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~想いが溢れたタニダンススタジオパーティー~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 タニダンススタジオダンスパーティー理科大集合
タニダンススタジオダンスパーティーにて

 

 

2022年4月17日。単身京都に向かいタニダンススタジオスプリングダンスパーティーに参加しました。そこで社交ダンスのプロになった後輩たちの熱い、想いが溢れた姿を目の当たりにしました。

登場する人々はみんな自分からすると後輩ですが敬意を表して先生を付けて表記します。

 

タニダンススタジオ

 

京都にある社交ダンススタジオ。オナーは谷祐二先生谷智美先生。両名は共に東京理科大学舞踏研究部出身で私の後輩にあたります。3年前にスタジオを開業し、昨年に続き2年連続でANAクラウンプラザホテル京都にて盛大なパーティーを開催しました。

 

まず二人の事を説明しましょう。

 

谷祐二先生と智美先生は先輩後輩の関係でした。智美先生の方が1学年上。東京理科大学舞踏研究部で学生競技ダンスと出会い、社交ダンス・競技ダンスを始めました。二人と私は世代が重ならずOBになってから出会いました。

 

智美先生が4年生のときに当時悲願であった東京理科大学のⅠ部校昇格を果たします。東部日本ブロックの学生競技ダンスをしている大学が毎年6月に行われる東部日本戦という大会において団体成績上位12校がその年のⅠ部校となります。13位以下がⅡ部校です。私が入部したときから東京理科大学はずっとⅡ部校でした。とても上の世代から「理科大は昔はⅠ部校だったよ」と聞かされるくらいで、それはおとぎ話に近い感覚。

東部日本戦で団体成績18位以内に入ると夏の全日本選抜戦に出場することができます。毎年Ⅰ部校はおろか全日本選抜に出場できるかの瀬戸際でした。私が2年生、3年生のときは全日本選抜戦の出場権が取れませんでした。それくらいの低迷期から時間を掛けて団体成績を上げていき、智美先生が最上級生となった4年生のときに悲願のⅠ部校になったのです。東部日本戦は4年生、3年生中心に出場するので谷先生、智美先生はこのときの主力世代になります。

 

そして谷先生の代は歴代最高でした。人数が多く、実力がありました。彼らが4年生の時、冬に行われる全国の大学が集まる全日本選手権において8種目中6種目決勝に残り団体3位という成績を残すのです。日本全国の大学で3位になったのです。後にも先にもこの団体成績を超えたことはありません。谷先生は黄金期を担った一人なのです。

 

谷先生と智美先生は卒部後にパートナーシップを組み、アマチュア部門の選手として社会人をしながらダンスを続けます。このとき自分は競技ダンスの聖地と言える東京都北区十条で鍼灸マッサージ師として働いて、二人も十条に住んでいました。智美先生が身体を傷めて突然職場に来たことがありました。また当時アマチュアラテン部門A級昇級がかかった競技会に帯同して現場でサポートしたこともありました。その日めでたく谷組はアマチュアラテンA級を決めました。私にとって競技ダンス選手のサポートをすることは目標だったので、谷組は駆け出し時代の自分に実績と自身をもたらせた恩人とも言えるのです

 

私が結婚する際には谷先生を披露宴に呼びました。当初は席の関係で谷先生だけの予定だったのですが、ゆくゆくは智美先生と結婚するつもりなので二人で出席できませんかと谷先生に言われます。理科大席に座れないから親類席になるけど大丈夫と聞いて、平気だというので二人は新郎親類席で披露宴に出席します。そのため周りから私の親戚だと思われていました。このように世代が離れていますが公私共に関係があった二人です。

 

その後、谷先生と智美先生は結婚。そして会社を辞めて師匠である京都の山本喜洋先生のところでプロとしてやっていくことを決意します。どちらも地縁のない新天地、京都に移住したのでした。山本先生のスタジオでプロ選手として勤務した後に独立しタニダンススタジオを開業したわけです。プロフェッショナル部門でもJDCという団体のラテンA級まで行き、惜しまれつつ数年前に競技生活を引退しました。私の後輩でプロになった人は何人もいますが男女どちらも理科大出身は三森秀明・酒井良美組とこの谷組しかいません。独立することを知ったときは祝いの花をタニダンススタジオに送りました。

 

2020年に1周年記念パーティーを開催する予定でしたが新型コロナウィルスの影響でホテルが使用できず1年間延期に。昨年2021年に改めて1周年記念パーティーを開催しました。そこに私は参加しています。今年はどうしようか少々迷いました。時間も費用もかかります。休日丸一日潰れるので家族のことも気になります。しかし、スペシャルゲストのメンバーを知って今年も京都行きを決めました。杉野貴史・イレップ組室伏弘明・青沼彩組が出るのです。杉野貴史先生と室伏宏明先生は東京理科大学舞踏研究出身。それもスタンダードの選手で自分と同じ専攻。谷組がラテン専攻であり、同じ種目をしてきた杉野先生と室伏先生は別の意味で関係が深いのです。

