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~『鬼滅の刃』が描いた遊郭~

映画「鬼滅の刃 上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」パンフレット
映画「鬼滅の刃 上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」パンフレット

 

 

公開3日で興行収入が11億円を突破しという映画『鬼滅の刃』。その公開3日目に鑑賞してきました

 

アニメ「鬼滅の刃」公式ポータルサイト ワールドツアー上映 上弦集結、そして刀鍛冶の里へ

 

あまり知られていないかもしれませんがこの作品は“映倫PG12”指定なのです。これは12歳未満の子どもが鑑賞するには保護者の助言・指導が必要ということです。少年ジャンプで連載されてテレビ放送もされるアニメにもかかわらず。

 

この指定が付く理由は残酷な描写があるからといえます。鬼という人ならざるものと戦う話で、不死身の鬼を倒すには日輪刀という特殊な武器で首を切り落とさないといけません。鬼はみな元々人間です。異形の姿になっていますがベースは人の姿。人型の鬼を、主人公側の鬼殺隊が、首をはねていく。そして鬼は人を食べるので、人型の鬼が、人間を殺して食べる。そのような描写が多数出てきます。昭和の頃はもっと酷い描写が当たり前のようにありましたが、令和の今は考慮しないといけないのでしょう。

 

その残酷な描写以外に本作品になっている「遊郭編」は、テレビ放送前から一部苦言があがっていました。舞台は大正時代の東京吉原。遊郭に潜む鬼を鬼殺隊が退治しに行く話です。子どもがみる作品に遊郭を描くのはいかがなものか、子どもが変に真似するのではないか、吉原遊郭を美化するのはけしからん、というような。実際に「遊郭編」が放送されると浅草や吉原に観光客が増えたという報道がありました。しかしきちんと作品を観ると『鬼滅の刃』が描いた遊郭の描写は煌びやかな面だけではなく、もっと生々しく残酷なものでした

 

JIN-仁-』というマンガをご存知でしょうか。村上もとか氏作で現代の脳外科医が幕末の江戸にタイムスリップするという話です。テレビドラマが大ヒットして大河ドラマ並だと話題になりました。作者村上もとか氏はこの作品を執筆するにあたり、幕末の遊郭において遊女の厳しい有様を知りそれを描きたいと思った、といいます。『鬼滅の刃』が描く遊郭もこれに近いものがあると私は思いました。

 

映画のクライマックスは妓夫太郎(ぎゅうたろう)と堕姫(だき)という強力な鬼を主人公たちが死力を尽くして倒すところです。妓夫太郎と堕姫は兄妹の鬼で同時に首を落とさないと倒すことができません。どのように二体同時に倒すのかが見どころでした。鬼を倒して目立たし目立たしと終わるのであればいいのですが、最後に妓夫太郎と堕姫の過去が描かれるのです。妓夫太郎と堕姫が死ぬとき精神世界が描かれます。妹の堕姫が首をはねられたときに妓夫太郎は梅と叫び、そうだ妹の名前は梅だったと回顧するのでした。

 

妓夫太郎は遊女のもとに生まれ、生まれつき醜い容姿。幾度となく口減らしのために実の母に殺されかけます。やせ細った体と醜い容姿がコンプレックスでしたが、美しい妹“梅”が生まれてから変わります(梅が鬼になり堕姫と名を変えるのです)。梅という名は母親の病気から名付けられた。その事実が妓夫太郎の口から語られます。作中では明言されていませんが、母親が梅毒にかかっておりそのことから梅という名前がつけられたことが示唆されます。そうなると妓夫太郎の顔が醜いのは梅毒の垂直感染(母子感染)であることが想像できます。梅毒は遊郭で蔓延しやすい病気で、現在も感染者数が増えているといいます。症状が悪化すると身体に様々な症状が現れ、鼻が崩れ落ちることもあります。先に挙げた『JIN―仁―』では梅毒にかかり末期症状となった顔が崩れた遊女が苦しみながら口減らしのため見捨てられる様が描かれています。兄の妓夫太郎は先天性梅毒だったと思わるのです(作中にそうだと明言しているシーンはありません)。美しい妹、梅が誇りとなった妓夫太郎。生来の腕っぷしの強さと醜い容姿を活かして借金取りになります。妹梅と二人で苦しいながらも生活していきます。

