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ミラノ・コルティナオリンピックが閉幕しました。今大会の主人公はりくりゅうペア(三浦璃来・木原龍一組)ではないでしょうか。日本代表で初めてフィギアスケートペアで金メダルを取りました。団体戦からショートプログラム5位に終わり、過去最高得点のフリープログラムでの大逆転優勝。二人の物語は小説かのようなドラマでした。日本はもちろん世界にもその感動が広まりました。
そのりくりゅうペアが参拝して話題となっているのが京都にある石清水八幡宮です。最近は二人に関わることが毎日ニュースとなり何でも注目されています。オリンピック前に二人が着物姿で参拝したニュースが再び注目されています。聖地巡礼のように参拝者が増えることが想像できます。奇しくも昨年私も行ったばかりの石清水八幡宮を紹介します。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は京都の南西部にあります。JR京都駅を中心地と考えるとやや外れにあります。そのせいか毎年京都を訪れる私も候補に挙がっていませんでした。京阪本線石清水八幡宮駅が最寄りになりますがこちらに行く機会がなく。昨年11月に醍醐寺を参拝してそのまま石清水八幡宮まで行く予定を立てて、やっと行きました。京都といえば金閣寺、清水寺、伏見稲荷大社、平等院、二条城、嵐山など名所だらけ。優先順位が高くありませんでした。しかし社格は非常に高いのです。
石清水八幡宮は二十二社(上七社)の一つ。二十二社とは平安時代中期から中世にかけて朝廷から特別な奉幣を受けた最高峰の社格を持つ22の神社で、その中で最上位に位置する7社が上七社です。上七社は石清水八幡宮、伊勢神宮、賀茂神社(上賀茂・下鴨)、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社です。非常に有名な神社ばかり。さらに伊勢神宮内宮とともに二所宗廟の一つです。二所宗廟とは皇室から最高位の崇敬を受けた二つの神社のこと。伊勢神宮内宮(皇大神宮)と並ぶのですから相当な格。さらに宇佐神宮、鶴岡八幡宮(もしくは筥崎宮)と並ぶ日本三大八幡宮の一つなのです。とにかく凄いです。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されているのです。
創建は平安時代初め、清和天皇の貞観元年(859年に)、南都大安寺の僧行教和尚が宇佐八幡宮(宇佐神宮)から勧請しました。八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、男山(標高143m)の山上に鎮座されました。創建年は史料により貞観元年(859年)と貞観2年(860年)の説があります。朝廷の尊信を受けて賀茂神社、松尾大社、春日大社などと同等の待遇を受けるようになり、平安末期には白河天皇の殊遇を受け、伊勢神宮とともに二所宗廟になります。平安京の鬼門(北東)を守る比叡山に対し、裏鬼門(南西)を守る神社です。八幡神を氏神とする源氏の崇敬を受け、源氏の広がりとともに鶴岡八幡宮など、石清水八幡宮から各地に八幡宮が勧請されることになります。
僧侶を中心に創建され宮寺形式をとり境内の神宮寺である護国寺と一体とされました。「石清水八幡宮護国寺」と称するように。しかし明治維新に神仏分離令で仏式は排除され仏堂や仏塔は姿を消します。明治の初めには「男山八幡宮」と改称されるも、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称されます。仏式で行われていた放生会も「石清水祭」と名を変えます。現在、石清水祭は葵祭、春日祭とともに日本三大勅祭のひとつに数えられるのです。平成28年(2016年)には石清水八幡宮本社10棟、附棟札3枚が国宝に指定されます。
御祭神は3柱(3神)です。中御前が誉田別命。第15代応神天皇のこと。西御前が比咩大神(多紀理毘賣命、市寸島姫命、多岐津毘賣命)。宗像三女神です。そして東御前が息長帯姫命。応神天皇の母である神功皇后です。
石清水八幡宮は山の上にあります。そのため京阪本線石清水八幡宮駅からケーブルカーに乗るか徒歩で登らないといけません。私が参拝したときは息をケーブルカー、帰りを徒歩にしました。
