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~箱根関所跡~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 箱根関所跡
箱根関所跡

 

 

京都によく私ですがそれ以上に行くのが箱根です。今年は既に2回行っています。大学を卒業して一般企業に就職し、心身共に疲弊していたときに誘われていった箱根。そこで子どもの頃の記憶が一気に蘇り、家族の箱根旅行が凄く楽しかったことを思い出しました。それから気持ちが疲れたときにふらっといく場所に。結婚、子どもが生まれてからは私がしたように子ども達を連れて箱根旅行に出かけるようになりました。

箱根好きが高じて患者さんや知人に箱根を勧めますし質問されます。箱根エリアもそれなりに広いのでどこに行ったらいいのか迷うものです。これまで何人も患者さんに話をして喜ばれ、紹介した場所をリピートしている方がいます。そのため箱根の名だたる施設はだいたい訪れた、もしくは訪れるようにしています。それでもあまり興味が湧かず行ったことがなかった場所があります。それが箱根関所跡。芦ノ湖の畔にあります。今はリニューアルしましたがそうなる前に一度行ったことがありますが、面白みを感じず。こんなものかという印象でリニューアルしてからも行ったことがありませんでした。しかし箱根の話になると興味がある、行ってみたいという声がまま聞かれるのでいつかは行ってみようとは考えていました。そして数年前の夏。山登りと一緒に箱根関所跡に行ったのでした。本日は箱根関所跡の紹介です。

 

箱根関所跡

 

箱根は天下の険と言われる険しい山が連なります。高校時代山岳部だった私は運動不足解消も考えて箱根の山を歩くことにしました。以前から存在を知っていた飛龍の滝。かなり山道を歩かないとたどり着けない場所にあります。その飛龍の滝をみて国道1号線に出ます。そこから芦ノ湖まで歩きました。ちょうど正月に行われる箱根駅伝5区の最後、ゴールまでの道のりです。そのまま箱根関所跡に行ったのでした。箱根駅伝往路のゴールが芦ノ湖であるのは有名です。そのゴール付近にあるのが箱根関所跡。

 

駐車場から湖畔に向かって歩いていきます。雄大な芦ノ湖を横目にあるくと箱根関所資料館が見えてきます。そこで歴史を学びます。その先に復元された施設があります。

 

箱根に関所ができたのは江戸時代から。何と言っても参勤交代が要因でしょう。江戸(東京)に幕府を開いた徳川家康。現在は歴史考証が改まりつつありますが、各地の藩に対して奥方や女性を人質にとり藩主を1年交代で江戸と領地に住まわせるというシステムが参勤交代で、各藩主を徳川家の支配下におく、膨大な旅費を支払わせてお金が貯まらないようにさせて謀反を起こさせないようにするといった目的があったと言われています。そのような目論見があったのでしょうが各地との交流ができて情報、物が行き来することができたとも考えられています。200年以上続いた参勤交代制度も明治維新が成り明治2年に終了します。

箱根の山にある関所は6か所ありました。芦ノ湖の箱根関所が中心ですが根府川(現在の小田原市)・仙石原矢倉沢(現在の南足柄市)・川村(現在の山北町)・谷ケ(現在の山北町)です。これらのうち、矢倉沢関所は戦国時代の天正18年(1590年)頃に、根府川関所は江戸時代初期の慶長9年(1604年)に既に設置されていると考えられています。今回取り上げている箱根関所は元和5年(1619年)に設置されたと一般的に言われています。徳川家康が亡くなったのが元和2年(1616年)で2代目将軍徳川秀忠の時代です。箱根は要所とされており特に注意されたのが江戸から関西方面に女性が移動する「出女」。各藩の奥方や姫が江戸から逃げ出さないようにするためです。平たく言えば人質ですので。反対に江戸に持ち込むことを危険視したのが「鉄炮」。反乱を起こされないように武器を江戸に入れないようにするわけです。この2つから「入鉄炮出女」という言葉が有名です。ここで疑問なのがなぜ箱根関所だけがこのようなチェックをしていたのでしょうか。箱根は東海道です。江戸時代に整備された五街道の一つ東海道の宿場。その先は大阪、京都ら関西地方に向かいます。現在も東海道新幹線と同じように。徳川家康は大阪の陣で豊臣家を滅ぼします。その前の関ヶ原の戦いでは東軍として石田三成率いる西軍と対峙しています。江戸幕府にとって敵勢力は西側にいました。幕末に討幕の旗頭となったのは長州藩(山口県)、薩摩藩(鹿児島県)、土佐藩(高知県)が主だったことからもその因縁が伺えます。そして最後の将軍徳川慶喜が大政奉還をした後も明治新政府軍と戦いを続けたのは関東から北の藩ばかり。江戸時代において注意するのは西側でその江戸への玄関口が箱根というわけです。

 

復元された施設にはその時の様子が分かるように人形や案内板が置かれています。江戸口御門と京口御門で仕切られた施設。中に入ることができるところもあります。狭い座敷牢は中に入ると窮屈でした。高台に上がると遠見番所があり関所跡を見下ろすことができ見張りがいたことがうかがえます。壮大な史料館であり、若いときに来た時とは印象を新たにする立派な施設です。日光江戸村と似た感覚になりますがこちらは史料に基づいて復元されたもの。湖の畔に高台から見張られている立地も踏まえると歴史を感じるものです。

 

一度この目で確かめておいて良かったです。

 

甲野 功

 

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