開院時間
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

毎年京都を訪れます。目的は神社仏閣巡り。高校3年生の時に卒業旅行で初めて京都に行ったとき、特に三十三間堂に感動してから京都愛が芽生えました。生まれからずっと東京都新宿区に住んでいます。東京の都心部。少し歩けば旧江戸城の城内に入ることができます。近所には神楽坂があり今も江戸情緒を見つけることができます。京都の地を歩いたときに東京(江戸)とは違うものを感じました。当たり前ですが昔の建物が東京とは比較にならないくらい残っています。また文化も。碁盤目のように東西南北で区画された道路。最初はそれでいいかもしれませんが1300年も残っていることが凄いです。大きく崩れることなく現在も街の区画がそのまま。東京は江戸幕府を興す際に埋め立てられて造られました。お堀を二重に“の”の字状にしていき。風水としての結界は京都を参考にしています。そもそも東の京で東京。京都がオリジナルでそれを応用発展させた感じがあります。
東京、というより江戸を感じさせるのが江戸時代から栄えた繁華街。近所にある神楽坂がそうです。都内屈指といえば浅草でしょう。人が集まる→お店ができる→また人が集まる→よりお店ができる、を繰り返してぎちぎちに店舗が詰まった感じ。ショッピングモールなど無い時代に自然と商店街になった。そういう風景が神楽坂や浅草にあります。有名寺社の参道、城下町。誰かがデザインしたのではなく自然発生した賑わい。後々施政者が整理したとしても、人の情熱が生んだ街並みは力を感じます。そして今も残っている。京都でそういうものを感じるが錦市場です。
京都でも有名なエリアですが、長らく私は行きませんでした。記憶が曖昧ですが、おそらく高校3年生の卒業旅行で訪れています。この時は同級生の後をただついていくだけだったので、どこを歩いているのかよく分かっていません。長いアーケード内を歩いた記憶があるのでおそらくそこが錦市場だったのでしょう。平成後半になり外国人観光客が激増し、京都が世界一の観光地と称されるようになります。頻繁に特集されるようになり、錦市場が人気だと紹介されることが目に入ってくるようになりました。存在は知っていましたが神社仏閣に注目している私は二の次。京都に来てもグルメには重きを置かないので何度京都に来ても錦市場に足が向くことはありませんでした。上の子どもと一泊で京都旅行に行ったときに夜買い物に行こうと考えたのですが、あいにくの大雨で宿にとどまったままでした。
そんな私が錦市場に行った目的は錦天満宮。『ギャラリーフェイク』というマンガの作中で鳥居が建物にめり込んでいるという場所があると知り、見てみたいと思いました。位置関係を調べて散策ルートに入れました。
平安神宮、知恩院、円山公園、八坂神社と巡り、祇園四条駅に向かって歩き。四条大橋で鴨川を渡ります。京都河原町駅を通り過ぎ、寺町通を曲がって進みます。錦天満宮を参拝した後に振り返ると錦市場が始まりました。
よく映像で観ていた場所。あざやかな天井のアーケード。狭い道にところ狭しとお店が連なっています。オーバーツーリズムで問題視されるエリアで噂にたがわず外国人観光客でごった返していました。やはり浅草の商店街に近い雰囲気を感じます。メインストリートの錦小路通が東西に390m続き、途中、御幸町通、麩屋町通、富小路通、柳馬場通、堺町通が南北に直行します。アーケードの終わりは高倉通に出て、ここまでが錦市場です。あまりにも人が多いのでほとんど写真を撮ることがかなわず。撮影していて赤の他人が入ってしまうのは嫌なもので。
