乗ります。救急車内で詳しい状況を説明します。普段は自分が問診する側なのでなるべく分かりやすく時系列で話すことを心掛けました。3名の救急隊員さんがメモをしてタブレットに打ち込んでいきます。

あらかた状況が把握できたので搬送先への連絡が始まりました。まず紹介状の宛先である病院。そこでは深夜で担当の医師が不在なので来てもらっても特にできることはなく、月曜日にもう一度来てくださいとなりそうということ(金曜の深夜で土日をはさむ)。それができたら救急車を呼んでいないわけで、救急隊員さんが他の病院に連絡をします。そこは対応はできるが非常に時間がかかるということでした。救急隊員さんは事情を知っているようでやり取りの様子から数時間は待つことになるのではないかと。次の選択肢として東京大学病院を挙げました。そこがダメだともう東京都外になるかもと言われました。既に救急車に乗り込んで1時間近く経過しています。搬送先が決まらないということはよく報道でみてきましたが、いざ自分が体験するとなるととても不安なものです。

 

東京大学病院には救急外来に口腔外科の先生がいるということでした。幸か不幸か新型コロナウィルスに感染して療養期間明けということで、再度感染している可能性は低いこともあり、受け入れ可能という返答。救急隊員さんも、何より専門医がいるところがいいと思いますので東京大学病院に向かうのでよろしいですか、と言います。断る理由がないのでお願いしますと返答し、やっと救急車が出発することになりました。

自宅から本郷にある東京大学病院はさほど遠くありません。それでも深夜で緊急車両でありながら、思ったよりも時間がかかった印象でした。夜中でも交通量が多いことを知りました。

 

東京大学病院の救急外来の入り口から病院内に入ります。不思議とこの頃には痛みがおさまっていました。病院内には深夜にも関わらずスタッフが結構いて、3名の看護師(?)と思われる方が出てきました。救急隊員と申し送りや手続きをしつつ、別の人がバイタルチェックをします。体温、脈拍、酸素飽和度などを記入していきます。すると体温が37.6℃ありました。救急車に乗ったときに測ったときは36.9℃。まったく発熱している実感はありません。後にこの発熱は強い炎症反応のせいだと知るのですが、そのときは何で熱がでているのだろうと思いました。

 

病院に着いたことと医療スタッフが来てくれたことで安堵した気持ちだったのです。むしろ調子は良くなっている感じでした。

 

その後、口腔外科の先生が現れ、顎の状況を診てこれはかなりですねと言い、血液検査と点滴を指示しました。血液検査のため採血をしてそのまま点滴用の針を腕に刺されました。元々注射が苦手なのですがそんなことを怖がる余裕もありません。ただ点滴の輸液パックが大きいので、これが全て終わるには随分と時間がかかるのだろう、もちろん終わるまで処置がおわらないのだろうな、という不安にかられました。

 

先生から、このまま顎のCTと胸部のレントゲン撮影をするといわれました。点滴をしたまま?という疑問もありつつ、歩いて検査室へ。全身ではなく頭部だけCTスキャンに入る形です。腕は入らないので点滴のままできます。放射線技師さんに頭部を固定されてCTに入ります。それが終わるとそのまま寝た状態でレントゲン撮影用の板を背中に敷いてレントゲン撮影をします。CTと同時にできるとは知らなかったので、勉強になるなとこのときは呑気に考えていました。

処置室に戻り、歯医者であるリクライニング機能のついた椅子に座ります。口腔外科の医師から、血液検査、画像検査の結果を待ちます、おそらく外科的に膿を排出しないといけないでしょう、と説明を受けました。まあそうでしょうね、という気持ちではいと答えました。むしろそうして欲しいですと。検査結果が出るまでお待ちくださいと言われました。時刻は深夜2時を回っています。眼を閉じて休むことにしましたが眠ることはありませんでした。何分待ったか分かりませんが、処置室に医師が戻ってきて、CRPが15もありますね、これは大変でしたね、と言いました。

 

