開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~姪に泳ぎを教えた~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 雨の紫陽花
大雨の中、プールに行きました

 

 

今年のゴールデンウイークが終わりました。全国の観光地で混雑している報道が目立ち、観光業が元に戻ったどころかコロナ禍前よりも盛況、なんて声もあったようです。最終日、東京都新宿区は大雨に見舞われました。雨の中、新宿区内公営施設のプールに行きました。

 

その前日に突然姉から子どもに泳ぎ方を教えてくれないかと依頼されます。

 

コロナ禍と言われたこの3~4年間。多くの学生活動が影響を受けましたが、水泳の授業も該当します。公立の学校自体が休校になった2020年新年度でした。夏場での体育でプールが使われなくなりました。どう考えてもマスクをしてすることができない水泳の授業は活動自粛の最たるものだったかもしれません。民営のプール教室も多くが影響自粛した時期もありました。これらによって子どもが泳ぐ機会が大きく削がれました。

それでなくともコロナ前から暑すぎるためにプール禁止ということがありました。熱中症対策のため、外気温と水中温度が規定よりも高くなると屋外での体育授業ができなくなります。私が子どもの頃には考えられませんでしたが、暑すぎて(外気温が高すぎて)プールに入れないという。暑いからプールに入るはずが、暑すぎて入れない。本末転倒ではないかと思いますが、現に水泳の授業中に熱中症患者が出ているので仕方ありません。昨年では、プールの体育授業は禁止だからと水着に着替えてプールに浸かってまた教室に戻るということがあったとか。

更に水泳を子どもに習わせようとしても人気が集中してキャンセル待ちという状況が私の生活圏で起きています。プールでのコロナ対策のため開放していない、人数制限をするなどが原因です。諸々の事情があり、泳ぐ機会が減ってしまったのが今の児童。

 

姉は子どもに泳げるようになってもらいたいが水泳教室は一杯。そこで思いついたのが弟を頼るということだったようです。

 

あまり自身で触れることがないのですが、私はまあまあ水泳が得意です。履歴書の得意な項目に書くことはできるくらいに。ただ他にもっと得意なこと、好きなことがあるので書くことがないのですが。小学校2年生から6年生の終わりまで水泳教室に通い4泳法(背泳ぎ、クロール、バタフライ、平泳ぎ)はもちろん、個人メドレーまでやりました。飛び込みやクイックターンもきちんと練習しました。競泳レベルまで水泳を習っていました。特に平泳ぎは自信があり、最盛期はクロールより速かったのです。本来競泳でこのようなことは起きることは無く、致命的にクロールが遅くて平泳ぎが得意だったということでしょう。通っていた水泳教室では1級まで進み、これより先は完全な競泳選手コースという段階で教室を止めました。もう練習がきつくて。

 

小学校のときに習得したことはその後もずっと残ります。

 

中学校に進学し部活に入らないといけなかったとき、水泳部に入りたいと思いました。ところがその中学校には水泳部が存在しませんでした。球技全般(それどころか道具を使うスポーツはどれも)で苦手で、足も遅かった。天性のバネで走り幅跳びは割と得意で(助走が全く生かされていないのに距離を跳べた)、これと水泳がスポーツで残された道でした。走れないので陸上部は無理。水泳部が一番良かったのですが、それが存在しないという運命。中学の水泳大会では泳げる人がほぼいないという理由でバタフライ競技に出たのが中学時代のスポーツにおけるハイライトでした。

 

高校に入り、今度こそ水泳部に入ろうと思ったら、プールがない高校でした。プールが無い。つまり練習のために毎回施設を借りるということ。金銭的なことを考えてもこれはちょっとなと思いました。しかし高校には山岳部があったのです。物心つく前から父親の都合で山登りをしていた私。小学校までは登山家レベルの父親と一緒に数多くの山を上っていました。小学校、中学校ではその凄さを披露する機会が無かった登山能力を発揮できる場所(山岳部)があるではないか、と山岳部入部を決めたのでした。

 

大学に入ると、父親も大学時代に所属したワンダーフォーゲル部や今度こその水泳部を視野に入れて新入生歓迎活動をしていました。ただ大学から登山を始めるケースが多いせいかワンダーフォーゲル部の話は初心者向け過ぎて興味が持てず、水泳部は高校同様プールが無いことがネックでした。飯田橋駅前の東京理科大学神楽坂校舎にプールを作るような土地があるはずもなく。そうこうしているうちに巧みな勧誘に引っ掛かりどっぷりと舞踏研究部(学生競技ダンスをする部活)にはまり今に至ります。

 

もしも何かタイミングがはまっていたら競泳一筋の人生だったかもしれません。それくらい真面目に小学校の4年間、水泳と競泳をしていました。その水泳を始めるきっかけ。

 

それは姉だったのです。

 

元々父親の持論で『山に入るなら泳げないといけない』という理由から保育園くらいから家族でプールに行って泳ぐ練習はしていました。小児喘息がひどかった姉は、喘息には水泳がいいということで母親が習わせることにしたそう。そのときに弟も一緒に入れてしまえということだったと記憶しています。小学2年生の私と4年生の姉。最初は一緒に水泳教室に行っていましたが姉が6年生くらいのときに辞めてしまいます。姉は当時色々な習い事をしていて、要領がよく成績が非常に良かったです。かつ親の期待に応えなければという責任感があったようで習い事を続けてそれもかなり高いレベルでした。その姉が水泳は途中でやめると言い出しました。それくらい練習がハードでした。今ではできないような厳しい練習を課していました。親の立場ならそれはやりすぎだと感じるほどに。まだ20世紀。1980年代。そういう時代でした。

私も何度か練習がきついのでさぼって友達の家で時間を潰して頭を濡らして帰宅したことがありました。本音を言えば私も辞めたかったのですが、姉が先に辞めることなどなかったので言い出せず小学校卒業まで続けることになります。私は習い事を始めても途中でやめてしまい、水泳教室と理科教室だけが続いていました。姉が先に水泳をやめてしまったので弟としてはやめたら気まずい。それが小学校最後まで続けられた理由です。

 

そういった過去があり、姉としては、自分は途中でやめたけれど最後まで続けた弟なら泳ぎを教えるのは得意であろう、という心理的バイアス(偏向)があったのかもしれません。

そういうわけで姉とその子ども、私と私の長女、4名でプールに行きました。姉と一緒にプールに行くのはもしかしたら小学校低学年以来かもしれません。それくらい記憶にありません。男女の姉弟なので段々と行動が別々になるもの。いとこ家族と逗子に旅行にいったときが最後のような気がします。

 

数十年を経て互いの子どもを連れてプールに行く。

それも互いに小学校時代にいっていた公営プール。

何とも言えない気持ち。

姉がきっかけで水泳教室に通い、競泳レベルまで学び。その経験が巡り巡って姉の子どもに泳ぎを教えるということに還元されました。こんなことが人生で起きるのだなと感慨深いものがあります。互いに親になったというか。両親が聞いたら驚くことでしょう。

 

個人的にとても印象深い出来事でした。

 

甲野 功

 

★ご予約はこちらへ

電話   :070-6529-3668

メール  :kouno.teate@gmail.com

LINE :@qee9465q

 

ご連絡お待ちしております。

 

こちらもあわせて読みたい

院長の過去、経歴に関するブログはこちら→詳しくはこちらへ