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~スーパードクターKシリーズ通算100巻~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 Kシリーズ通算100巻
Kシリーズ通算100巻

 

 

今月12月21日に『K2』最新刊第46巻が発売されました。それにより『スーパードクターK』シリーズが累計100巻となりました。

スーパードクターK』は真船一雄先生による日本の漫画。週刊少年マガジン誌(講談社)で昭和63年(1988年)から平成10年(1998年)まで連載されていました。昭和63年というと私が11歳。この頃、何かのきっかけで目にした『スーパードクターK』という作品をずっと読むようになりました。現在この仕事をしていますが人生で初めて医療・医学に興味を持ったきっかけはこの『スーパードクターK』でした。そう振り返ると今の私を形成した遠因となる作品ともいえます。またずっと『スーパードクターK』シリーズと歩んできたと言えるかもしれません。これまで折に触れて本作を紹介してきましたが、通算100巻達成を記念して改めて私が歩んだ道のりとともに作品の遍歴をお伝えします。

 

昭和末期。1988年から連載が始まった『スーパードクターK』。時代としては少年ジャンプ誌で『北斗の拳』が大人気でした。その影響を受けているのは明白で主人公KAZUYAは190cmを超える大男で筋肉ムキムキ、拳銃相手の暴漢にも素手で立ち向かい倒してしまうのでした。ほとんど笑わないキャラは『北斗の拳』主人公ケンシロウにかなり近いです。KAZUYAは、裏の世界で生きる凄腕医師の家系に生まれ、天才的な手術技術、圧倒的な医学知識、情人離れをした肉体と戦闘力を兼ね備えています。普段はブーツを履いてマントを羽織り、急病人がいればすぐに対応し病院に押しかけ「この手術は俺に任せろ」と冷静にいっていきなり手術をし、周囲の医師が何というメスさばきだと感嘆し、手術が終わると「後の処置は任せた」と去っていくのです。冷静になってみると滅茶苦茶なのですが昭和末期という時代と少年漫画だからということもあり素直に受け入れていました。何度も秘密組織に襲われ、宇宙空間で手術をするまさにスーパードクターでした(色々な意味で)。当初のキャッチコピーが「ハードボイルド医学伝説」。医学という非常に現実的な題材に非現実的なキャラ設定が加味されていました。しかし医学監修はしっかりしていたので医療シーンはとても正確でした(小中学生当時の私には本当に正のかは判断できませんでしたが)。医学、医療って面白いなと本作から知り、中学生の時は漠然とスポーツドクターになりたいなという想いを抱いていました。それは本作で怪我を負ったアスリートを手術で回復させていく話が多数あったからでした。

 

『スーパードクターK』は8年にわたる連載で44冊のコミックが発刊されました。十分な長期連載。そのせいか終盤はKAZUYAが高校の校医となり「保健室の先生」になります。闇に生きる医者が。普段マントを羽織って生活している臓器移植のスペシャリストが。最後の方は学園ドラマになっていました。そこから原点回帰の必要があったのでしょう。『Doctor K』という名前に変更して仕切り直すことになります。ひとまず『スーパードクターK』は44巻で完結。また新たに『Doctor K』が新連載するという形でした。

 

Doctor K』はストーリーも登場人物も前作と同じまま。内容はかつてのハードボイルドに戻す形となり、実はKAZUYAには妹がいたということで闇落ちしたKEIが登場。アメリカ合衆国大統領へ暗殺を企てアメリカに生物兵器を用いたテロを画策するのです。ちなみにKEIもブーツにマントというKの正装を踏襲しており、目立つこと極まりない服装で国家転覆を狙います。結局KEIは改心し仲間になります(というか本来の兄妹関係に)。『Doctor K』は1997年に第1巻が発売され1998年発売の第10巻で完結します。『スーパードクターK』連載開始から10年目でした。最後はKことKAZUYAが癌に侵されて死亡することで作品は終わるのです。享年36歳。超人的な肉体を誇り数多の患者の命を救ったKAZUYAが病気で亡くなる。少年漫画、医療漫画では非常に稀な内容です。それも一度は手術をして快方に向かうのですが再発し手の施しようがなく亡くなってしまいます。もう一人のKことKEIをもってしても命は救えませんでした。最後はおそろしく現実的な結末だったと思います。

