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~江島神社奥津宮~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 江島神社奥津宮
江島神社 奥津宮

 

 

過去2回に渡って紹介してきた江島神社三宮ですが、辺津宮中津宮ときて、今回は最後の奥津宮を紹介します。

 

奥津宮|江島神社について | 【公式】日本三大弁財天江島神社

 

神奈川県藤沢市にある江の島。日本屈指の観光地で風光明媚なところ。四方を海に囲まれるも大橋で徒歩でも自動車でも渡ることができる利便性の良さ。人気があります。江の島はあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師にとっても重要な場所なのです。江戸時代に実在して盲目の按摩師、はり師である杉山和一が修業した地なのです。杉山和一は視力を失ったことで按摩、鍼の世界に入り修行するのですが鍼技術が下手で苦労しました。中国の鍼は太くて長いのですが、日本では細い鍼が求められます。細い鍼は体に刺すのに太いものよりも技術が必要。江の島の弁天窟で修業し、江の島の福石と称されることになる石に躓いた拍子に細い管を使えば鍼が上手に刺せるとひらめきます。これが現在の日本人鍼灸師ではスタンダードな技術となっている管鍼法です。杉山和一は後に江戸幕府将軍徳川綱吉の加護のもと、世界初の視覚障害者支援施設を作ります。当道座という盲人(視覚障害者)の組織で最上位の検校という役職に就きます。このように杉山和一と縁が深い江の島には彼のお墓と銅像があります。

 

杉山和一縁の地ということで鍼灸マッサージ専門学校の学生・教職員、あるいはあん摩マッサージ指圧師や鍼灸師は江の島をよく訪れます。国家試験合格祈願に江の島詣でをすることも珍しくありません。かの杉山和一もそうしたように。江の島には江島神社があるのですが、それは3つの宮からなります。島の入口から手前に辺津宮、島の中央付近にある中津宮、そして奥にあるのが奥津宮です。

奥津宮があるのは島に西側でかなり奥にあります。文字通り。足腰に自信がないとここまでたどり着くのも一苦労でしょう。楽に行きたければボートを使う手もあります。裏側の岩屋乗り場まで大橋のところから海上を通ることができます。ただ海岸から険しい階段を上らないといけませんが。

 

江島神社の三宮はそれぞれ宗像三女神を祭っています。奥津宮は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)を祭っています。多紀理比賣命は三姉妹の宗像三女神の中で一番上の姉神であり、安らかに海を守る神様といわれています。余談ですが神社にも水の神社、火の神社と属性があると言われており、江島神社は水の神社です。海に囲まれているから当然ですが祭られている神様も関係します。山にある神社は火の属性が多く、同じ神奈川県内だと箱根神社は火の属性といわれます。奥津宮の先には杉山和一が修行した岩屋があります。ここは龍神伝説発祥の地なのですが、そこに一番近い奥津宮はかつて本宮または御旅所と称されていました。『江島縁起』によれば、欽明天皇13年(552年)に欽明天皇の勅命で岩屋に神様を祭ったのが江島神社そのものの始まりとされています。弘仁5年(814年)に弘法大師空海が岩屋本宮を創建します。そして慈覚大師が上之宮(現在の中津宮)を創建したことで、現在の江島神社三宮体制の基礎が築かれることになります。

 

江戸時代の天保12年(1841年)に奥津宮の社殿は焼失してしまいますしかし翌天保13年(1842年)に再建され、それが現在の入母屋造りの本殿です。神社の中では取り立てて古いものではありませんが、潮風に晒される立地を考えると残っていることに注目します。昭和末期の昭和54年(1979年)に屋根が修復され、平成に入った平成23年(2011年)に本殿が170年ぶりに改修されました。なお本殿まで行くことはできないので手前の拝殿でお参りをします。

昭和51年(1976年)に拝殿が新築されたのですが、その天井部分には「八方睨みの亀」の絵があります。これは江戸時代の画家である酒井抱一が描いたもの。ただし原画は歳月と潮風で金箔等の損傷が激しいため江島神社宝蔵に保存されることになり、現在天井にあるのは平成6年(1994年)に片岡華陽が模写したものです。どこから見ても亀がこちらをにらんでいるように見える絵です。藤沢市有形文化財に指定されています。左右に大きな杓子が一対あり、向かって右側には弁財天が描かれ“萬福将来”の文字が、左側には龍神が描かれ“神威奉戴”の文字があります。弁財天が描かれているのが宗像三女神の次女、市寸島比賣命が弁財天と習合している(同一視されてきた)ためで、龍神は岩屋の竜神伝説が由来です。

境内の入口には源頼朝寄進(と伝わる)の石鳥居があります。養和2年(1185年)に奥州平泉の藤原秀衡を調伏するために建てられたものとされています。現在の鳥居は平成16年(2004年)の台風のあと補修されたものです。奥津宮は大きなものではありませんが周辺に興味深いものが多数あります。亀石(亀甲石)力石があります。

そして私が注目したのが山田検校斗養一座像山田検校顕彰碑。前に説明した通り検校とは江戸時代までの盲人(視覚障害者)組織である当道座の階級で最上位のもの。山田検校とは宝暦7年(1757年)に江戸で生まれ、江戸時代中期から後期にかけて活躍した筝曲音楽家です。山田流箏曲の開祖です。若くして失明したため、長谷富検校の門人であった医師の山田松黒より筝曲を学びます。按摩、鍼、楽器奏者というのは昔から視覚障害を負った方の生業となっています。山田検校は1817年(文化14年)に当時最高位であった江戸惣録検校にも昇格します。『江ノ島曲』を作曲し、江の島と縁が深いため顕彰碑と検校の座像が建てられました。山田検校の弟子に。山勢派の祖となる山勢検校がいます。この山勢検校は当院のすぐ近くに住む人間国宝で初の箏奏者で文化勲章を受章した山勢松韻さんの祖になります。山勢検校から始まる山勢派は派閥で厳密には山田流山勢派となります。三代目が女性で、彼女が初代山勢松韻でその名は世襲制となり三代目山勢松韻が近所に住む現松韻先生なのです。かなり遠いようで縁を感じます。

 

江島神社三宮最後の奥津宮。場所も江の島に奥。その先は岩屋に続く道へ。江の島散策、そして江島神社参拝は奥津宮まで巡ってほしいです。

 

甲野 功

 

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