開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
今年も7月に入り、2025年(令和7年)の後半が始まりました。今年も前半を振り帰ります。
そもそも毎年年末に1年の出来事を振り返るようにしているので前半を振り返る必要はあまりないのですが。それが前半を振り返るようになったのは2020年から。この年は記憶に新しい新型コロナウィルスによるパンデミックが発生し東京都下に緊急事態宣言が発出されました。公立小中学校が登校禁止となり自粛が叫ばれるようになりました。5月15日が開院記念日なのですが先行き不透明で迎えます。7月に開催するはずだった東京オリンピック2020は延期が決定。今後どうなってしまうのだろう。2011年の東日本大震災以来の不安でした。明日がどうなるのか分からないので、今の状況を文章で残しておこうと始めたのがこの前半を振り返ることでした。
新型コロナが収束し2019年以前とほぼ変わらない生活に戻りました。まだ前半だけを振り返る意味があるのだろうか。昨年はそのように考えていました。今年は新型コロナ並みの激変があり、きちんと心境を残しておこうと思い文章を書いています。
何といっても1月6日に実父が亡くなりました。享年89歳。昭和10年(1935年)生まれで今年90歳になる年でした。昭和100年となる今年、昭和を生きた父が旅立ちました。直近で大きな病気をしていなかったので世間的には急死です。1月6日は月曜日。この日から社会が動き始めるまさに仕事始めの朝。年明け最初の燃やすごみを出して玄関に戻る途中、1段の段差を乗り越えることができず倒れこみました。付き添っていた母ではどうすることもできず、私に電話をします。最初の電話には気付かず折り返したときには既に救急車を呼んだということでした。元々月曜日に父の治療をする予定だったので準備をして向かうところでした。駆けつけたときには息が止まり心臓は動いていませんでした。そこから心臓マッサージを施します。柔道整復師になる際に上級救命救急の資格を取っていた(※現在は失効)ので驚くほど冷静に処置ができました。10分ほどで救急救命隊が到着して処置を交代します。その間に母と父の保険証やエンディングシートを用意して救急車に同乗。そこから怒涛の日々が始まります。
搬送された救急病院で強心剤で蘇生するも自発呼吸再開の見込みはほぼ無いということで臨終。そのまま規則により警察官が病院に到着。病院外で亡くなったので捜査が必要になるとのこと。救急病院での手続きをしてから母と帰宅。指定されていた葬儀屋に電話。葬儀の話し合いに向けて動き出します。同時に自宅にやってきた警察官の事情聴取に現場検証。父の遺体は一度警察署に移送されて監察医のチェックが入る。状況によっては解剖するかもしれず、その場合は更に別の施設に移すとのこと。大きな持病が無い突然死であったため他殺も考慮しているのは納得できた。母に財布や金庫のものを手を付けないように言いつけて葬儀屋との話し合い。葬儀は葬儀場、火葬場、お坊さんの予定が合わないとできないという。そして父の遺体がいつ帰ってくるのかは不明。翌日の監察医の判断によるという。もうこの時点で不確定要素だらけで頭が混乱します。父が亡くなったことを悲しむ間もなくやること、考えることが多すぎて。高齢の母も状況把握能力が落ちていてよく分かっていない。そこから手続きが怒涛のように押し寄せました。
解剖の必要はなく心不全による突然死だろうという見解を警察署で報告を受け。実家で受入れ体制を整えます。葬儀について決めることが山のように。日時、葬儀場、火葬場、誰を呼ぶか、などなど。お金の振込に書類提出。遺影写真を選び、食事の手配。1月10日の葬式まで目まぐるしく動きました。当日はアクシデントを恐れて悲しむ暇が母同様なく。お骨を実家に持ち帰るまで必死でした。
葬儀が終わると大きな問題が父の確定申告。晩年まで色々と事業をしていた父。資料集めと整理に奔走されます。私自身の確定申告を猛スピードで終わらせて父の方に手をつけましたが非常に大変でした。モノを捨てず何でもとっておく父。書斎か食卓に資料が溢れてそこから必要なものをピックアップして不要だと思うものを処分する。一度母が何でもゴミ袋に投げ込むので止めました。漁ると通帳とクレジットカードが出てきました。母には何もしないように言って私が全てやることにしました。通帳履歴からお金の動きを把握。全てデータにしていきます。そうしないと私自身が理解できません。非常に大変でしたが父が生前してきたことがかなり把握することができました。そこから毎年父が確定申告を依頼していた税理士に連絡してやり取りをします。そうすると送る書類が山のように出てきます。ひとまず令和6年分だけの確定申告でいいと思っていたら令和7年1月6日までの確定申告も必要だといいます。法定相続人の名前も必要。役所から親類から連絡を取って何とか確定申告を終わらせました。私がデータをまとめていたので処理が速かったと税理士さんに言われたのが嬉しかったです。3月はじめまで確定申告で毎日苦労します。
更に生前父は本を出版する計画があったことが発覚。母は知っていたのですが私には一言も話していませんでした。債務としてその業務も相続することに。本を校正するために何度も担当者と打ち合わせを繰り返します。それは現在も継続中で判断することが多いです。その本からこれまで聞いていなかった父の人生を知ることにもなります。
