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~パワハラというコミュニケーション手段~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 花
パワハラはコミュニケーション手段の一つなのでは

 

 

昨今、たくさんの○○ハラスメントという言葉や概念が溢れています。これもハラスメントになるのかというものも多数あります。私の世代からすると非常に驚くのが『。ハラ』というもの。LINEやSNSのダイレクトメッセージで文末を「。」で締めると威圧感を与えるので、それがハラスメントにあたるというのです。LINEの短文に慣れた世代には文末は絵文字や感嘆符(!や?)で終えるのが通常であり、「。」にすると怒っている・冷たい・上から目線という印象になるそうです。電子メール世代の私は会社員新人時代にビジネスメールの書き方を習っていて、宛先(企業名、部署、役職、担当者名)を文頭に書いた上で、“いつも大変お世話になっております。”などの枕詞を挟み、本文を作成し、文末は“以上、よろしくお願いいたします。”などで終わったことを明確にして、自身の宛名(企業名、部署、役職、連絡先などの情報を含めて)で完結するようにしてきました。日本語の文章として句読点をきちんと付けないとダメでしょうという考えは古いようです。子どもの学校でPTAや卒業対策委員会という保護者会の活動をしていると、もう連絡のやり取りがグループLINEです。メンバー毎に作成してその中でやり取りをしていきます。同じ学年の子どもの親。10歳も20歳も年齢が変わるものではないはずです。ところが参加している女性メンバーは、誰も文末に「。」を使っていませんでした。同世代でしかも同じ保護者という立場同士であっても『。ハラ』に気をつけているのかと思いました。それとも自然に文末に「。」を使わないようになっているのか。後者だと考えると自分が時代遅れになっているのかと愕然とします。

他にも『キメハラ』。大ヒットコンテンツ(マンガ、アニメ)『鬼滅の刃』を興味が無い人に話題をふる。あるいは『大谷ハラスメント』。メジャーリーグで活躍する二刀流野球選手の大谷翔平選手についてメディアが過剰に報道する、取り上げることが興味の無い人には不快に感じるという。極めつけは『ハラスメントハラスメント』。それはハラスメントですよね?と訴える行為自体がハラスメントにあたるというもの。堂々巡りというか本末転倒というか。

 

さて多数ある○○ハラスメントですが、根幹にあるのは『パワー(権力)ハラスメント』、すなわちパワハラではないかと私は考えています。社会的な上下関係を背景に、目上の人が下の立場の者に理不尽な、社会通念上許されない、倫理上問題のある、行為をすること。これは学校、部活動、職場、家庭、あらゆる場面で見られるものではないでしょうか。医師が患者にそのような行為を行えば、『ドクハラ(ドクターハラスメント)』になりますし、お客さんがサービスをするお店にスタッフに行えば『カスハラ(カスタマーハラスメント)』と名称が変化します。表現が異なりますが本質は同じだと思います。『セクハラ(セクシャルハラスメント)』も広い意味でパワハラに入ると思われます。セクハラを自分より立場が上の人に対して行うことはまずないでしょう。例えば会社内で新人男性会社員が女性上司にセクハラをするでしょうか、できるでしょうか。常識的に相当な理由が無いとできないと思えます。反対に女性から男性に対することでも社会通念上の上下関係があればセクハラになると考えられます。ある分野のスポーツ競技で大先輩にあたる女性が飲み会の席で年下の男性選手にキスを迫ったという話がありました。これは女性から男性へのセクハラになると思います。男性側が先輩なので顔を立てたと周囲にみられてしまう。お客さんがお店のスタッフにぞんざいな態度をとる、いえ、とれるのは、こちらはお金を払うお客の立場だぞという気持ちと状況があるからでしょう。権力(金銭を含む)、立場(上司、先輩、お得意先など)が上である“パワー”が前提に起こるハラスメントでパワハラ。多くのハラスメントに通じると思います。

 

私は昭和生まれ平成育ち(小学6年生で平成に突入)。現在でいうパワハラは幼少期から大学生くらいまで日常的に存在していました。そもそも平成半ばくらいまではパワハラという言葉も概念も無かったです。私が社会人になったのがちょうど2000年。21世紀に向けて社会全体がパワハラということを認識し、注意しようとなっていたと記憶しています。それは単に会社の新人研修でパワハラの講座があったからからそうインプットされているのかもしれないのですが。大学の部活では実体験としてパワハラだと感じるものがありました。ただし圧倒的な縦社会の体育会系だったので、それをパワハラというのかというと疑問です。しかし高校生までと違って同学年でも年齢が上の同期がいて、後輩だけれど年齢は私より上(浪人、社会人入試など)、卒部したOBOGさん、と関係する年齢層が大幅に広がりました。部歴が絶対という世界にあった分だけそういうものだろうという感覚でした。振り返れば自分にされたことも、自分が他人にされたことも、今の基準ならパワハラに該当すると考えてしまいます。ただ前提には部活という閉鎖環境の縦社会という文化があってのこと。部活とは別のところでは敏感に感じることがありました。

