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~王子神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 王子神社
王子神社

 

 

鍼灸マッサージ専門学校を卒業し、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師免許を取得したのが2007年3月。それからプロとして約4年間働いたのが東京都北区十条でした。ルーキーとして一歩を踏み出した地。翌2008年から柔道整復師専門学校に入学し学生と現場の2つを行き来。代々木で学びと十条で実践を。その間に結婚。妻と出会ったのも十条でした。十条を起点に赤羽、王子付近までよく足を運びました。板橋や浦和なんかも。この仕事に就いた大切な頃、確実に北区は生活圏でした

当時、働いていた職場には王子神社のお札が掲げられていました。王子神社の氏子地域だったからです。間接的に王子神社の加護があったかもしれません。今回は東京都北区の王子神社を紹介します。

 

王子神社

 

その名の通り、JR、東京メトロ、都電荒川線(さくらトラム)各線が通る王子駅から徒歩数分のところにあります。側には飛鳥山公園があります。

そもそもこの王子という地名の由来になったのがこの王子神社です。御祭神は原初の夫婦神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、そしてその子である天照大御神(あまてらすおおみかみ)、それに速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱(※神様を数える単位は柱)。この五柱を総称して王子大神といいます。王子神社の旧称を王子権現といいました。王子というのは紀州(現在の和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神様の呼称であり、熊野古道には多くの王子神が祭られていました。

正確な創建時期は不明で、平安時代の頃(1058年~1065年)に源義家が奥州征伐のおり、当地で慰霊祈願を行い凱旋の日に甲冑を奉納したと伝わります。鎌倉時代末期(1317年~1319年)と元弘(1331年~1334年)年間に当地の領主豊島氏が社殿を再興しました。元亨2年(1322年)には紀州熊野三社熊野新宮の浜王子より改めて若一王子宮を勧請・奉斎、改めてと奉斉します。これよりこの地域は王子という地名となりました。戦国時代に領主となった小田原北条氏も王子神社を篤く崇敬し社領を安堵します。天正19年(1591年)に徳川家康は朱印地200石を寄進し、将軍家祈願所と定めます。それより代々徳川将軍の崇敬あつく、王子権現の名称で江戸名所の一つになっていきます。3代将軍徳川家光は寛永11年(1634年)に新たに社殿を造営し、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」3巻を作らせて王子神社に寄進しました。5代将軍徳川綱吉は元禄16年(1703年)に、10代将軍徳川家治は天明2年(1782年)に、11代将軍徳川家斉は文政3年(1820年)に社殿を造営修繕します。

特に8代徳川吉宗は紀州徳川家の出自であり、王子に紀州ゆかりの神社があることを大いに喜びました。元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進し、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが現在も桜の名所として有名な飛鳥山公園に繋がります。

明治維新後、明治天皇は、新たに首都となった東京を守護し万民の安寧を祈るため准勅祭社を定めます。王子神社はこの東京十社に選ばれます。太平洋戦争時には戦火により大きな被害を受けます。戦後は昭和39年(1964年)と昭和57年(1982年)に再建をして現在の姿となっています。令和4年(2022年)には豊島氏による創建から700年を記念する祭りが催され、田楽舞が奉納されました。

 

現地を訪れると大鳥居が目に入ります。高さが約8.6m。石造りの鳥居としては都内有数の大きさ。立派な佇まいです。鳥居をくぐるとすぐ左手に神輿蔵があります。中には平成29年に奉納された神輿がありガラス張りになっていて外から見ることができます。正面には黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りの社殿が見られます。社殿前にある狛犬は「子育て狛犬」という珍しいもの。向かって右側の狛犬が父親で子どもをあやす鞠を前足で押さえており、向かって左側の狛犬が母親で子どもを前足で守っています。このような夫婦親子の狛犬を私は見たことがありませんでした。社殿右手には大銀杏があります。樹齢600年で戦時中の東京大空襲で唯一戦災を逃れた貴重なもの。東京都天然記念物です。

 

他にも珍しいのが末社の関神社。こちらは「髪の祖神」です。御祭神が蝉丸。あの百人一首でも有名な。子どもの頃、坊主めくりをした記憶がよみがえります。蝉丸は姉である逆髪姫のために「かもじ・かつら」を考案して髪を整える工夫をしたと伝えられます。そのため髪の祖神として関蝉丸神社として逢坂山(滋賀県大津市)に祭られています。その御神徳を敬仰する人達がかもじ業者を中心として江戸時代に奉斎されたのが関神社です。やはり昭和20年(1945年)の空襲で社殿が焼失し、その後昭和34年(1959年)に全国のかつやや美容師関係者からの寄付で再建されました。毛髪報恩のための毛塚があります。

 

東京23区の北の端に位置する北区。その北区で中心的な町である王子。地名の由来となった王子権現、王子神社。私にとって修行の地だった北区を守る神社です。

 

甲野 功

 

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