CRPとはC反応性蛋白(C-reactive protein)のことで、体内で炎症反応や組織の破壊が起きているときに血中に現れる急性期反応タンパクの一つです。血液中のCRP値をみると炎症状態かどうか、その程度はどうかが判断できます。学校の授業で習ってCRPは知っていましたがその数値が意味するところまでは分かっていませんでした。15とは15mg/dlのこと。この数値が大きいほど炎症反応が強いことになります。後で基準値(健康な状態をしめす範囲)を調べると0.3 mg/dl以下つまり尋常ではない炎症反応が身体に起きていたのでした。これは入院レベルです、と言われました。つまりこれだけ強い炎症反応が起きているので体温も上がっていたのです。恐ろしい。

 

まず外科的に口腔内から膿を出す処置をしますということでした。口腔内を洗浄した後に麻酔を注射します。この時点でかなり痛いのですが、それは想定内。許容範囲でした。麻酔が効いたら頬の内側を少し切開しドレーンという管を入れて溜まった膿を出していくと言います。それも想像していた通りでした。どうぞお願いしますという気持ちです。ほとんど口が開かない中、必死に口を開け続けます。麻酔が効いているので痛みは無いのですが何かしていることは分かります。狭い術野でよくできるな、さすが東京大学病院、と感心する余裕がまだありました。おそらくドレーンを入れて縫い付けたあとでしょう。頬の外側を指でグリグリ押し始めました。

 

それはもう激痛でした。

 

書いた通り顎の腫れは2段階になっており、内側の腫れと外側の腫れがあります。今している処置は内側の膿を出すためのもの。管(ドレーン)を入れて外への道を作ったので外側から圧をかけて排膿を促すというもの。しかし頬の外側にも膿が溜まっており、そこは触ると非常に痛いのです。その痛いところをグリグリ押して圧を入れていくのです。口を大きく開けたまま、足をばたつかせて痛みに耐えます。声を上げることができない状況で。これほどの痛みは人生で経験したことが無かったと思うくらいの痛み。見えませんが口腔内に出た膿をボールの空気入れのようなピストンで吸い上げているようです。それは後で理解しましたが、そのときはいつ終わるのか分からない激痛にうめき声をあげることもできず耐えるのみ。

 

一体どれくらいその処置が続いたのか分かりませんが、「はい、終わりましたよ」と言われたときには背中が汗でびっしょり濡れて、いつ終わるのか途方にくれた点滴のパックは空になっていました。

かなり膿が溜まっていてこれだけ取れましたよと太い注射のようなものが黄色い物体で埋まっていました。排出された膿のようですが呆然としていて理解する気力がありませんでした。

 

ただそのときは、生き残った、という気持ち

 

器材の後始末をしながら先生から、本来ならば入院する状態なのですがこれから自宅に戻って準備をしてまた戻るとなると二度手間になるので今日は帰宅して土日安静にしましょうか、と言われました。時刻を見ると4時。日付は9月3日(土)の早朝4時。思考能力が低下して、言われた通りにするしかありません。それから次は週明けの月曜日に来ていただいてそのときに外側も排膿しましょうと言われます。

 

処置室を出て事務の人に諸々の手続きをしたあと、薬を出してもらいます。深夜でも病院内で薬を出してくれることに感動を覚えました。薬の準備に10分くらいかかり、段々と落ち着いてきました。化膿止めと痛み止め、口腔内を洗浄するうがい薬を出してもらい、深夜出口へ。タブレット端末が用意してありタクシーを配車してもらえます。まだ暗い中、しばらく待つとタクシーが来てくれました。タクシーに乗り自宅へ。

 

9月3日(土)の早朝4時半過ぎに帰宅。ほぼ徹夜ですが不思議と眠たくなく、気持ちが晴れやかでした。妻と長女は深夜2時まで起きていたそうですが帰宅すると寝ていました。横になり眠れないまま朝を迎えました。次女はずっと寝ていたので何が起きたのかわかりませんし、妻と長女も目が覚めたら私が帰宅していて驚いたようでした。てっきり入院するものかと。

外科的排膿処置をしたものの見た目は腫れたまま。変化が分からなかったようですが、私の中では劇的に良くなった実感がありました。口をゆすぐと血が混じるので膿が出続けているようでしたし。気持ちが高ぶって眠れなかったのですがお昼ごろから眠くなり久しぶりにぐっすりと眠ることができました。

