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~文学座『アンドーラ』観劇~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 文学座アトリエ アンドーラ 十二場からなる戯曲
文学座アトリエ アンドーラ 十二場からなる戯曲

 

 

患者さんに紹介されてまた文学座の劇を観てきました。

 

文学座3月アトリエの会 『アンドーラ 十二場からなる戯曲』

 

なんだかんだで文学座の作品は結構観るようになりました。当初は“文学座”という名称が劇団のものだと理解していなくて池袋の名画座と勘違い(それは新文芸坐)。劇なのになぜ文学ということなのか。段々と分かってきました。演劇に興味が無かったのですが邦画は大好きでした。ある時期は映画館に足を運び邦画をみまくったもの。そのため俳優さんの知識が増えました。日本アカデミー賞は毎年チェックしています。過去に好きになった作品の一つに井筒和幸監督『パッチギ!』があり、本作に出ていた俳優をよく覚えています。このときまだ名前が知られていなかったのですがいい役者だと思ったのが波岡一喜さんで、最近視聴した番組で文学座に在籍していたことを知ります。以前なら頭に残らなかったことでしょう。

 

さて会場は私が住む新宿区内にある文学座アトリエ。歴史的建築物。そこで行われるのは60年以上前に発表された作品です。

アンドーラ 十二場からなる戯曲

作:マックス・フリッシュ(Max Frisch)、訳:長田紫乃、演出:西本由香

これまで観た文学座作品では初めてだと思います。原作があり、事前にストーリーがわかるものは。原作者のマックス・フリッシュはスイスで1911年に生まれました。当然第二次世界大戦を経験しています。本作『アンドーラ 十二場からなる戯曲』を発表したのは1961年のことで、ドイツ語で書いたそう。その30年後の1991年に亡くなっています。ぎりぎり東西冷戦終結を体験したのでしょうか。

ストーリーはホームページにはこのようにあります。

敬虔なキリスト教国であるアンドーラ。アンドリは隣国の「黒い国」でユダヤ人が虐殺されているさなか、ある教師に救い出され、教師夫妻とその実の娘バブリーンのもと4人で親子同然に暮らしていた。もとは平和な国であったアンドーラだが、近頃は黒い国からの侵略の噂が飛び交い、不穏な空気が漂っている。ある日アンドリとバブリーンは結婚したいと教師に切り出すが、教師は激昂して許さない。自分がユダヤ人であるからだと悲嘆に暮れるアンドリのもとに黒い国からある女性が訪れて…

ユダヤ人、虐殺。このことから舞台は第二次世界大戦前から最中のヨーロッパだと予想できます。アンドーラという国は架空のもの。「黒い国」はナチスを暗喩していると言われています。日本人には想像しがたいユダヤ人のホロコースト。スイスに生まれた作家がドイツ語で書くというのは相当な勇気がいったと想像できます。ヨーロッパ、とくにドイツではタブー視されてきたテーマ。敬虔なキリスト教の国。そしてユダヤ人ということはすなわちユダヤ教が強く関係します。ユダヤ人はその人種・血統よりも信仰の方が重要視されると言われており、ユダヤ教を信仰すればユダヤ人になると。宗教的な意味合いも出てきそうです。

 

その原作を翻訳したのが長田紫乃さん。ホームページによると文学座に所属していた東京大学文学部ドイツ語ドイツ文学卒業をしている方。現在はドイツのデュッセルドルフ在住といいます。ドイツ文学を専攻しドイツ在住の演劇経験者が訳したということの意味合いを考えてしまいます。これまで観劇した文学座作品はストーリーを理解するのに苦労することがありました。画面にテロップが出るわけではないのでこの人はどういう役だっけと。また文学座というくらいですから文学的な表現があるように感じ、東京理科大学理学部応用物理科を卒業した理系脳の私には回りくどい、表現がストレートではない、と感じることがままあります。今回のアンドーラはどのような内容なのかを事前に検索していたので物語の流れは分かった上で臨むことができました。訳者である長田紫乃さんのコメントには“非常に挑戦的で、えぐい作品です”とあります。作者のマックスは『この作品を観た後、夜眠れなくなればいい。』と初演初日後に語っているといいます。ユダヤ人が迫害されているという内容からして簡単な話ではないだろうと予想できました。また故手塚治虫先生の『アドルフに告ぐ』を想起させました。