 

現在。人生4度目の年男。年齢的にもキャリア的にもパワハラをしてしまう状況の方が多くなってきました。大学の部活関連、鍼灸マッサージ業界、子ども。だいたいのコミュニティにおいて先輩よりも後輩と接することの方が遥かに多く。私よりも年齢が上、キャリアが上という人に接する機会が減っています。常日頃パワハラになっていないかを気を付けるようになっています。

そこでパワハラとは何かを突き詰めると、パワハラとはコミュニケーション方法の一環なのではないか、と考えました。

立場が上の者に対しては敬語、少なくとも丁寧語を用いて接すればいいのです。社会のマナーとして幼少期から植え付けられてきました。ところが目下の人に対する立ち振る舞いはどうしたらよいのか。実は結構難しいいもの。年齢も育った環境も異なる立場が“一応”下とされる相手に対して。どのように接したらよいのか、何を話したらいいのか、どのような態度をとったらいいのか。実はプレッシャーになります。そのときに人は理不尽に偉そうにすることが楽なのではないかと考察しました。

 

私はお酒が飲めない体質なので後輩に酒を飲ませるということがありません。ところが大学時代は先輩の注いだ酒は飲み干すことがルールだと叩き込まれた世代です。なんせ初対面の他大学の先輩でも、否応なしに注がれた酒を飲まないといけなかったのです。大学4年生の時にダンスパーティーでのダンスバイトをした際に、打ち上げの席で他大学のOBさんから、その人が注いだビールを一気飲みしろと言われました。俺の酒が飲めないのか?という。無理に飲み干した結果、帰宅途中の理科大学前で嘔吐しました。今では『アルハラ(アルコールハラスメント)』というやつです。そこに疑問を持たなかったのですが、冷静に考えると飲みたい人はまだしも(それでも他人に飲むペースを強要される)、飲みたくない飲めない人に飲むことを強いることに何が楽しいのだろうか?という。酒好きはそういうのが好きなのだろう(自分には理解できないが)と割り切っていました。時代が下ってそれはアルハラ、いけないことですよと世間が評価しだすとやはりダメな事だった。今振り返って考えると、そうやって後輩と関係性を作っていたのではないでしょうか。当時はそういうコミュニケーションしか取れなかったのではないかと回想します。先輩は無条件に偉そうにする。後輩は無条件にへりくだる。その関係性から徐々に互いをさぐって知っていく。社会を円滑にすすめるために高校の入学式直後のようなことでは時間がないのでは。年をとってそう考えます。

 

一人の人間同士、立場の上下なしに対等に接するというのは簡単ではありません。特に年齢、キャリア、立場が異なる者同士が初対面のときは。人間力が必要になります。コミュニケーション力が必要になります。大人が無意味に天気の話をしていると子どもの時は思いましたが、そういうたわいもないが万人に共通の話題から互いにさぐっているのだなと成長して気づくわけです。人間力やコミュニケーション力などが劣っていることを露呈しないように威圧的な態度を取り敢えずとっておくというやり方がパワハラなのではないでしょうか。パワハラとは対人関係が苦手な人が何とかするための手法だったのではないかと思うのです。実利的なことをいえば、立場が上だからこちらの言うことを聞けよと脅しておく必要に迫られているとか。

 

圧倒的に素晴らしい人物ほど腰が低くて丁寧だとよくいいます。「実るほど頭 を垂れる稲穂かな」という言葉。これは、人は学徳が深まるとかえって他人に対し謙虚になることをよく実って重たくなった稲穂にたとえています。人徳者は自分に自信がありパワハラによるコミュニケーションを取る必要がないのでしょう。金持ち喧嘩せずという言葉もあります。マッチョほど優しいといいます(いざケンカになったら力で相手をねじ伏せるという自負が根底にある)。パワーがあり余裕がある方はハラスメントをしない、する必要がない。一方、コミュニケーションの取り方が分からなくて人間関係をうまく構築できない人はパワーを用いて自分を有利にしようとするコミュニケーションをとろうとする。結果的にパワハラになる。全部がそうとは言いませんが、パワハラの背後にはコミュニケーション手段の一つという一面があるように感じています。

 

コンプライアンスがどんどん強化されています。弱い立場の者が我慢していて表層化しなかったことがハラスメントとして認識され、防止の対象となっています。その分、コミュニケーションが難しくなっている一面があるのではないしょうか。それはパワハラを前提としてコミュニケーションを自然ととっていた人には。

 

甲野 功

 

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