なお最終回のラストでは、それから20年後のシーンが描かれています。2018年。KAZUYAの盟友である高品龍一の息子が医学生で将来に悩んでいます。そこに現れたマントを羽織ったKAZUYAそっくりの長身の男性。名前を聞かれると「Kだ」と応えます。これが『Doctor K』の最後でした。巻末の作者コメントでは最後に現れたKはKAZUYAのクローンの一也かKEIの息子の一巳のどちらかですと説明がされていました。

 

そして『Doctor K』が連載終了してから6年。平成16年(2004年)に『K2』がイブニング誌(講談社)で連載が始まります。これが現在も続いており、今月最新46巻が発売されたのでした。闇に生きる医師として存在してきたK一族。代々Kの通り名を継承してきました。表社会で医師の活動をするKに対して、裏でバックアップをする別の一族が山奥でひっそりと暮らしていたのです。もう一つのK一族。神代家。その現当主神代一人(かみしろかずと)が『K2』の主人公。医師免許を持たず非合法な医療活動をしながら医学技術の研鑽を積んでいたのでした。KEIの説得もあり山村から出てKの名前を継承することにした一人。超法規的措置で医師免許を取得し真っ当な医師としての活動を始めます。K2というタイトルは前作のKことKAZUYAの次、あるいは別のK一族という意味でだと思ったら、巻数が進むにつれてもう一人のKの物語でもあったのです。それが黒須一也(くろすかずなり)です。一也とは前作でKAZUYAの遺伝子を用いて人為的に作られたクローン人間です。闇落ちしたKAZUYAの叔父一昭(かずあき)(※KAZUYAの父が一堡(かずおき)でその弟)が臓器売買に手を出し、K一族最高傑作と言われたKAZUYAの遺伝子を残すためにクローンを作ったのです。KAZUYAの許嫁だった黒須真純に産ませ、戸籍上は黒須真純の一人息子として誕生したのが一也なのです。もうお分かりでしょうがK一族の男性は全員名前が“かず〇〇”でもちろんイニシャルがKです。前作でそのエピソードが登場し、『K2』では小学校高学年のときに一也が初登場します。黒須真純は我が子一也を時期Kとするために現Kで一人のもとへ一也を預けて英才教育をお願いするのです。よって今作は完成されたスーパードクターたる現Kである一人の活躍と成長してKの名前を継承することになる一也の成長の2つがある物語なのです。二人のKでK2という。

 

『スーパードクターK』、『Doctor K』、『K2』と続くスーパードクターKシリーズ。大きな特徴として作中と現実世界の時間軸が同じであるのです。つまり現実に1988年(昭和63年)であれば作品内も1988年で、2023年(令和5年)であれば作中も現代なのです。漫画では非常にレアなケースです。長期連載になれば主人公が年を取ってしまうわけです。そうなると見栄えやストーリーに支障をきたします。ところがKは現実世界と同じように時間を重ねていくのです。『K2』初期に小学生で登場した一也は今や医師免許を取った研修医です。『スーパードクターK』時代に作中に胎児性水頭症という重い病気を患いKに救われて生まれた赤ちゃんは『K2』で青年として登場します。1988年から35年。作品内のキャラクターも35年の月日が流れるのです。そのため新型コロナウィルスによる緊急事態宣言下の様子も描かれています。その状況下での医療現場の実際を。『K2』でも連載から約20年。主人公の一人は最新46巻では「俺も年をとった」と漏らすシーンが登場するのです。ちなみに一人は1978年生まれなので1977年生まれの私と1歳違い。非常に共感できてしまいます。

 