各種変更も大変です。死亡届、公共料金の切り替え、保険のこと。母の遺族年金変更では一人でできないので付き添って書類作成を行いました。年金証書を探し出すのも一苦労。鍵がかかって開けられないという引出しを鋸で切って取り出しました。また各所の電話が繋がらない。いまどき電話かよと思いつつ、電話をかけても混みあっていて繋がらず。コールしたまま何分も待ちぼうけすることがたくさんありました。特に苦労したのは霊園管理者の変更。父から長男である私に管理者を変更する際に、なぜ配偶者である母ではないのか?という疑問を持たれて書類を書く必要がありました。母か高齢でありますが、遺言書に指名されているのだからやるしかないのですが。区役所でこんなに必要なのですかねと担当者がいうくらい謄本を取り寄せ、平日に新宿の管理所までいくことになりました。そこでも面談があり、本人であることの確認などで1時間以上かかりました。お墓のトラブルは相当あるようで、問題が起きてもそちらで解決するようにという誓約書も書かされます。
納骨についても準備が大変で5月まで持ち越しました。石材店にお願いして名前を彫るので準備に数週間は必要だと。春の彼岸で打ち合わせをして準備をし、実行したのはゴールデンウイークに入ってからでした。当日もお墓を開けてみて色々な問題があることが発覚し、お墓の補強などが必要になることが判明しました。
父は町会長を十数年していたため町会の通帳を作っていました。その名義変更も大変でした。町会は法人扱いになるのでと別の支店にいってくださいと言われてしまい、また予約の取り直しです。現在の町会長と一緒に銀行に行ってかなり時間がかかりました。また父の跡を継いで町内会の班長をすることになり、町内行事も仕事に入ってきました。
新年度になると子どものPTAで本部役員になります。本部役員を決めるための係になっていて決まらないと終わらない。会計なら、ということで本部役員の会計係を引き受けます。それによりPTAの業務も増えていきます。PTAのことで学校や銀行に行く機会ができました。
相続に関しては現在進行形で続いています。書類を用意して出して。またこれが必要だと言われ。次から次へと出てきます。そして事情をあまり分かっていないところから話がたくさんきて辟易とします。そんな単純な話でないのだよと内心思いながら聞き流すしかありません。
売れっ子芸能人が忙しい時期は記憶にないというコメントをすることが何となく理解できます。やることがひっきりなしにきて覚えている余裕がないのでしょう。私は記憶力がある方だと自認していますが今のうちに書いておかないと頭からところてんのように押し出されて記憶から消えていくかもしれません。だから残しておこうというわけです。
仕事についても3月から忙しくなりました。1月は断ったことも多かったですし2月も暇な方でした。裏では父の確定申告業務などに奔走していて個人的には暇ではないのですが。幸いなことに3月は過去最高の業績となります。その分心身ともに疲れました。相続関連のことと本業で。
臨床の施術以外にも学生向けセミナー、イベントを多数開催しました。経営思考になるセミナーでは座学だけでなく施設見学にも連れていきました。母校の鍼灸マッサージ教員養成科の卒業論文発表会では学生さんを同席させて受講しました。あましセミナーという手技の講習会を4回開催。他にも私個人での練習会を開催しましたし、あはき・柔整広告ガイドラインの解説も行いました。
プライベートでは趣味の社交ダンス・競技ダンスのイベントに複数参加。父が亡くなったことで元気なうちにやっておこうという気持ちになりました。というのも晩年の父は足腰が本当に衰えていました。亡くなる時も一段の段差を登れずに倒れてしまい息を引き取りました。足腰を鍛える意味でもやっておこうという。1月、2月は気落ちして参加していませんでしたが3月からは積極的に参加するように心がけます。
鍼灸マッサージ業界内のイベントにも顔を出すようにしました。施術を受ける、セミナーを受講する、会合に出る。やはり今を大切にしようという気持ちと諸々の事務作業から逃げたいという気持ちもありました。
そして家族。父を失い家族の大切さをより実感した今年の前半。段々と一緒に行動しなくなってきている子ども達となるべく出かけようと。年度末恒例となっている上の子と箱根旅行に、下の子と一緒に京都旅行。そして大ヒット中の名探偵コナンの映画鑑賞。買い物や食事なども。妻が主催するイベントにもお手伝いに出ました。
個人としては日帰り京都旅行に出かけて紫陽花散策に行きました。やはり身内が亡くなり死について向き合います。それはすなわちどう生きるのかと考えることでもあります。やっておけば良かったと後悔することは嫌だから行動するチャンスがあるうちにやっておこう。そのような気持ちになっています。
昨年の前半は開院10周年という節目がありました。その一方で感情の浮き沈みが激しくやや鬱気味であったと1年前のブログを読むと分かりました。今年は人生で大きな出来事があり否応なしに気持ちが落ち込みました。やらなければならないことが山積みで波のように押し寄せてきて心身ともに疲弊しました。それでもいつかは人は亡くなるという当たり前のことを実感し、今日を、今を大切に過ごそうという覚悟を持つようになりました。昨年まで予想だにしていない2025年前半でした。
甲野 功
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