開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:[email protected]
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

現在NHK大河ドラマは『豊臣兄弟!』が放送されています。主人公は豊臣秀吉の弟である豊臣秀長を主人公にしています。私は豊臣秀長を知らなくて兄弟がいることに驚きました。何といっても豊臣秀吉の知名度は圧倒的です。その豊臣秀吉と縁があるのが京都の醍醐寺。桜の花見が有名です。大河ドラマでも醍醐寺が登場したといいます。京都の名刹、醍醐寺を紹介します。
私は毎年京都に行っています。昨年は年に3回も行ってしまいました。通常は1回にしているのですが。昨年だけでなくコロナ前からずっとなので相当京都訪問をしています。どこに行くかを毎回考えるのですが、まだ見ぬ強豪のような場所が醍醐寺でした。調べると中心地からやや遠い。豊臣秀吉のエピソードがあるように桜の名所。しかしただでさえ混雑必死の京とは桜と紅葉の季節は尋常でないくらい混みます。桜に紫陽花ほどのこだわりがない私は桜の季節に京都を訪れることを意図的に避けてきました。反対に昨年は京都の紫陽花を巡るために6月に行っています。昨年は11月に関西あん摩マッサージ指圧師交流会があり、それに参加するために京都に行きました。しかもちょうど紅葉の時期。大混雑する紅葉シーズンですが、宿泊することを決意。交流会が終わってから東京に戻るのは大変なので宿泊し、翌日朝早くから行動することにしました。その時に遂に醍醐寺に行ったのです。
このタイミングで醍醐寺を選んだのは五重塔内部特別内部拝観をしていることを知ったからです。昨年の3月に子どもが東寺の五重塔が内部特別拝観をするというニュースを知って観にいきたいという要望に応えて京都に来ました。日光東照宮にある五重塔の内部を観てから好きになったのです。東寺だけのために日帰り京都旅でした。醍醐寺も期間限定で五重塔の内部を公開していることを知り、いつか子どもを連れてくるかもしれないと下見も含めて参拝ルートに入れました。
醍醐寺に行くには地下鉄東西線醍醐駅に向かいます。東西線といいますが南に向かっていき京都駅からはかなり南に下ったところに醍醐駅があります。そこから山に向かって市街地を歩いていきます。坂を上るので体力がないとバスやタクシーを使った方がいいでしょう。昨年は熊の出没が大きな問題になりましたが、この近辺も目撃情報が出ていました。歩きながら京都でもかなり外れた方だなという印象を受けました。京都は狭いエリアに史跡が密集しています。比叡山や大原などは距離がありますが。醍醐寺について散策すると想像をはるかに超えた規模に圧倒されました。
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本。仏教の真言宗で、その中の醍醐派の総本山です。山号は深雪山あるいは笠取山。本当に山がそばにある感じです。なお笠取山の別名は醍醐山。醍醐寺の東側には醍醐山がそびえています。御本尊は薬師如来。山頂部の上醍醐と山裾の下醍醐に分かれていて、その距離はかなり離れています。昨年は熊のこともあり下醍醐しか行きませんでした。よって醍醐寺下醍醐エリアの紹介になります。境内は200万坪以上というけた違いに広大で、国宝・重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵しています。最初に触れた、豊臣秀吉による醍醐の花見が行われた地であり、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。
真言宗なので弘法大師空海と関係があります。平安時代初期の貞観16年(874年)に空海の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が開山(その寺を開いた僧侶)で、准胝観音像と如意輪観音像を上醍醐に祀って開創しました(お寺を開いた)。聖宝は天長9年(832年)讃岐に生まれ、承和14年(847年)16歳で出家し、修行を続けた後に醍醐寺を開創します。延喜7年(907年)に醍醐天皇により醍醐寺に薬師堂が建立され、薬師三尊が奉安されます。その後、鎮護国家のために五大堂が建立され五大明王が奉じられました。延長4年(926年)、下醍醐に釈迦堂(金堂)が建立され、笠取山(醍醐山)全体を寺院に改装する計画が立てられます。醍醐寺の改装事業は醍醐天皇死後も朱雀天皇や村上天皇に受け継がれます。天暦5年(951年)に五重塔(国宝)が建立。途中発展が滞りますが。座主(その寺の住職最上位)を皇族に譲ることを慣例とすることで優秀な僧を輩出することに成功します。
京都で起きた応仁の乱は多くの名刹に甚大な被害をもたらします。醍醐寺も下醍醐は荒廃して五重塔だけが免れました。応仁の乱を乗り越えた数少ない建築物が醍醐寺の五重塔なのです。復興に一役買ったのが豊臣秀吉。秀吉は醍醐寺で花見を行うことで伽藍(寺院の各種建築物)が復興され始めて、慶長3年(1598年)に醍醐の花見が盛大に行われました。秀吉の息子である豊臣秀頼によって伽藍の整備が行われ、慶長5年(1600年)には金堂の移築工事が完成します。慶長10年(1605年)には西大門の再建、翌慶長11年(1606年)には如意輪堂、開山堂、五大堂の再建が次々と行われました。
時代が下り明治に入ると廃仏毀釈令により数多くの寺院が廃寺となる苦難の時代になりますが、醍醐寺を切り抜けています。昭和になると昭和5年(1930年)には観音堂を中心とする大伝法院の諸堂が建立、昭和10年(1935年)には霊宝館が開館。昭和14年(1939年)に上醍醐が山火事にない准胝堂が焼失するも、昭和43年(1968年)に再建されます。平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録。平成9年(1997年)に真如三昧耶堂が建立。平成20年(2008年)に落雷による火災で再び上醍醐の准胝堂が全焼してしまいます。