石清水八幡宮駅の出口を出るとすぐにケーブル八幡宮駅があります。ケーブルカーで一気に登り、ケーブル八幡宮山上駅へ。ケーブルカーからの景色から素晴らしいです。ケーブル八幡宮山上駅を出るとそこからまた山を登っていきます。由緒ある神社、寺院は山の上にあることが多く、山全体が神域。石清水八幡宮もまるで山城のように感じます。南総門から向かい楼門、本殿とありました。石清水八幡宮の社殿は八幡造と呼ばれる独特の構造といい、楼門から奥へと舞殿・幣殿・本殿が続きます。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模。しかも本殿は内殿と外殿からなります。このように内殿と外殿に分かれているのは神様が昼は外殿に、夜は内殿に遷られるとされることによります。内殿は後殿、外殿(国宝)は前殿とも呼ばれ、寛永11年(1634年)に江戸幕府3代将軍徳川家光によって再建されました。現存するのがこちらで貞観元年(859年)に清和天皇の勅命で建立されて以来、幾度となく造営・修理を繰り返してきました。内殿・外殿ともに国宝です。さらに幣殿、舞殿、東門、西門、廻廊、楼門と全て寛永11年(1634年)に徳川家光によって再建されており、いずれも国宝に指定されています。廻廊の東北部分は鬼門封じとして土台の石垣が切り取られています。都の裏鬼門封じの石清水八幡宮ですが、石清水八幡宮自体にも鬼門封じがされているのが面白いです。四方を総門が囲み、北総門、東総門、西総門が江戸時代前期に再建されたもので国重要文化財に指定されています。南総門だけが昭和13年 (1938年)の再建です。
石清水八幡宮と関りが深いのが世界の発明王ことトーマス・エジソンです。ご存じの通りエジソンは世界初の白熱電球を発明しました。明治12年(1879年)の秋です。その後もエジソンは研究を続け、点灯時間の延長を図ります。ある日エジソンは研究所にあった日本の扇子に用いられている骨(竹)を使って電球を試作してみると、電球寿命が飛躍的に延びまる。電球のフィラメントに竹が最適であると知ったエジソンは竹を求め世界中に探します。そして最も寿命が長持ちのする最高の竹が京都男山周辺の真竹でした。石清水八幡宮が鎮座するのが男山です。竹の代用品が見つかるまでの十数年間、日本の竹が白熱電球に使用されます。エジソンと男山の竹との関係から、昭和9年(1934年)に石清水八幡宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されます。そして昭和33年(1958年)には石清水八幡宮境内に記念碑が移転され、記念碑建立50年に当たる昭和59年(1984年)には、デザインを一新し建て替えられて現在に至ります。
幼少期に伝記マンガでエジソンのことを読みました。白熱電球を多大な苦労をして発明したことを読み、しかも日本の竹が使われたことを知りました。まさか京都男山の竹だったとは。現地でなぜエジソンが出てくるのだろうと意外に感じましたが案内を読んで納得しました。
境内には多くの摂社、末社があり重要文化財、更には国宝指定のものがあります。徒然草、源氏、お茶、楠木正成、織田信長など様々な物人物と縁がある建物などがあります。由緒があり、歴史があるからでしょう。一度では確認しきれません。
本殿を参拝した後はケーブルカーに乗らず歩いて下山しました。この道中にも色々なものがあり、冒険をしているようでした。石の三の鳥居をくぐり参道を降りていきます。周りは竹林となっていてエジソンの竹はこれかと思います。結構急な坂道です。途中二つに分かれた道があり、男山展望台の方に向かいます。そこには京都市内を一望できる絶景スポットでした。京都駅方面に開けていて、京都が盆地で山に囲まれていることがわかる光景が見えました。そこから日が暮れていくという時間帯で急いで下山しないといけないと、焦りを感じました。谷崎潤一郎文学碑があるのも印象的でした。展望台を後にして道を戻り、山を下っていきます。舗装されていますがかなり急で、歩いて登っていたら大変だったと思います。あれだけの展望から平地に降りていくのですから。途中、摂社である石清水社があり、二の鳥居へ。ここまでくると川が横を流れている市街地。道を進むと高良神社がありました。そして一の鳥居へ。扁額にある八幡宮の文字、八が2匹の鳩の形になっていて鎌倉鶴岡八幡宮と同じでした。
一度では理解しきれないと感じました。また参拝することがあれば、行きにケーブルカーを使わずに一の鳥居から参道を通り、山を登ってみたいものです。再度訪れたい石清水八幡宮でした。
甲野 功
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