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神社にはいくつかグループというか区分があります。例えば稲荷神社や白山神社、東照宮など。そのなかに天神様とか天満宮と言われるものがあります。実在した人物である菅原道真を御祭神とする神社。そのお天神、天満宮の総本社が京都にある北野天満宮です。福岡の太宰府天満宮と並ぶ天神様を紹介します。
北野天満宮の名前はもちろん前から知っていました。京都に何度も訪れていましたが参拝する機会がなく、昨年ついにいくことができました。天神社・天満宮は全国に約1万2000社もあるといいます。それの総本社。伏見稲荷大社と並ぶ京都にある総本社という感じです。
まず御祭神である菅原道真について触れましょう。学業の神様として有名な菅原道真は幼少の頃より学業に励み、優れた才能の持ち主。学者出身の政治家として異例の出世をします。昌泰2年(899年)に右大臣に任命、左大臣の藤原時平と並び国家の政務を統括するのです。遣唐使の廃止を進言しています。しかし藤原氏の策謀により無実の罪を着せられ、昌泰4年(901年)に九州に左遷されることに。そのわずか2年後に大宰府にて非業の死を迎えます。菅原道真の死後、政敵であった藤原時平が突如死亡。宮廷内で落雷が発生して複数の貴族が命を落とします。更には菅原道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子までもが病で立て続けに亡くなってしまうという。これらの出来事が怨霊となった菅原道真による祟りであると恐れられ、彼を神として祀るべく北野天満宮が建立されるにいたります。その際に落雷をもたらした雷神として崇められ、そのため“天神様”と呼ばれるようになるのです。あまりに呪いの力が強く平将門、崇徳上皇と並び日本三大怨霊に数えられます。日本では怨霊を神様と祀りその力を反対に味方につけるということをしてきました。怨霊として恐れられた菅原道真は神様として京都の街を守り、学問に秀でたことから学問の神様として崇められるようになっていくのです。現在では天神社は受験の合格祈願にご利益があるとされています。
改めて御祭神は(贈太政大臣正一位)菅原朝臣道真公。相殿は東座が中将殿(菅原道真公御子息)、西座は吉祥女(菅原道真公北の方)。創建は村上天皇天暦元年(947年)。永延元年(987年)に一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、菅原道真は“天神様”として祀られます。その後、文安元年(1444年)に室町幕府軍の攻撃により焼失し、一時衰退する(文安の麹騒動)。戦国時代の天正15年(1587年)には豊臣秀吉による北野大茶湯が催行され、江戸時代に入った慶長10年(1605年)には豊臣秀頼が北野経王堂を再建して慶長12年(1607年)には現在の社殿を造営します。明治時代になり神仏分離令が出され、明治4年(1871年)には北野神社と改名します。北野天満宮の名称が復活するのは戦後のこと。平成に入った平成10円(1998年)に宝物殿の屋根がチタン製屋根に改修され最新技術を伝統建築に採用された代表例に。令和にはいると令和4年(2022年)に明治時代に壊された庭園を梅苑「花の庭」として復興します。
関白豊臣秀吉公が境内で北野大茶湯を催し、出雲阿国が京において初めて歌舞伎踊りを演じるなど、北野天満宮は日本文化発信の中心地として文化芸能の神社としても仰がれました。江戸時代には各地に寺子屋が普及しますが、その教室に菅原道真の姿を描いた御神影が掲げられるようになり「学問の神様」として広く知られるようになります。菅原道真は生涯梅を愛したことで知られています。2月25日には梅花祭が行われますが、この日は菅原道真の亡くなった日。各地の天神様で梅まつりが行われ梅が重要視されているのです。また菅原道真の誕生日が6月25日であり、25日が誕生と死去が重なる日であるため北野天満宮では毎月25日に祭事が行われます。
南北に延びる境内。南側に一の鳥居があります。11.4mの大鳥居で大正時代に建立さたもの。参道を進むと二の鳥居、三の鳥居を経て楼門へ。上部に掛けられた額には、「文道大祖風月本主」の文言が刻まれております。これは平安時代中期の学者慶滋保胤・大江匡衡が菅原道真を讃えた言葉です。そのさきには国重要文化財の三光門があります。非常に豪華な造りとなっていて北野天満宮のシンボル的な存在です。名称の三光とは日、月、星の意味で梁の間にそれらの彫刻があることが名の由来。しかし実際には日の入り、日の出、三日月の彫刻があり星はあります。“星欠けの三光門”として今も天神さんの七不思議に数えられています。そして本殿は国宝に指定されています。総面積約500坪。菅原道真を祭る御殿と拝殿が石の間という石畳の廊下でつながり、本殿の西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備えた特色ある構造で、「八棟造」または「権現造」と称されます。現在の本殿は豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に造営したもので、その当時の規模そのままに保存されているのは北野天満宮のそれが唯一。本殿の他、石の間と拝殿と楽の間も国宝です。廻廊は重要文化財です。他にも透塀、後門(舎利門)、東門が重要文化財に指定されています。
更に境内には数多くの摂社、末社があります。摂社には火之御子社、老松社、白太夫社、福部社、地主社があります。末社は更に多くの数があります。その数、種類からも格式の高い神社であることがうかがえます。
梅や桜の名所でもある北野天満宮。季節が合いませんでしたが境内には庭園がありハイシーズンには大勢の来場者があるそう。また宝物殿や豊臣秀吉縁の井戸もあります。境内に高低差がなく平地なので歩きやすいです。本殿以外にも多数の摂社、末社が目を引きます。北野天満宮は有名な神社仏閣が並ぶ京都においてもその存在感を示しています。
甲野 功
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