一也の成長はそれまでなかった、いかにKが生まれるのかをリアルタイムで描くことです。KAZUYAも一人も更に先代たちのKも最初からスーパードクターでした。たまに修行エピソードが描かれますが基本的に超人です。ところが一也は出自もありいたって普通の小学生として登場します。そこから一人のもとで成長していくのです。中学生、高校生と破天荒なエピソードが挟まりますが医師の家で育つ少年というスタンス。大学受験をして医学部に入学。同級生と実習、定期試験に苦労。頑張って医師国家試験を受験する。そのような様子がずっと描かれています。一人の子どもが医師になる過程が20年にわたり紹介されている。そのようなことが『K2』にはあります。なお途中、一也は自分を見つめ直すために遺品のマントを羽織り放浪の旅に出ることになります。大学を休学して。そして2018年頃、『Doctor K』のラストシーンにあるよう、高品の息子に出会うのでした。20年越しの伏線回収はワンピース並みでしょう。おそらく『Doctor K』のときはここまで考えていなかったでしょう。『K2』を連載していくにあたり『Doctor K』の最終話で描いた内容と整合性をはかる展開に持っていったのではないでしょうか。

 

現実世界と同じ時間軸ということは描かれる医療シーンも更新されていくということ。常に最先端技術が描かれます。『スーパードクターK』時代ではできなかったこと、考えも及ばなかったことが『K2』ではできる。その対比も楽しめます。というより勉強になります。『K2』で先代のKAZUYAが完治させられなかった患者を一人が受け持つという話が多数あります。あの頃は不可能だったが現在(いま)は違う!と新術式や機材を用いて立ち向かいます。また『K2』内でも20年経過していますから、同じ心房細動でも治療法が変わっています。ずっとこの作品を読んで、かつコミックを購入しているのは勉強の材料、資料であるからだとも言えます。小学校から35年に渡って購入し、かつ処分せずに残してあることがその証拠です。

 

1988年連載開始。小学校5年生だった私はおそらく『スーパードクターK』を知らなかったと思います。読み始めたのは小学校6年生か中学校に入ってからだと思います。かなり前のことで記憶が定かではないのですが、中学生の時塾で同級生にコミックを貸した記憶があるのでその頃にはもう漫画を買って追いかけていたことでしょう。最初に書いた通り漠然と医療・医学は面白そうだなと感じていました。バブルが崩壊した時代で将来なりたい職業というものが一切なかったとき、具体的な未来を初めて考えたような気がします。

 

『スーパードクターK』が終了したのが1996年。大学1年生になっていた私は東京理科大学理学部応用物理学科に在籍していました。高校生の時に物理が面白くなり物理学を勉強しようと方針転換していました。そして大学入学後は競技ダンスにのめり込み毎日練習する日々。そして『Doctor K』が始まり1年程で完結。大学に入ると学業、ダンス、交友関係とやることが増えて漫画から遠ざかります。しかし部活の合宿で部員の足や腰を揉んで喜ばれる、対価としてジュースをおごってもらえる、という体験が中学生の頃スポーツドクターを少しだけ考えていた自分にはとてもしっくりしました。合宿中練習で疲れているのに、他人をマッサージすることが全く苦痛ではなかったのです。これも一つの才能かもしれないと思いました。この体験がのちに脱サラを決意し今の職業に繋がることになります。

 

現在も続く『K2』の連載が始まったのが2004年。この年には私は東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に入学しました。大学卒業後に一般企業に就職。心身を壊して脱サラ。国家資格を取得するためにあん摩マッサージ指圧師を目指すために学校に入学したのでした。このといにKが再開したことを知りコミックを購入するようになります。それから柔道整復師科、鍼灸マッサージ教員養成科と学生を続けるにあたって大切な資料に『K2』はなりました。試験対策にもなりました。臨床に出て患者さんの口から出たステントという単語。それは『K2』読んでいたので知っていました。最新医療の知識が学校の教科書に載るにはタイムラグがあります。安全性が確保され世間に浸透して実用性が確認されて、やっと基本知識として知らなければいけない内容として教科書に掲載されます。その前に『K2』で知ることがたくさんあります。そして開業してからもそれは変わらず新刊が出るたびに知識が増えていくのです。作中も同じように時間が過ぎることが可能にした生きた知識なのです。

 

スーパードクターKシリーズ通算100巻、おめでとうございます。小中学生の頃から読み続けて30年以上。私の人生に寄り添ってきた作品です。

 

甲野 功

 

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