このような歴史を経て令和の今も荘厳な景色を保っています。
総門をくぐると正面に仁王門、左手に唐門、右手に霊宝館に向かう道があります。正面の仁王門へ向かいます。西大門である仁王門は慶長10年(1605年)に豊臣秀頼によって再建されました。京都府指定有形文化財に指定されています。そこにある仁王像は長承3年(1134年)に仏師勢増と仁増によって造立され、もとは南大門にありました。国重要文化財に指定されています。
仁王門をくぐると「伽藍」エリアへ。ここは金堂を中心に主要部は平安末期の様式を完全に残しています。五重塔以外は再建されたものばかりですが美しい建築物が点在しています。
何といっても国宝に指定される五重塔。天暦5年(951年)に建立されました。承平元年(931年)、前年に亡くなられた醍醐天皇の冥福を祈るために建立が計画されましたが工事は停滞し、完成に20年かかりました。総高38m(そのうち相輪部が12.8m)で、屋根が大きくて塔身が低く、後にできた東寺の五重塔のような細長い外見と異なります。天正13年(1586年)の天正地震で甚大な被害を受けるも、豊臣秀吉の援助を受けて、慶長3年(1598年)に修理が完了。近年も昭和25年(1950年)の台風で被害を受け、10年後の昭和35年(1960年)に修理完了。応仁の乱を乗り越えた京都府下最古の木造建造物。京都に残る数少ない平安時代建築なのです。塔内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も大変貴重なもので塔本体とは別に国宝に指定されています。内部特別拝観で観ましたが圧倒的でした。
金堂は平安時代後期に建立されたもので豊臣秀吉により紀伊国から移築したもの。慶長3年(1598年)から移築を開始し、慶長5年(1600年)に落慶しています。その時には秀吉は亡くなっており息子の秀頼の代になっていました。国宝に指定されています。もともとは紀伊国有田郡湯浅(現和歌山県有田郡湯浅町)の満願寺本堂でした。本来の醍醐寺金堂は延長4年(926年)に創建され釈迦堂と呼ばれていました。まず永仁年間(1293年~1299年)に一度と、応仁の乱で再び焼失しました。金堂を再建する必要にかられていました。本尊は薬師如来坐像(国重要文化財)で日光菩薩、月光菩薩、四天王像を安置しています。
不動堂は堂前に柴燈護摩道場があり御本尊は五大明王です。国重要文化財に指定されています。
真如三昧耶堂は非常に新しく平成9年(1997年)に建立されました。真如苑の開祖である伊藤真乗が興した密教法流「真如三昧耶流」を顕彰するために建てられます。
昭和5年(1930年)に建立された日月門をくぐると新たな景色になります。観音堂(旧大講堂)は昭和5年(1930年)に山口玄洞による建立されました。目の前に弁天池があり紅葉が素晴らしかったです。弁天池にある弁天堂も昭和5年(1930年)の建立です。池泉回遊式庭園の無量寿苑は本当に素晴らしいものでここまで美しい庭園は京都でも珍しいです。特に紅葉に季節だったのでなおさらでしょう。
戻って伽藍エリアを出て三千院エリアに向かいます。
朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門で国宝に指定されています。門全体が黒の漆塗、菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施された煌びやかなもの。唐門の横から三千院に入ります。
三宝院は永久3年(1115年)に醍醐寺第14世座主勝覚僧正により創建されました。もとは金堂のすぐ西側に創建されましたが、後に現在の場所に復興。唐門と表書院は国宝。醍醐寺の本坊的な存在で、歴代座主が居住します。広い建物で建造物の大半が国重要文化財に指定されています。非公開エリアもありますが中を巡ることができます。庭園全体を見渡せる表書院は桃山時代を代表する建造物で、国宝指定。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院の庭園は慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をしたもので、その景観は圧巻です。名刹だらけの京都においても非常に美しいものでした。
そして霊宝館エリア。こちらは主に展示になっています。霊宝館は昭和10年(1935年)に開館、昭和54年(1979年)に新収蔵庫3棟を新築、平成13年(2001年)にリニューアルされています。7万5千点以上の国宝や重要文化財を含む、約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵しています。平成13年(2001年)のリニューアルでは上醍醐の薬師堂本尊である薬師三尊像(国宝)を中央に安置する大展示室を増築。平成26年(2014年)に上醍醐の五大堂に安置されていた木造五大明王像(重要文化財)も霊宝館に置かれるようになりました。歴史のある仏教芸術を観賞することができます。
これまで何度も後回しにしてきた醍醐寺。事前情報ではあまり魅力を感じていませんでした。場所もちょっと外れていますし。実際に足を運ぶとその歴史と景観に圧倒されました。今回は下醍醐でしたがいつか山を登って上醍醐まで行ってみたいです。熊が心配でありますが。また“醍醐の桜”を見てみたいという気持ちになりました。紅葉があれほど素晴らしいのであれば、桜も素晴らしいことでしょう。
甲野 功
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