 

長女曰く、病院から帰ってきたら凄く活舌が良くなったといいます。自覚は無かったのですが顎の動きが改善されてきたのでしょう。土日はしっかりと休み、週明けの月曜日に再び東京大学病院に向かいました。

 

週明け昼間の東京大学病院は別世界でした。とてつもないほどの人の数。スタッフも患者も。正規のルートで通院したわけではないので診察券発行に待ちます。それが終わると機械を通して端末を貰います。診察の前に血液検査に行くように指示されて血液検査の場所へ。広い場所に同時に十数名が同時並行で採血をしています。採血が終わり止血してから本来の口腔外科へ。救急外来とは場所が違うので迷いました。それから体温をはかり健康チェックシートを記入。診断まで更に30分ほど待ちました。大病院でよくあることですが、ほとんど大きな病気をしてこなかったのでこの時点で疲れてしまいました。

 

やっと診察になり、血液検査の数値をみた先生は、劇的に良くなりましたね、と言いました。そして今日は外側の処置をしましょうと。外側に腫れた頬から膿を排出させます。麻酔をすることなく皮膚表面を刃物で少し切り、またグリグリ押して排膿を促します。予想通り鋭い痛みが襲いました。それでも救急外来のときほど時間はかからず、やはりかなり出ましたよと吸い出した膿をみせてくれました。ガーゼを頬に貼って寝る前に取り替えてくださいねと言われました。とにかく腫れが引いて口が開くようにならないと根本の処置ができないのでまず顎の方の回復を待ちましょうということでした。

 

診断が終わったら替えのガーゼとそれを留めるメディカルテープを売店で購入します。そして診療会計へ。会計するにも長蛇の列。やっと順番が来ても処置が終わると電光掲示板に出ますから自動会計機でお支払いをお願いしますと言われて、また番号が出るまで待ちます。それが終わったら処方箋を持って院外薬局へ。薬局でも初診ということで書類を書いて登録して調剤を待って。かなり時間がかかりました。

全てが終わった頃にはぐったりして、帰りもタクシーを使ってしまいました。普段なら交通費がもったいないと地下鉄を使う所ですが。

 

3回目の受診で顎と歯のレントゲン撮影をして根本原因となっている親知らずとその隣の歯を特定します。この頃になると目に見えて顎の腫れが引いてきて口が開くようになっていました。うがいをしても血がまじらなくなり、ドレーンを取りました。またガーゼを替えても血がつかなくなってきました。ただまだまだ口が開かないので開く努力をしてくださいということ言われます。

 

そして衝撃の一言を言われます。

血液検査の数値をみると貧血と栄養不足になっているのできちんと食べてくださいね、と。貧血に栄養不足?だから疲れやすいのかと納得しました。ちょっと前まで減量していたので、意識を変えて意図的に食事の量を増やして栄養のあるものを摂るようにしました。気が付けば減量前より10kg体重が落ちていました。はかからずも約20年前の競技ダンス選手時代当時の体重に。これはまずいと、今は脂肪も必要だろうと、反対にお菓子も食べました。

 

段々と通院回数は減り、口が開くようになってきました。もう薬も飲んでいません。根本原因となる歯の抜歯も日程が決まりました。まだ終わっていませんが、やっと終わりが見えてきました。

 

今回の件で患者さんの気持ちがよく理解できました。ときに医療従事者の存在がどれだけ安心させてくれるのか。救急車、救急隊員、深夜の救急対応など国の医療設備を体感しなんて有難いことなのだと感じました。都心部に住んでいることも大きいと思いました。金曜の深夜にも関わらず救ってくれた医療システムに感謝し、医療系職種の端っことはいえ自分の存在意義を改めて考え直すきっかけにもなりました。これは3年間週一の大学病院勤務経験より大切なことを学んだかもしれません。多くの患者さんを断ってしまったことの悔いもありますし、これから恩返しのためにも本職を全うしようと決意する“困難”でした。

 

甲野 功

 

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