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~京都 仁和寺~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 仁和寺
京都 仁和寺

 

 

鍼灸師にとってバイブルと言える書籍があります。それが「黄帝内経(こうていだいけい)」。中国の戦国~前漢時代頃に成立したと考えられる現在も残る最古の医学書と言われています。黄帝とは古代中国における伝説の(空想の)帝王。その黄帝と臣下との問答形式となっています。黄帝外経(こうていがいけい)も存在したが失われたという説もあります。日本でいうと古事記、ヨーロッパでいうと旧約聖書の創世記のような神様や伝説の存在が登場するイメージです。当然原本は存在せず写本が受け継がれています。唐時代以降に断簡が編纂され、いくつかの注釈書が作られました。そして現存する最も古い黄帝内経が日本にあるといいます。それがあるのが京都の仁和寺です。高校の授業で徒然草の「仁和寺の法師」で知った仁和寺。鍼灸師になると黄帝内経が伝わるお寺という印象が強いです。その仁和寺にある黄帝内経、『黄帝内経明堂』と『黄帝内経太素』は国宝に指定されています。どちらも黄帝内経の注釈書。黄帝内経明堂は永仁4年(1296年)と永徳3年(1383年)の書写、黄帝内経太素は仁安2~3年(1167~1168年)に日本で書写されたものです。その『黄帝内経明堂』と『黄帝内経太素』は国宝ゆえ一般公開はされていませんが、鍼灸師として気になるところ。ちなみに仁和寺には古典の医学書である『医心方』と『新修本草』もあり、これらも国宝です。国宝の医学書5典のうち4つを仁和寺が所蔵しているのです。いつかは訪れた方がいい場所だと考えていました。昨年、遂に仁和寺に行くことできました。今回は鍼灸師、そして医学史に関わりの深い仁和寺を紹介します。

 

世界遺産 真言宗御室派総本山仁和寺

 

仁和寺は京都市内の北西にあり、金閣寺、龍安寺と「きぬかけの路」で並んでいます。真言宗御室派の総本山です。山号は大内山、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録されています。

 

仁和2年(886年)第58代光孝天皇が「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願します。ところがその翌年に光孝天皇は崩御されたため第59代宇多天皇が光孝天皇の遺志を継ぎ、仁和4年(888年)に完成しました。当初は寺号を西山御願寺としましたがやがて成立した元号から現在の仁和寺に変わりました。初代別当(寺務を総括した僧侶)は天台宗の幽仙でしたが、昌泰2年(899年)に創設した宇多天皇が仁和寺で出家して宇多法皇となります。そして宇多法皇は真言宗の阿闍梨となり、仁和寺の別当を真言宗の僧に交替させています。このことにより仁和寺は真言宗の寺院として定着することに。宇多法皇は延喜4年(904年)には仁和寺に御室と呼ばれる僧坊を建てて住むようになります。以降、仁和寺の別当は宇多天皇の子孫が務め、平安〜鎌倉時代には門跡寺院として最高の格式を保ちます。

寛弘7年(1010年)に観音院潅頂堂が、天養元年(1144年)に孔雀明王堂が、建立されます。そして京都で応仁の乱(1467年~1477年)が勃発すると仁和寺は大きな災難に遭います。応仁2年(1468年)、応仁の乱において東軍の兵が仁和寺を焼き、伽藍は全焼してしまします。本尊の阿弥陀三尊像などは事前に運び出されておかげで焼失を免れます。それから100年余り。安土桃山時代の天正19年(1591年)に豊臣秀吉によって860石の朱印地を得ます。江戸幕府成立後の元和3年(1617年)は2代将軍徳川秀忠によって1,500石の朱印地を得ます。そして寛永11年(1634年)に3代将軍徳川家光に仁和寺の再興を申し入れ、これを承諾されます。これにより江戸幕府の支援で仁和寺の伽藍が整備されることに。また寛永年間(1624年~1645年)の御所(現京都御所)建て替えに伴い、御所の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺境内に移築されます。そして正保3年(1646年)にようやく再建が完了し創建当時の規模に戻ります。幕末の慶応3年(1867年)を最後に皇室出身者が別当になることがなくなります。

明治に入り明治20年(1887年)に宸殿などの御殿が焼失するも大正3年(1914年)に再建。昭和6年(1931年)に開山宇多法皇1000年御忌法会が行われます。戦後の昭和21年(1946年)に真言宗御室派が大真言宗から分離独立し、仁和寺が真言宗御室派総本山となります。昭和63年(1988年)に開創1100年記念大法会を開催。平成6年(1994年)、古都京都の文化財としてユネスコの世界文化遺産に登録されます。平成は修復工事が続き、令和元年(2019年)に令和阿弥陀堂が落成します。

 

このように1100年の歴史があり紆余曲折を経て現代まで残る仁和寺はその規模も凄いです。あの京都でもここまで大きな寺院は天龍寺や南禅寺くらいでしょうか。体感としては仁和寺が一番広かったです。境内にある建物を紹介しましょう。

玄関たる二王門。寛永18年(1641年)~正保2年(1645年)に再建されました。重要文化財です。二王門をくぐると左手に本坊表門があります。慶長年間(1596年~1615年)に建立されました。こちらも重要文化財。その先には仁和寺御所庭園があります。この御所庭園だけでも必見です。素晴らしい庭園でした。南庭の奥には勅使門が見えます。国登録有形文化財で大正2年(1913年)に再建されたもの。御所庭園を出て北に進むと石階段を上った先に中門があります。重要文化財。寛永18年(1641年)~正保2年(1645年)に再建されました。進むと左手に観音堂が。重要文化財で中門と同じ時期に再建されます。そして正面に国宝の金堂があります。こちらは慶長18年(1613年)に建立された京都御所の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年~1644年)に移築したもので、現存する最古の紫宸殿なのです。本尊の阿弥陀三尊を安置しています。金堂の左手には鐘楼(重要文化財)、その後ろには水掛不動尊が。鐘楼の左側には御影堂(重要文化財)があり宗祖の弘法大師、開基の宇多法皇らの像を祭っています。金堂の右手には経蔵(重要文化財)があります。経蔵の中に入りましたが凄い迫力でした。その隣には九所明神が仁和寺の伽藍を守る社でお寺の境内に3社並んでいます。本殿(重要文化財)の祭神が石清水八幡宮。左殿(重要文化財)の祭神は賀茂御祖神社・賀茂別雷神社、日吉大社西本宮、八坂神社、伏見稲荷大社。右殿(重要文化財)の祭神は松尾大社、平野神社、日吉大社東本宮、木嶋坐天照御魂神社と有名な神社が並びます。そして五重塔(重要文化財)。京都の五重塔と言えば東寺が有名ですがこちらも寛永21年(1644年)再建された総高36.18mを誇ります。霊宝館は国登録有形文化財で創建当時の本尊である阿弥陀三尊像などが展示されています。中に展示してある仏像らの迫力がありました。

 

ざっとでもこれだけの建築物があります。国宝、重要文化財、登録有形文化財だらけ。細かくみていくときりがありません。御所庭園はまた別の機会に取り上げたいと思います。

圧倒的な広さと豪華さを兼ね備えた仁和寺。京都で訪れた寺院では天龍寺、南禅寺を超えた印象でした。桜の季節、紅葉の季節は更に美しいことでしょう。一度ではまわり切れないまさに名刹でした。

 

甲野 功

 

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