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1996年4月。東京理科大学理学部応用物理学科に入学した私は新入生でした。新入生歓迎こと新歓の時期。ちょうど30年前の今頃、東京理科大学舞踏研究部の新歓に捕まりました。具体的な日付を覚えていないのですがだいたい4月の今頃だったと思います。捕まったというのは文字通りで、よく分からないまま部室に連れて行かれて自己紹介を繰り返していくうちに飯田橋駅前の喫茶店に移動させられました。どんなことをしている団体のかよく分からないまま。何をしているところなのかどの先輩も教えてくれず。ひっきりなしに先輩が現れ自己紹介をします。話題がつきると別の人に交代し時間を持たせ。部室に1年生がたまると喫茶店に移動。そこでまた別の先輩がいて自己紹介。そのまま夕方近くまで時間を潰し、飲み会があるからこのまま居酒屋に移動しようと言われ。居酒屋に入るとまた別の先輩や別ルートで集められた新入生がいて。結局どうも社交ダンスをするところらしいということだけしか判明せず。それが学生競技ダンス連盟(学連)という世界を知った日でした。
今では考えらませんが、学生競技ダンスはおろか社交ダンス自体がマイナーでした。同年1月公開の映画『Shall we ダンス?』が大ヒットしましたが、社交ダンスは高齢者か中高年がするものという印象。同じく4月にウリナリ芸能人社交ダンス部というテレビ企画が始まりました。1996年4月時点では社交ダンスは何となく知られていて、それを競技として行う競技ダンスというのがどうもあるらしい、くらいの認知度。その後ゴールデンタイムのバラエティ番組で芸能人が競技ダンスに打ち込み競技会に出る姿が放送されて一気に世間的な知名度が上がります。しかし私が新入生の時は当初、モダン(現ボールルーム。スタンダードとも言う。)というドレスを着て男女が組み合って踊る方はまだしも、(鹿鳴館のダンスパーティーの絵は歴史の教科書に登場するし)、ラテンの方は隠し通していました。当時は、腰を振って気持ち悪い、というのが男子学生の主な感想でした。後で知りましたが前年は新入生全体イベントでラテンダンスを披露したらしいのですが、思いっ切り引かれたそう。当時の男子新入生が新歓の飲み会で、舞台の上で腰振って踊っているのがいてびっくりしました、と隣に座った上級生に話すと、それは俺だよ、と返されたそう。俺だといった上級生は後に日本一になり、言った新入生もラテン部門で優勝する選手になるのですが。そんなわけで私が入部した30年前はラテン種目を教えるのはいつにするかかなり慎重に話し合ったそうです。そしてある日部室に集められて競技会のビデオを見せて、俺たちが本当にしていることはこれなんだ、とカミングアウトされました。映像を観た同期の新入生はかなりひいていました。今では信じられないエピソード。
なお私が2年生になって新歓をする側になると知名度が圧倒的に上がっていたので隠す、ごまかす必要はなく、あのテレビでやっているあれだよ、で通じるようになっていました。
東京理科大学舞踏研究部から東部学連へ。4月末の東都大学戦を観戦に行き、そこで学連の世界を実感します。大学の入った背番号をつけたリーダー(男性)とドレスを着たパートナー(女性)。髪あげといってしっかりとセットされた髪型。つけまつげに付け爪と分厚い化粧。競技会中ずっと応援している。異様な雰囲気で本当に未知の世界でした。モダン、ラテン。先輩方はどちらかを専攻している。東京理科大学以外も多くの大学がある。モダンとラテンで全然踊りが違う。フォーメーションという8組同時に踊る種目がある。情報がたくさん飛び込んできました。
体験入部で簡単なステップを習い、本番の競技会を観戦して。自分に合っているなと思いました。私は高校の時は山岳部で大会というものに出たことがありませんでした。インターハイはありますがテントの立て方とか料理の作り方など純粋な運動面以外の要素が多く不参加でした。球技全般が苦手な私。野球全盛の小中学時代。スポーツで活躍する子どもではありませんでした。水泳は小学校で4年間習っていたので少しは得意でしたが中学校に水泳部はなく。個人で新宿区の水泳大会に出場したときは平泳ぎのタッチの仕方がルール違反だとして失格。体感では3位だったのですが。苦い思い出です。高校で水泳部に入ろうと思いましたが今度は学校にプールが無いので悩みました。そこで珍しい山岳部があったので入部したのです。私は物事着く前から中学入学前まで父に山登りに連れて行かれていて、山歩きは相当していました。そのせいか、東京理科大学でワンダーフォーゲル部を新歓で見学した時はレベルが低いと感じてやめました。大学から始める人ばかりだったからなのでしょう。学連の競技会を観たときに大学名の入った背番号を付けていることに憧れが出ました。今まで経験したことのない、学校の名前を背負って競技に出ること。これはやってみたいと思いました。
