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~経歴 中学校編~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 中学校時代。卒業アルバムより。
中学校時代。卒業アルバムより。

 

~経歴 小学校編~から続く。

 

新宿区立市谷小学校を卒業した私は学区内の公立中学校に進学します。


新宿区立牛込第一中学校。中学受験をしない市谷小学校の卒業生のほとんどがこの牛込第一中学に進みました。そのため小学校入学時にあった疎外感はありません。たくさんの小学校からの繰り上がりでクラスメイトになりました。
市谷小学校以外にも主に3つの小学校から生徒が集まるので、あいつはどこの小学校出身か、という感じでグループができていました。

 

ここまで保育園小学校と振り返ってきましたが、あまり良い思い出について書いていないことに気づいたでしょうか。その都度多くの楽しい思い出もあるのですが、全体を通して家庭環境の違いやコンプレックスの方が心に残っています。

 

数年前にこの~経歴~シリーズを始めたときは大学編からでした。それは大学以降の生活が特に今の仕事に繋がっているということが理由だったのですが、あまり子ども時代に良かったと思うことが少なかったからでもあります。大学生くらいから生き生きと自分らしく過ごせるようになった気がしていますし、今現在42歳の自分に直結した出来事が多かったのです。大学での競技ダンス部や勉強、就職活動は本当に今と繋がっているのです。

 

そして、人生で一番戻りたくない過去はいつか?と聞かれたら即座に「中学校時代」と私は答えます

 

過去に戻るとしたらどこに戻りたい?という問いはかなり悩みます。今の経験・記憶が消えずにあの頃に戻れるとしたらどの時代にいったら楽しく、未来を変えられるだろうか、と考えると、答えは出ません。これまでやってきたことをあまり後悔しないので、やり直したいという願いが希薄です。
しかし中学校3年間は人生で一番もやもやして辛かった時期と断言できます。

 

中学1年生は小学校7年生だ、と言われることがあります。ぶかぶかの制服を着て子供っぽさが残った感じがあります。特に男子は女子に比べて発育が遅いのでガキっぽい感じがするものです。中学3年生になると身体は成人に近くなって子供らしい可愛さは無くなってきます。思春期に突入して心身ともに大きく変化します。

 

中二病なる言葉ありますが、中学校2年生の頃は本当に不安定だと思います。自身を振り返っても中学校時代は心が不安定でした。小学校後半で一気に身長が伸びた私は中学校になると成長が止まっていきました。中学校を卒業するときは173cmくらいだったと記憶しています。他の同級生がどんどん身長が伸びていく中で、私の身長は停滞していました。背が高すぎるコンプレックスも周りにでかい奴が増えてくることで相殺されて気にならなくなっていきました。

 

その代わり気持ちの面や勉強に関しては悩みが増えていきます

 

私には2学年上の姉がいます。私が中学入学時には姉が3年生にいました。
姉はとても優秀で通知書がほぼ5ばかり(もちろん5段階評価で)。小学校卒業時にオール3だった私とは対照的でした。小学校では感じなかった姉の優秀さが気になるようになってきました。


中学校は科目ごとに教師が変わります。担任がほぼ全ての科目を教えるのとは変わります。そうなると姉を知っている教師が授業を受け持つこともあるわけです。
ある教科の教師にははっきりと「お姉さんは優秀なのに弟はだめね」と言われました。姉は真面目に小学校の頃から進研ゼミという通信教育をコツコツやっていて勉強ができました。私はのんびりと小学校時代を過ごしていたので差があります。しかしそれを面と向かって言われるのはきついわけで、今だと問題になるのではないでしょうか。

 

そして私の父もこの牛込第一中学出身でした。姉と父と同じ中学校に進み、姉にも父にも学力の差を感じることになりました。父は都立高校の名門、戸山高校に進学します。姉も同じように戸山高校に進みます。
当時は学区制で新宿区は第2学区。他の学区の都立高校に進学することはできませんでした。第2学区で一番の都立高校が戸山高校であり、都立高校全体でも上位に入る名門校。姉は父と同じ道を歩みます。

 

