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~高校2年生の同級生と会食~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 高校2年生のクラスメイトと会食
高校2年生のクラスメイトと会食 卒業アルバムと写真

 

 

昨日は飯田橋にて高校2年生で一緒だったクラスメイト4名と食事をしました。参加者によって幅がありますが約30年ぶりの再会でありました。

 

私の母校は國學院高校。渋谷にある國學院大學の付属高校。國學院久我山が有名で、最近では國學院栃木もスポーツが強く有名になってきています。しかし最初に設立された付属高校が國學院高校です。敢えて旧字を使うのが卒業生のこだわりで「国学院」と書いてもいいのですが、正式名称は「國學院」です。日本で2つしかないらしい、神主の資格が取れる大学の一つ國學院大學。神道の大学として有名です。私は高校受験の際にそのような背景を知らず、入学式翌日のオリエンテーションで新入生全員が歩いて明治神宮まで歩いていき、拝殿前の広場できちんとした参拝をした理由が分かりませんでした。当時は1学年に600名在籍していて、600名が神宮球場の前にある高校から徒歩で原宿竹下通りの前を素通りして明治神宮境内まで歩いたのです。観光客からしたら異様な光景だったことでしょう。高校校舎内には神道にまつわる資料室がありました。当時は仏教と神道に違いも分からなかったので今だったらとても興味深く鑑賞したと思います。結局在学中にその資料室に入らなかったと思います(記憶が定かではない)。

 

國學院高校は進学校でシビアに成績順位を出していました。入学直後に受験成績はクラスで何番目かを知らせる紙を渡されました。そこには25/50とあり、50人クラスで25番目の成績ということが記されていました。ちょうど真ん中。学級委員長も担任が入試成績から指名していて、立候補とか推薦ということはありませんでした。成績順位は高校在学中ずっとついて回りました。2年生になるときに理系か文系か選択します。私は理系を選択しました。國學院大學が文系の学校であり、多くが内部進学で大学にあがっていきます。そのため大多数が文系を選択します。理系の中でも世界史選択にするか日本史選択にするかも決める必要があり、私は理系・日本史という組み合わせでした。その選択により2年生のクラスが決定しました。そのように理系・日本史を選んだ者が集まったのが、私がいた当時の2年3組でした。なおその時の担任は私が在籍していた山岳部の顧問で数学の先生でした。そして後に担任であり部活の顧問だった先生は國學院高校の校長になります。理系クラスの3倍くらい文系クラスの人数がいました。よって文系が大多数の中、敢えて理系を選んだ人間が集まったクラスという実感がありました。2年生からは授業科目・内容が理系クラスと文系クラスで大きく変わりますし。

 

その後、東京理科大学に進学することになる私は高校2年生のクラスが大きく影響しました。やはり國學院高校で理系に来るというのはそれなりに覚悟があり理系の情熱があるやつが集まっている気がしました。既に述べたように成績順位をしっかりと教える環境だったので、元1年〇組の1位があいつらしい、あれが元〇組の1位だ、といった会話がありました。高校2年生ながら理系科目や科学への情熱がある者が多く、「将来は種無しメロンを作りたい」「空の色を青じゃない色にしたい」、なんて語るやつもいました。数学が非常にできる同級生がいて、数学の定期試験は毎回満点で試験が返却されると点数を確認してすぐに丸めてゴミ箱に捨ててしまう猛者もいました。私は物理が好きで後に応用物理学科に進学するのですが、この高校2年生の環境により将来宇宙物理学を学びたいという気持ちが芽生えるのです。実は高校1年生までは何となくスポーツトレーナーやスポーツ医学がいいなと思っていて、1年時に実施された進路アンケートで将来欲しい資格に鍼灸師やマッサージ師を挙げていたのでした。これは今の仕事に繋がるのですが、2年生のクラス環境が物理学に傾倒する形になります。よく東京理科大学を出てなんでこの仕事をしているのか?と質問されるのですが、もともとは今の仕事のようなことをしたいと考えていたところ、2年生になり理系クラスになったときに理系熱、物理熱が強くなって大学を選んだというのが答えになります。

 

それから約30年。久しぶりに会いました。一人はここ数年何度か会っていました。一時期飲食をしていて、食べにいったのです。その人のお誘いでいつも集まる会に出席させてもらったという感じです。本当に卒業以来一度も会っていなかったという同級生もいました。一人は浪人して東京理科大学に入学したので、大学も一緒だが学年学科は異なるという人。あとは大学も違う人。このようなメンバーで5人が飯田橋に集まりました。奇しくも飯田橋は東京理科大学があるところなので私ともう一人にとっては大学時代を過ごした街であります。

 

今回の集まりを前に治療院に置いてあった高校時代の写真やアルバムの一部を持参しました。当時はデジタルカメラがなくフィルムカメラのみ。現像しないと写真をみることができません。今のようにスマートフォンに送るということなで夢にも思えない平成初期。その当時から父親の教えで写真撮影をして現像、焼き増しをしていました。今の若い人には現像とか焼き増しって何か分からないでしょう。写真も保存してありました。それらを持参しました。あまりに懐かしくて本人が自分自身を探せないという事態にも。また紙(現物)はやはりいいなあという感想も。スマートフォンやタブレットで見るより見やすいし、焼き増し希望のためにアルバムの縁に希望者の名前がメモされているのも当時の字が残っていて。

 

みんな年齢を重ね家庭を持ち、社会的責任を担っています。ありきたりですが高校生だった頃は想像がつかなった現在の状況。名刺交換をするなんて。そしてやはり当時の話になります。令和の今ならダメな話がたくさん出てきます。今振り返ると平成初期も昭和に比べるとマイルドですが、令和では考えられないことが日常にありました。気づけば本当にしょうもない話ができる環境はなくなって、久しぶりにくだらない会話をした気がします。社会的な立場もない未成年で、大学すら入っていない時期の関係性があるからでした。大学に入ってからの友人とは今集まってもこのような会話になりません。まして社会人以降出会った人ならなおさら。小学校、中学校でもない、大学、会社でももちろんない、高校時代を過ごしたメンバーでないとできない会話でした。また量子力学や数式といった理系の話題になりました。量子とは。相対性理論とは。数学的な次元とは。オイラーだアインシュタインだ。今思えば未熟な知識で数学や物理、化学の話を熱く語っていて頃を思い出します。そういえばこんな会話をあの頃していたなと。大学に入ると授業が難しくてついていくのが精いっぱい。同じように東京理科大を出た同級生とは大学の勉強が辛すぎて思い出したくないという話題に。純粋に科学に向き合っていたのは高校2年生ピークだったかもしれません(3年生になると大学受験が出てくる)。

 

過去の思い出話だけではありません。約30年経過し各々の仕事や専門性に関する話題もあります。そのような仕組みなっているのかと勉強になることがたくさんありました。色々な職種なので未知の話題がたくさん。2年半でサラリーマンを辞めた私にとって社会勉強になりました。失礼かもしれませんが立派になったなと感慨深いものがあります。

 

ある程度新型コロナウィルスがおさまり、夜会食できる状況が戻ってきました。このタイミングで東京理科大学のある飯田橋で集まり話ができたことは有意義でした。それぞれ高校卒業後の時間を経て今がある。懐かしさとともに頑張ろうという気持ちが強く芽生えました。やる気が出ました。

 

甲野 功

 

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