そして主将が強かった。初観戦の東都大学戦という大会。東京理科大学舞踏研究部主将のペアが2種目優勝しました。優勝するとオナーダンスといって広いフロアーに1組だけ踊ることができます。ラテン、モダンそれぞれ4種目あり、1組最大2種目エントリーできます。そして主将ペアは2種目とも優勝。司会に「(オナーダンスは)どちらの種目になさいますか?」と聞かれていました。学連経験者なら分かりますが選手として最大の栄誉です。だいたい2種目優勝するとオナーダンスは最後にまわされるので、大会のとりを努めることが多いのです。新入生で初めての競技会で知っている先輩が優勝するというのは強烈な印象でした。その日から学連という特殊な異様な世界と本格的に関わりました。
大会はスーツ着用の正装。ここでネクタイの締め方を覚えました。他は就職活動でネクタイを締めるようになったものが多い中、大学1年生で。大会には厳しいルールが多く、破ると罰則があります。これは今でも変わらず、むしろ令和の今の学連の方が厳しく、昨年も危うく超強豪校が出場停止処分になるところでした。システムも複雑で学連は全国規模で、全日本学連があり、そのうちの東部日本ブロックに東京理科大学は所属。東部日本ブロックから東京六大学を除いたのが東都大学。春と秋に東都大学戦と六大学戦があり、東部日本ブロック全体の東部戦が春にあります。東部戦で団体成績12位以上が東部Ⅰ部校で13位以下が東部Ⅱ部校に分けられます。これは毎年春の東部戦で決めるので入れ替わりがあります。なお今年は2019年以来のⅠ部校・Ⅱ部校制度が復活です。新型コロナで活動が制限され、複数の大学が廃部となった東部学連。分けるほどの規模がなかったのが、部員が増えてきたこともあり7年ぶりの制度復活となります。東部戦団体18位以内に入らないと夏の全日本選抜に出場できません。1996年当時は東部推奨枠という制度は存在せず、大学単位で出場権を取らないといけません。夏の終わりに東部Ⅱ部戦が開催されⅡ部の大学だけが出場。ここで団体成績6位以内に入ると秋に行われる東部Ⅰ部戦に出場できます。冬に行われる全日本戦は全国から大学が出場し、1組1種目だけの大会。ここに挙げたのはレギュラー戦といわれる選手権大会。更に新人戦、招待試合というのが加わります。ざっと書きましたが外部からみると複雑で何だか分からないことでしょう。私も理解するのに随分と時間がかかりました。
学連には連盟委員という制度があります。各大学から選出される役職でシーズン中は毎週会議のために集まります。夏と春にはリーダースキャンプという泊りがけの会議もあります。私は1年生の終わりから連盟委員をしていました。連盟委員は外交官と裁判官のような役割があり、他大学との交渉をする立場と大学に連盟で決まったことを通知し厳守させる役目を持ちます。これは一般企業に通じるもので各部局というチームが複数の大学でまとまっていて、部局長がいます。理事という4年生が選挙で決まる役職があります。書類の出し方は厳格に決まっていて、当時はルーズリーフに手書きで提出していました。連盟委員の仕事を丸2年間したことは社会人になる上で非常に大きかったです。先代が途中で大した引継ぎをしないでいなくなってしまったためその業務は非常に大変でした。リーダースキャンプで夜中に提出した書類を、こんなもの受け取れるか!と投げ返されたのが19歳の夏。話したことのない他大学の先輩に怒鳴られ、日付が今日のうちにやり直して持ってこい!と言われ。これまた話したことのない他大学の先輩が、やり方教えるから一緒にやろうと声を掛けてくれて書き直したこと。先輩が誰も参加していないので2年生で主将会議に出席し、4年の理事長から、なんで理科大は2年が出ているんだよ、と睨まれました。当時の理事長は同じダンススタジオだったので余計に怖かった。ここで会社や組織の洗礼を一足早く受けたと思っています。
勝負の現実を思い知らされたのも学連でした。スポーツ、芸術問わず競技会やコンテストにほとんど出たことがありませんでした。冒頭に紹介した競泳も反則で失格。純粋な勝負は大学受験で落ちたことくらいでした。学連では4年間で合計42回1次落ちを経験。努力しても練習しても勝てないという現実を思い知りました。なお学連では競技会を試合と呼び、結果を勝ち負けと表現します。優勝すれば勝ち、それ以外は負け。決勝に残るくらいでやっと勝っている選手と言われます。現実の厳しさと、どうして勝てないのかを考え続けた4年間は大きな財産です。
人の繋がりも強固です。学連経験者というだけで大学、世代を問わず話ができます。どの大学でどの世代か。あの特殊な世界を経験したという共通項が距離を縮めます。会社員時代は感じませんでしたが、この仕事に就いてからは本当に助かっています。縦にも横にもコミュニケーションが取れます。今も学連というバックボーンが本業に大きなサポートになっているのです。理科大の同期には会わないのに他大学の同期にはよく会うという現状。親くらい年上から現役の大学生まで。学連という前提が無かったら知り合うことがない世代差を越えてきます。
東京理科大学舞踏研究部から学連の世界を知ってちょうど30年。18歳から22歳までの4年間で多くのことを体験し学びました。楽しいことばかりではなく、むしろ挫折屈辱の方が多かったかもしれません。途中で辞めるときめて飛び出たこともありました。現役4年間よりも遥かに長い年数を過ごし、今も学連とは仕事の関りがあります。人生を大きく変える、決定付けた世界を知って30年。
甲野 功
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