都立高校は1校しか受験できなかったので、内申点と相談しながら受験校を決めることになります。後で書きますが、一番の戸山高校、二番の青山高校、三番の新宿高校、どこを選ぶかというときに、私は意地で戸山高校を受験しました。内申点を考えると青山高校か新宿高校がいいだろうと当時の担任に言われましたが、姉そして父への対抗心で戸山高校受験を押し通しました

 

勉強ができなくてもスポーツができれば、ということになりますがそれも上手くいきません。4年間習った水泳で平泳ぎは結構自身がありましたが中学校に水泳部はありません。小学校時代に散々やった登山の力を発揮する場もありません。山岳部など無いし、東京都新宿区には大きな山がありません。


球技が致命的にできないので、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどの花形種目は全て苦手でした。嘘みたいな話ですが、体育の授業で砲丸投げをしたときに暴投して校庭に駐車していた業者のトラックのミラーを割ったことがあります。誰もがどう投げたらそんな方向に行くのか?と思ったことでしょう。野球をすれば、バットにボールが当たると手を放す癖があり、私がバッターボックスに立つとバットが飛んでくるので周りの生徒が避難したものでした。

 

アメトーーク!という人気バラエティ番組で「中学校時イケてない芸人」という括りがあるのですが、まさに私もそうだなと思ってしまいます。

 

勉強もスポーツもパッとしなかった私に勇気を与えてくれたのがプロレスでした。中学校2年生の時にクラスメイトが話題にしていて、興味本位で見てみたらはまりました。
認知度があるのに、八百長だ、ショーだと馬鹿にされることが多かったプロレス。それでも当時は90年代の黄金期にさしかかるときで、プロレス業界全体が伸びている時期。夢中になってプロレスを見ていました。


プロレスというジャンル自体が胡散臭いところがあるのは否めません。そのため嫌な思いをたくさんするのですが、その分ファンの結束は強く、メジャーでなくても好きなものを好きと言って頑張ろうというファン気質が私を救ってくれました。周囲に合わせなくていい。大きな転機になりました。

 

学業についても中学校2年生くらいから通い始めた学習塾が救いになりました。
アットホームな塾で私の性に合っていたのでしょう。勉強の仕方が分かってくると成績が上がってきました。小学校の頃から父親に理科系の知識を入れられていたので物理(理科)、数学が特にできるようになりました。英語や国語もそこそこ伸びたのですが、多くの生徒が苦手な数学、理科が得意になったことは自信に繋がりました


最後の方に成績が伸びている実感があったこともあり、無理して名門戸山高校を受験することを押し通したわけです。

 

高校受験は戸山高校に無事合格。併願推薦で出していた本郷高校も合格。私立も受験しておこうと受験した國學院高校も合格していました。


第一志望の戸山高校に行くのが当たり前だと思われたのに、私は國學院高校進学を選択します

当時は都立高校離れが進んでいて、合格発表に戸山高校に行き受験番号が書いてあることを確認したものの、周囲で落ちた人が見当たらないことに違和感を覚えました。これはみんな合格しているのでは?という疑問。確かに倍率は低くなっていて評判ほど入学が困難ではなかったようです。都立高校は1校しか受験できないので安全策をとって受験しなかった生徒が多かったのでしょう。

 

そして本心は姉への対抗心で受験したことを思い出したのです。
姉の下に見られたくないという意地で受験して合格。また姉が3年生としている高校に入学するのはいいことなのか?。そう思うと姉、そして父の後を追いかけて比較されるのは、そして自身で比較するのは、もう止めにしようと決めました。もしも戸山高校に入学していれば1学年上に乙武洋匡さんがいて後輩になっていました。
姉へのコンプレックスは大学受験で解消されることになります。姉は東京理科大を受験して落ちて私は合格しました。中学の最後に姉からの呪縛から解放された、いや自ら解放した気がしました。

 

長く辛かったトンネルを抜けて自分らしく生きる道が見えてきたような中学校の後半でした

意地で受験及び進学を決めたため、あまり知らないまま進学先に決めた國學院高校。國學院大学があることも知りませんでしたし、神道系大学附属ということも理解していませんでした。ゴリゴリの理科系人間が文系高校に進むことで、より個性が磨かれることになります。

 

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甲野 功

 

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