開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
当院の最寄り駅は都営大江戸線牛込柳町駅です。都営大江戸線は21世紀に入ってから全線開通した新しい路線です。かつては都営12号線と言われていました。都営環状線という名称になる予定でしたが、当時の東京都知事である故石原慎太郎氏に、環状じゃなくて六の字だろ、と指摘を受け頓挫。公募により大江戸線という路線名になりました。江戸(東京都西部)の名所を周ることからこの名前に決まりました。
その大江戸線の中で清澄白河という駅があります。ここにある名所が清澄庭園です。もちろん清澄白河の清澄です。
清澄庭園は東日本大震災後に妻と訪れました。その時お腹に長女がいて、子どもが産まれたら自由に出かけられないからと出かけました。この頃、清澄白河にブルーボトルコーヒーが出店しカフェの聖地として注目されてきた時期でした。カフェ巡りが好きな妻の希望で清澄白河散策。お目当てのブルーボトルコーヒーに入り、名物深川飯を食べ、そして行ったのが清澄庭園でした。清澄白河駅から徒歩3分と近くにあります。都心部にありながら広い庭園です。中央に池があり、その周りを回遊する日本庭園です。形式としては回遊式林泉庭園になります。現在、東京都指定名勝に指定されております。
最初に大江戸線の話をしましたが、江戸=東京というわけではありません。江戸時代に栄えたのは現在の東京の西側。西高東低などと言われて文化面は東京西部の方が歴史があります。東京都東部は23区から市になり、八王子や高尾に。西部は上野、浅草を筆頭に江戸文化の中心。都庁が移転する際になるべく東側にという意向で新宿になりました。今では世界一の乗降者数を記録する新宿駅ですが、その名前の通り江戸時代にできた新しい宿場。当時は日本橋などに比べてあまり栄えていなかったわけです。
清澄は東京の西部に位置し隅田川が近いため漁師町として発展しました。当時は清住という地名で町が出来始めたのは寛永時代(1624〜1643年)頃。今は内陸という感じですが深川飯から分かるように漁業が盛んでした。徳川家康の家臣に久世家がいます。享保年間(1716~1736年)に久世大和守の下屋敷がここにあり、清澄庭園の原型が作られたようです。明治維新が成り徳川幕府の時代が終わると新明治政府要人などの住居に変わっていきます。明治11年(1878年)にはこの土地を三菱財閥創業者である岩崎弥太郎が買い取ります。岩崎弥太郎は土佐(現在の高知県)出身で坂本龍馬と同じ時代を過ごしました。岩崎弥太郎は事業で大成功を納めて財を成します。坂本龍馬の海援隊を引き継ぎ海運業で儲けました。岩崎弥太郎は若い頃から造園に興味があったようで大名屋敷の池庭を改修して大庭園にします。特に石が好きだったそうで集めた巨石を持ち込み、明治13年(1880年)に庭園を深川新睦園と命名します。岩崎弥太郎が明治18年(1885年)に亡くなるとその弟弥之助が改修を行い、建築物を増やし明治24年(1891年)に完成させるのです。更に改造して大正10年(1921年)に一般公開しました。それまでの三菱の関係者が使用する庭園から一般の人も利用できるようになります。そして大正12年(1923年)9月1日に関東大震災が発生。清澄庭園は火災と建物倒壊で壊滅的な被害を受けます。翌大正13年(1924年)に清澄庭園の約半分の敷地を東京市(当時)に寄付され、大正14年(1925年)に当時の東京市長が名称を「清澄庭園」とし市の公園に加えました。昭和2年(1927年)には大正天皇御葬儀で使われた葬場殿を移築して「大正記念館」と命名し、翌昭和3年(1928年)に開館式を行います。昭和32年(1957年)になると都市計画により用地買収を行い、造成工事を経て昭和52年(1977年)に完了しました。そして昭和54年(1979年)3月31日に東京都名勝に指定されたのでした。
清澄庭園の特徴は岩崎弥太郎が関わる巨石。特徴的な石が園内に点在していることです。それぞれ名称がついており、立札があります。伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、偏中御影石、讃岐御影石など。名石と言われます。これら名石以外にも敷石や石橋、池の飛び石、石仏、九重塔らがあります。広大な石庭といえて、お寺の石庭とまた違う壮大な規模があります。
次に目を引くのは大きな池。三つの中島があります。この池を中心に庭園ができており、周囲を周るようになっています。池をどの方向から見るかで景色が変わり、先に東京スカイツリーが見えます。
また大きな築山が作られており、下から見上げるようにあります。富士山を意識したそうです。
建物は前に紹介した大正記念館。移築後に第二次世界大戦の空襲で焼失してしまい、戦後の昭和28年(1953年)にて再建されました。平成元年(1989年)には全面改築されました。また数寄屋造りの建物である涼亭は明治42年(1909年)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの。平成17年(2005年)に東京都選定歴史的建造物に指定されています。
奥には菖蒲園があり、また違った景色が観られます。
江戸の景勝地、清澄庭園。大江戸線を使った東京散策にもってこいの場所です。
甲野 功
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