 

当日場内に入ると。それまで無かった壁がまず目につきました。文学座アトリエは来るたびに劇場の景色が変わります。舞台の大道具が違うだけでなく客席に配置も変わります。ここに壁ができている。以前あった敷居がなくなっている。臨機応変に設備を変えることができるのだと感じました。

 

突然観客入場口から私服の男性が通路を上ってきます。何か雰囲気がある人だと思ったらそのまま舞台へ。裸足です。ああ演者なのかと分かりました。一言も発せず舞台をゆっくり歩き客席を眺めていきます。私も競技ダンス経験者で人前で表現することを大学時代してきました。三方から観客に凝視され、何もリアクションがなく静まり返っている、BGMもない無音。この状況で立って見回すという行為がどれだけ大変か分かります。言葉を発している、動きをみせる、といった動的な行動をしていないと間が持たないでしょう。何も説明せず。ただゆっくり歩いて視線を向ける。これだけでただ者ではないと思いました。なおこの役者さん、結局最初から最後まで謎で劇中の登場人物は誰も見えていないのか?というくらい話の流れに無視されていました。一言もセリフもなく。最後の最後に本編にしっかりと関わるのですがそれも唐突。ただ何故裸足で登場したのかは最後に分かるという。

 

主人公たるユダヤ人の青年は女性俳優が演じています。そのためちょっと混乱しました。

白く壁を塗る妹。清廉潔癖な国アンドーラ。隣国の「黒い国」。アンドーラは誰からも恨まれないから攻め込まれる心配がないという教師。別の国でユダヤ人の孤児を子どもとして育てている夫婦。真っ黒な服をまとう神父。太鼓を持ち軍服に身を包んだ軍人。宿屋の亭主。「黒い国」からやってきた黒い衣装をした女性。

 

話の内容は事前に頭に入っていたのでどういうストーリーなのか、どうなっていくのかは分かりました。ただ登場人物すべてがどこか常軌を逸しているように見えました。会話がかみ合わない。理不尽な仕打ち。なぜ実の息子を手放したのか、そして再会したのに他人行儀なのか。なぜ最初の妻を捨てて息子を引取り、次の妻はそれを許して結婚し娘を生んだのか。ユダヤ人ではないのにユダヤ人だと育てたのか。そういった一見矛盾した言動を説明する部分はほとんどありませんでした。

 

セリフの端々に宗教的なニュアンスを感じました。ユダヤ教、キリスト教に関わるエピソードが出てきます。また第二次世界大戦当時にあった実際の出来事を暗喩させるようなことも。この年齢になって様々な知識があることで作品が発する暗号のようなものを受けとる気がしました。殺害方法が石を投げつける。普通に考えると石で殴りつけるとか凶器を使うのが妥当と思いますが。「黒い国」の軍が電光石火でやってくるとか。

 

指を切られ処刑させられる青年。言い訳がましく自身の保身に走る大人たち。気が触れて白いペンキをぶちまける娘。特に狂気に満ちた最後でした。ラストは本当に白い液体をぶちまけたことに心底驚きました。冒頭に壁を白く塗るシーンではパントマイムのように何も付いていないモップを空中に向けてあたかも壁を塗っているかのように演じていたのです。神父の真っ黒い服は白く汚れ顔も白くなっています。白い塗料の上で四つん這いになり白く塗るんだと叫ぶ娘。後片付けが大変だ、服も洗わないと、明日も公演が続くのに、などと余計な心配もしてしまいました。ここまでやるのだと。映像ではない目の前で実際に起きている演技に圧倒されました。人が叫ぶ姿を目の当たりにすることは日常まずないのです。

 

今までに観てきた作品の中で最も強烈な作品でした。過去の感想で、終幕したときに俳優から役という魂が抜けて別人のようになる、と書いたことがありました。その人格が変わる様に驚愕したものです。文字通り人が変わるというか。今回の作品は心なしか終幕して挨拶するときも俳優たちから役が抜けていないように見えました。特に主要の青年と娘の方は狂気がまとわりついたままに。映像のように効果音もズームもテロップも編集もなく目の前にあるもの全てをリアルタイムに生でみせる舞台俳優。改めてとんでもない職業だと感じました。

 

甲野 功

 

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