錦市場の特徴は何と言っても伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)。伊藤若冲(1716~1800年)は、江戸時代中期に京都で活躍した絵師です。いま絵師というと同人誌的なアニメイラストを描くオタク要素のあるクリエーターをさすことが多いかもしれませんが、本来の絵で生計を立てていた江戸時代の人。画家ではなく絵師と呼ぶ方がしっくりくるのは独特な画風から。写実と想像を融合させた独自の作風から「奇想の画家」と称されます。その伊藤若冲の絵が店のシャッターなどに描かれているのです。先ほどあげたマンガ『ギャラリーフェイク』は美術の話です。錦市場のいたるところにある伊藤若冲も紹介されていて、それを見たかったのです。写真に納めようにも人が映り込んでしまうのでアーケードの終わりに壁に掲げられたシートくらいしか撮影できませんでした。なぜここまで伊藤若冲の絵が錦市場にあるかというと、地元だからという理由だけでなく恩人であったからです。『京都錦小路青物市場記録』によると錦市場の営業を巡り争議が起きた際に伊藤若冲は解決に尽力し、窮状を脱することができました。錦市場中興の祖といってよい存在だそうです。このエピソードでされ約250年前。錦市場は歴史があるわけです。
資料が定かではありませんが約1300年前に延暦年間(782~805年)に魚市場「魚の立売り」が開かれたとか。天喜2年(1054年)に後冷泉天皇によりそれまで具足小路と呼ばれていたのが錦小路と改められたと言われています。現在の錦市場の始まりは江戸時代初期、元和元年(1615年)に江戸幕府が初めて魚問屋の称号を許したこと。「上の店(かみのたな)」、「錦の店」、「六条の店」を京都の特権的鮮魚市場として三店魚問屋としたことで錦市場は魚市場への第一歩を踏み出すのです。錦市場400年の歴史は魚市場からでした。
明和7年(1770年)になると奉行所が錦小路高倉に青物立売市場を認めます。ところが翌明和8年(1771年)に商売敵の策謀により、奉行所から営業停止を言い渡されます。このとき町年寄だった伊藤若冲が錦市場存続のために尽力したのです。奉行所等と交渉を重ね、安永3年(1774年)にようやく錦市場が公認されます。
江戸時代が終わり明治時代へ。武士の世界が終わり、京も東京に移ります。明治16年(1883年)に江戸幕府が認めた三店魚問屋の特権が廃止されます。これにより同業者間の過当競争のため市場は混乱を極め、店が激減してしまいます。明治時代の終わり頃の明治44年(1911年)に水産魚介類業を中心に「錦盛会」が結成され、新たに活気を取り戻します。昭和に入り昭和3年(1928年)には青果業や精肉業などの食料品店を加え「錦栄会」を設立します。今のようなあらゆる食料品を取り扱う“京の台所”となっていきます。最初の東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年(1963年)に「錦栄会」を発展解消し、「京都錦市場商店街振興組合」が設立されます。
平成に入ると。平成5年(1993年)に柱なし工法による現在のアーケードが完成。平成17年(2005年)にブランド力を高め、「錦市場」の安易な利用を防止するため、『錦市場』を登録商標にします。翌平成18年(2006年)にイタリア・フィレンツェ市のサンロレンツォ市場と食文化の交流を目指して友好協定を締結。古都京都の台所から世界的観光地になる予兆のようです。
海から離れた錦市場が魚市場として栄えたのは何故でしょう。大阪も東京も横浜も神戸も海に面していています。京都府そのものは北が日本海と接していますが、中心地の京都市は海から距離があります。その理由は錦市場には地下水があり、一年を通して水温を15〜18℃に保っていました。これは「錦の水」とよばれ、生鮮食材を保存するのに適していました。食材が集まるため京都の食文化を支えてきました。今も料亭が食材を仕入れにくるといいます。京料理に重要な場所。平成30年(2018年)に食文化の発信拠点として『斗米庵』を開設します。サンロレンツォ市場との友好提携を進めたことで、双方でユネスコの無形文化遺産を目指しています。
食文化以外にも祇園祭との関りも強いのです。日本三大祭りの一つに数えられる祇園祭。私が歩いたとおり祇園祭の八坂神社からも近い位置にある錦市場。八坂神社の祭神を奉じた三基の神輿渡御(神幸祭・還幸祭)があります。これらの神輿のうち一基は昭和22年に結成した「錦神輿会」が御奉賛するのです。
雑にいえばアーケード商店街なのですが、その歴史が圧倒的にある錦市場。調べてみると興味深いことがたくさん出てきます。古都が誇る、そして残る、貴重な場所です。
甲野 功
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