開院時間
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6月8日。日帰りで京都に行った私は紫陽花の名所を巡っていました。三室戸寺、藤森神社、智積院。そことは別に過去に訪れてもう一度きちんと見ておきたいと思ったところにも行きました。東福寺と三十三間堂。特に三十三間堂は人生に大きな影響を与えた場所でした。
毎年、京都を巡っています。今年は次女と行きました。その前は二度長女と行きました。結婚前、結婚後に妻やそのご両親とも行きました。京都という場所に強い思い入れがあります。そのきっかけは高校3年生の春休みにあります。
東京の子どもは中学、高校の修学旅行で京都・奈良に行くことが多いです。そしてそこで初めて京都を知る。このパターンが少なくないでしょう。以前から修学旅行先のメッカとして京都・奈良はありました。色々と理由があるのでしょうが、現在の首都東京に住み、かつての都(平安京、平城京)であった京都と奈良を訪れることは歴史を学ぶ意義があると思います。修学旅行は学校行事の一環であくまで教育の範疇。歴史や集団行動を学ばせるもの。当事者の中高生にはあまりその実感がないでしょうが。
私の中学校修学旅行は東北でした。2学年上の姉は京都・奈良でした。私の代か一つ上から旅行先が変更になりました。高校修学旅行は中国地方から九州でした。萩、秋芳洞、下関、長崎、熊本、博多。南に下っていく行程。つまり修学旅行で京都に行ったことはありません。振り返ると当時としては稀有だったと思います。そしてその時点で京都に行ったことはありませんでした。
私の父は全国の山を登ってきたアマチュア登山家のような人でした。幼少期から山登りに連れていかれていました。物事着く前から。そのせいかいわゆる観光地に連れていってもらった経験が少ないです。観光地は母や母方の親戚が多かったです。後年、70歳を過ぎた父が一度も日光東照宮に行ったことがないことを知り(関東に住んでいて)日本人としてそれはおかしいだろうと日光東照宮に連れて行ったものでした。観光地の定番、京都に足を運ぶ機会は自然とありませんでした。
私が京都に初めて行ったのは平成8年(1996年)の3月。國學院高校を卒業し翌月から東京理科大学に入学する春休みの頃でした。山岳部だった私は部の同級生2名と高校卒業旅行に出たのです。私以外の2名が幕末の歴史が好きで詳しい。私は戦国時代が得意でしたが幕末の歴史はそこまで詳しくありませんでした。二人の影響でマンガや本を読み、高校を卒業する頃にはかなり幕末に詳しくなっていました。幕末の英雄と言えば大勢名前が挙がるでしょうがやはり坂本龍馬でしょう。坂本龍馬の故郷、土佐(現在の高知県)と幕末動乱の中心地である京都に旅行することになりました。本当は長崎、鹿児島といった九州も行きたかったのですが高校生には旅費、宿泊費が厳しい。行きの高知までも夜行バスを使って節約するくらいです。4泊か5泊くらいのかなり大掛かりな旅になりました。
このときどこを巡るかは人任せ。私は着いていくという立場でした。京都に降り立ち天龍寺や三十三間堂に行ったのですが私の希望ではありませんでした。そして三十三間堂の中に入ったときに、その圧倒的な、一種異様な、100体並んだ千手観音像に声を失いました。後にも先にもこれだけの数の仏像が並んでいるところを見たことがありません。その衝撃は凄まじいものでした。
私は幼少期から知らぬ間に仏像がそばにありました。建て替える前の古い実家。そこには大きく引き伸ばされたモノクロ写真が壁にかけられていました。そこに映るのはバーミヤン渓谷の大仏。崖を彫って作られた巨大な石仏です。物心ついたときからありました。小さいときは何の写真か分かりませんでした。そしてなぜ飾ってあるのかも。私が生まれる13年前に亡くなった祖父がしたのか。今年亡くなった父の趣味なのか。今となっては確かめる術はありません。間違いなく母親の趣味ではないです。
応接間には仏頭がありました。首から上の仏像です。軽い素材で作られていましたが大きさは人間の頭よりずっと大きい。今も実家に置かれているような気がします。建て替えたあとの新居にもこの仏頭は置かれていました。何かのお土産にしては大きすぎます。
子ども部屋の押し入れに仏像図鑑が何冊もありました。自宅を建て替えて私の部屋ができました。小学生だったので引っ越しのほとんどは親や業者がやってくれました。初めての自分の部屋。押入れを開けてみると既に分厚い本が置かれていました。それは仏像の図鑑です。一冊ではなく複数巻セットの。安いものでは無かったと思います。なぜ私の部屋に置いておいたのかは不明でした。ために開いてみましたが、小学生当時の私には興味がわくものではありませんでした。
実家はお寺でもないし、父がお寺巡りに連れて行ったこともない。それなのに何故か自宅には仏像の関わるものが点在していたのです。知らぬ間に仏像を刷り込まれていたのかもしれません。
三十三間堂にある101体の千手観音像。その光景を見たときに何とも説明できない衝撃がありました。ちょうどその頃『孔雀王』という仏教系のマンガを読んでいました。宗教バトルマンガの走りで密教をテーマに退魔師として魔物と戦う高野山僧侶を描いた物語。この作品から仏像や曼荼羅の種類を学びました。ちょっと予備知識がある中で本物に触れたのです。このとき京都に魅了されたのです。
高校2年生から理系コースに進みます。大学は東京理科大学理学部。仏教と関連はありませんし学ぶこともなかったです。しかしこの時みた無数の千手観音像に仏像芸術の素晴らしさを体感したと思います。後に鎌倉の長谷寺にある巨大な十一面観音立像にも強い衝撃を受けて、人生の節目に参拝するようになります。十一面観音像が凄く心に響いているようです。
あれから約30年。今も神社仏閣を巡っています。何の意図もなく入学しましたが國學院高校は國學院大學の附属高校。日本に2校しから神主になることできる神道の大学、國學院大學。神道系の高校を出て仏像に魅せられた。会社員となり心身を壊したときにすがったのが神社仏閣巡りでした。あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師として働き始めたその年。体を壊して点滴を打ち、自宅療養しているときに読んだ本はお釈迦様の教えでした。今も様々な神社仏閣を巡り写真に撮り由緒を調べています。その原点は平成8年3月の京都、三十三間堂にあります。あの時の感動というか衝撃を今年再確認しました。まだ何者でも無かった高校卒業したての時。結婚して子どもが2人生まれて父親を失った今。時代、立場が変わりましたが三十三間堂はあの時のままでした。
甲野 功
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