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~教員養成科同期で集まる~

教員養成科同期3名と
教員養成科同期3名と東京駅にて

 

 

昨日は教員養成科同期で東京駅周辺に集まりランチをしました。

私は東京医療専門学校(現東京呉竹医療専門学校)鍼灸マッサージ教員養成科(以下、教員養成科)を2014年に卒業しています。この科はあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師のいずれかを取得した者が入学できる学科で2年制。免許を取得した者がより高度な技術、知識、研修を行い、各自が研究を行い発表および論文提出まで行います。卒業時には鍼灸マッサージ専門学校の教員免許も得られます。私は東京医療専門学校の鍼灸マッサージ科、柔道整整復科に続いて3つめの教員養成科を卒業しました。節目の30期になります。結局、現時点で人生最後の学生生活となりました。小学校から始まり、大学を経て専門学校。長いたくさんの学生生活のラストが教員養成科でした。このときの同期が一番連絡を取り合います。

 

2014年3月に卒業ですからもう10年以上前。それでもかなりの人数で交流が残っています。それは業界にみんな残っているから。教員養成科を卒業した後は、専門学校の教員になる者、私のように開業する者、学校の非常勤講師をしつつ開業する者、勤務している者、など様々ですがほとんどが鍼灸マッサージ業界にいます。中には業界から離れている人もいますが、免許をとっても3年経てば大勢消えていると言われる鍼灸の世界では驚異的な割合です。同じ業界ですから勉強会やイベントで再会することがありますし、共通の知人が山ほどいます。私の場合ですと同級生の教え子が来院することも多数ありました。これが大学ですと全員が同じ業種に就職することはありません。私が学生競技ダンスの部でしたが同期が全員社交ダンスを続けていることはなく、続けている方が稀。また柔道整復師に関しては主だった活動を私はしていないので、鍼灸持ちの同期を除くと関係が疎遠に。鍼灸マッサージ科の同期とは会う人は多少いるのですがFacebookで動向を目にするくらいの関係です。

 

2年前には静岡県浜松に8名の同期と当時の担任が集まりました。実は人生で担任も参加する同窓会は2回しか経験していません。それくらい私の中では珍しいことなのです。それも浜松在住の同期が還暦を迎えるということで浜名湖のほとりまで集合して一泊したのでした。その手間と費用を考えると安易に集まれる状況ではないです。更に今年の4月には卒業後10周年と還暦を迎える2名の同期を祝うために合計15名が新宿に集まりました。東京ということで地方からも参加するメンバーもいて、学科長を除いて同期一堂の半分が集まりました。卒業後11年と考えると驚異的だと思います。中には地方在住や子どもが小さいという者もいるというのに。その場では卒業以来の再会もありました。近況を把握していなかった同級生のこともかなり分かりました。

 

そして今回。浜松にも今年の同窓会にも参加しなかったメンバーが経絡治療学会夏季大学参加のため上京してきました。夏季大学は毎年お盆の時期に開催しています。そこに参加するのでこの時期は東京にやってくる京都の樽井先生。卒業後も何度か会っています。新型コロナ感染拡大後は初めての再会。会えるメンバーで東京駅周辺に集まりました。私を含めて4名です。

全員が開業していて自分の城を持っています。専門学校の非常勤講師をしている者。私と同様に柔道整復師も持っていて整骨院も併設している者。各自の働き方をしています。教員養成科に入学した30期生は私を除いてほぼ新卒でした。鍼灸師となってそのまま進学。その時点で鍼灸師になって6年目だった私には、最初話が合いませんでした。2月末まで国家試験に専念していた者ばかり。私は鍼灸マッサージ師として現場に出て、更に柔道整復師国家試験をパスして柔道整復師として働いました。途中東日本大震災を経験しています。教員養成科に入学する3ヵ月前に長女が生まれて。赤ちゃんを育てながらの進学で、本当に背水の陣という心構えでした。意気込んで入学した私には、ほんの少し前まで学生だった同級生たちを下に見ていました。実習や授業で鍼灸をするのとお金を貰って面識のない患者さんにするのは別世界だということを身に染みてわかっていたので。いざ授業が始まると実技も座学も想像以上に大変でした。特に鍼灸、東洋医学らの専門科目は学校の勉強から5年離れていた私と最近まで国家試験のために勉強してきた同期とでは差がつきすぎていました。普段使わない経穴は忘れていましたし、5年間で教科書の内容が変わり教育内容が大幅に増えていました。専門科目の座学は私の方が追い付くのにやっと。そして教員養成科では専門科目以外の座学が多数あります。心理学や漢方、医学史、社会学など。一様に初めて学ぶものは鍼灸師としてのキャリアの差はありません。むしろ入学前の経歴や人生経験が左右しました。また私を含めてクラスの3分の1くらいが柔道整復師でもありました。柔道整復師として臨床に立っている人もいたのでそちらの方面で話し合いました。