 

美しく成長した梅が13歳で客をとることになり、そこで客である武士の目をかんざしで衝いて失明させてしまいます。その報復で梅は手足を縛られて生きたまま焼かれるのです。仕事から戻った妓夫太郎は丸焦げで虫の息となった妹梅を抱きかかえて恨みを述べます。なぜ俺には何も与えない、俺から奪っていく。禍福は糾える縄の如しではないのか。そこに現れた強い別の鬼に、二人とも鬼になれば妹も助かるぞ、と勧誘されて鬼になるのです。鬼はずっと生きることができるので妓夫太郎と梅が鬼になったのは江戸時代の頃だと思われます。それからずっと遊郭に潜み、梅は堕姫と名を変え表向きは花魁として生活し妓夫太郎は隠れていました。そして大正になり鬼殺隊の捜査に引っ掛かったということ。

 

死ぬ間際に精神世界が描かれます。妓夫太郎は鬼になったことは後悔していないと語ります。しかし妹のことは後悔しています。素直で他人の意見に染まりやすい梅。もしも遊郭で生まれなかったら。妓夫太郎が奪われる前に奪えと教えなかったら。もっと幸せな人生を送れたのではないか。そう今わの際に思案します。暗い地獄と思われる先に歩を進めるところに妹梅がしがみついてきて一緒に行きたいといいます。妓夫太郎は梅に、お前は向こうの明るい方へ行け、付いてくるなと突き放します。しかし梅は離れない、ずっとお兄ちゃんと一緒だと泣いてしがみついたまま。二人は暗い世界に歩いていき終わります。

『鬼滅の刃』の世界観として、人を殺した鬼はどれだけ元が善良な人間であっても地獄に行く、ということがあります。人間のときの梅は被害者ですが、鬼の堕姫になってからは数多くの人間を殺して食べてきました。その後の作中でも似たようなシーンが出てきますが、鬼となって人を殺した者は地獄にいくということは徹底しています。その反面、残酷な鬼であっても人間時代のことを丁寧に描きます。

 

「遊郭編」では吉原遊郭という実際する場所で、実際起きたであろう悲劇をきちんと描いています。そしてそれをすることで、悪い鬼を良い主人公たちが退治しました、という単純な勧善懲悪に終わらせていません。今もある吉原神社や吉原弁財天を訪れました。そこには関東大震災での火災で多くの遊女が火から逃れるために池に飛び込み死んだという事実を語っていました。「遊郭編」では鬼の超能力で吉原が壊滅するような被害を受ける描写があるのですが、実際に起きた吉原の大災害を示唆しているように思えました。

 

『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴氏は素性をほとんど明かしておらず性別も不明です。女性であると言われていて、私もそう思います。少年誌の暗黙のルールで、作中で若い女性や子供が殺されることを避ける傾向があります。数多くの少年ジャンプ作品で言われることであり、現代のヒット作で今でもそれに従わないのは『HUNTER×HUNTER』と『鬼滅の刃』くらいではないでしょうか。特に「遊郭編」の妓夫太郎と堕姫の人間時代のエピソードはかなりえげつないと感じます。それを正面から描くのは男性作者だと躊躇すると思うのです。梅は13歳で遊女として働き、生きたまま焼かれるのです。歴史上そういうことがあったとしてもそれをエピソードとして描くというのは。少年ジャンプというメジャー少年誌で取り組んだことは勇気がいることだったのではないでしょうか。

マンガで読んでいた内容がアニメなり美しい作画と声優の演技が加わります。声とBGMも。同じ内容をテレビ放送で観て。更に映画館のスクリーンで改めて観たときに受け取る印象は大きく変わりました。パンフレットを読むと、声優たちはこのシーンを演じるのが大変だったとあります。

 

『鬼滅の刃』が描いた遊郭。映画館の映像を観てまた考えさせられました。

 

甲野 功

 

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