 

教員養成科の2年間。学校がある平日は朝から晩まで学校にいるメンバーが多く。復習、練習、情報交換。たくさん交流しました。放課後に新宿でスイーツを食べる。夏休みに旅行に行く(※私は子どもが小さくて参加していませんでした)。出身校が全国から集まっているため、呉竹学園以外の学校のことや地方のことを知りました。視野が広がり人生を豊かにする2年間でした。また長女の世話が本当に大変な時期で、朝保育園に送ってからの登校。発熱や怪我、嘔吐などで夜中に小児科に駆け込むこともしばしありました。体調が猛烈に悪い時期でもありました。そのような状況で、技術のことや卒業したらどうしたいのか、進路のことなどを語り合っていたのです。

 

2025年8月。集まった4名が話すと細かいテクニックや技術の話題が出てきません。あの時ああいうことがあったよねという回想もありません。今何に取り組んでいる。どう考えている。業界の未来は。そんな話題ばかりでした。卒業後のそれぞれの11年間があります。途中の過程をそれぞれ分かっているところもあります。細かい近況報告をする必要がなく、する気もなく。もはや「コロナ禍で大変だけど、そちらはどう?」なんて話題も出ません。むしろ自分の信じた道をどう歩んでいるのか。そんな話に。抽象的な概念の話題が多数でました。治るとは、治すとは。心の在りよう。気とは。学生時代は具体的な、あの鍼の刺し方は、艾の捻り方は、みたいなことばかりだったのが。当然年齢も11歳重ねていて、あの頃とものの捉え方や環境も変わっています。

そして鍼灸業界で生き残ってきた者同士、個々のこだわりや信念があります。譲れない部分。流派のこと。どうしたいかというよりどう在りたいかという話。ちょうど新年早々に父親が急死した私には響くというか自分を見つめ直すものになりました。去年話していたらこんな気持ちにならなかっただろうし、来年でもまたそうでしょう。個人的に心身が疲弊していると感じことが増えている状態だったので勇気づけられました。

また、あの先生が亡くなった、あの先生はもうかなり体調が悪い、そのような話にもなりました。少なくとも教員養成科時代に習った講師は3名がお亡くなりになられています。教員養成科で授業を持てるのは本当に経験と実績がある人だけ。1クール3ヵ月の授業を担当できるのは凄い人物なのです。おのずと大ベテランになってきて年齢も高くなります。他にも高名な先生が体調を崩して大変だということにも。教員養成科を卒業して11年。ずっとこの仕事を続けていれば、自然と上の先生方が去っていき、自分たちもベテランになっていきます。年月が過ぎたことを感じます。その一方で40、50では若手と言われるくらい上がいて健在である業界でもあるということ。20年やってやっと見えてくるものがある。まだまだこれから。道半ば。そういう世界に私たちはいるのだとも思いました。

 

同業者と会うと、新しい知識を、新たな人脈を、知られていない情報を、という目論見を持ってしまいます。成果になることは何かというビジネスライクな部分。私も個人事業主として時間を割く以上、常に心の中に持っています。ところがそういう感じがなかった集まりでした。少なくとも私の中では。韓国の鍼灸事情や経絡治療の情報を得たこともありましたが、それが重要ではなく。心の持ちようがとても大事だと知った時間でした。

 

甲野 功

 

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