 

あじさい鍼灸マッサージ治療院 タニダンススタジオダンスパーティーパンフ
パーティーパンフレットより

 

 

杉野貴史先生

私の2学年下の後輩。3年生の時に1年生として入ってきました。今となると私の学生現役時代を知る数少ない後輩の一人です。学生競技ダンスでは1年生に上級生、特に3、4年生がダンスを教えていきます。私も杉野先生に各種ステップを教えたものでした。現在杉野・イレップ組はJBDFという最大のプロ団体で最も層が厚い東部総局でスタンダードA級です。JBDFのA級まで行くのは本当に大変なことであり一流選手になりました。

 

ところが学生時代は決してエリート選手とは言えなかった杉野先生。美化するために過去を落とすわけでもなく、本当に大したことのない選手でした。当時の東京理科大学はスタンダード弱小校。ラテン部門が強くてもスタンダード部門が足を引っ張っていることは明白で、個人成績で上位にいけるラテン選手に対して予選落ちばかりのスタンダードでした。その頃は冗談ではなくラテンができない下手くそがスタンダードを選ぶという時代でした。人数差を考慮しない大学だったので、ラテンの方がスタンダードに比べて3倍くらいいました。下手なのが集まってかつ人数も少ないので弱いのは自明の理。私も底辺の選手でしたから悔しかったし苦しかったです。スタンダードがマシならⅠ部校いけるのにとラテン側から言われる始末。そんな時代に1年生だった杉野先生。スタンダードに来たという事はエリート選手ではなかった証明です。

 

その代わり私の近い世代のスタンダード選手は怨念というか執念というか、いつか成績を残してラテンの奴らを見返してやろうという反骨精神が強くありました。私も選手としての天井というか才能の無さを痛感していたので後輩育成に力を注いだものでした。「俺はダメでも後輩は違う」。そのような気持ちで。

その願いは想像以上に形になり、1学年下の後輩から決勝に残る選手が生まれてきます。そして杉野先生と同期で同じく現在プロ選手として活躍する三森秀明先生が頭角を現してきてスタンダードでも決勝に残れること、優勝できることを示していくのです。三森秀明先生と切磋琢磨して杉野先生も成長していきます。最後4年生の全日本選手権で杉野先生はタンゴ種目4位と決勝入りを果たします。ファイナルソロといって一組だけで踊る権利を獲得し全国の部員を前に踊ったのでした。奇しくも学生時代最初で最後の競技会ソロダンスでした。

 

杉野先生は舞踏研究部卒部後にプロ選手の道を選びます。この行動は今も続く後輩たちへの道しるべとなりました。21世紀以降数多くのプロ選手を東京理科大は輩出します。それも圧倒的にスタンダードの選手を。伝統的にラテン強豪校にも関わらずプロ部門はスタンダードの方が多い。そして各団体でA級になっています。

三森秀明先生、酒井良美先生、山田圭一郎先生、室伏宏明先生、若代愼先生、井崎沙織先生、寺門駿先生、浜崎裕章先生

B級以下の選手を加えると数は更に増えます。彼ら彼女らはみんな杉野先生以降プロになった選手で杉野先生の存在が無かったら今のような状況は無かったかもしれません。

 

杉野先生は智美先生が1年生の時の4年生。かつ主将でした。当時の後輩からのあだ名は「キャップ」。上下関係が厳しい舞踏研究部において1年生からみた4年生、それも主将は圧倒的な存在です。そのせいなのか今でも智美先生は杉野先生をキャップと呼び、谷先生も同じようにキャップと呼ぶのです。杉野先生が主将の4年生のときに東京理科大は東部Ⅱ部戦という大会で団体優勝を果たします。これは4年生まで出場するレギュラー戦と言われる選手権大会であり、後にも先にもレギュラー戦で団体優勝をしたことはこの時だけ。杉野先生は東京理科大学舞踏研究部史上唯一優勝カップを持ち帰った主将なのです

私にとって同時代を過ごした後輩で、どんどん強くなっていく東京理科大を牽引した人物で、スタンダードプロ選手を生む先駆者といえるのです

 

室伏宏明先生

杉野先生が卒部してから東京理科大舞踏研究部に入部。谷先生の1学年下になります。私や杉野先生と異なりチャンピオンになるように育てられ、かつそう育ったエリート選手でした。室伏先生が入部した当時はまだⅡ部校でしたが1学年上には黄金世代の谷先生、2学年上には智美先生の世代がいます。部員数も増えて着実に団体成績が上がっていました。室伏先生が2年生の時にⅠ部校となります。

室伏先生は1年生の頃からスタンダード専攻をはっきりさせていて、チャンピオンになるための練習を続けてきました。強すぎて層の厚かった谷先生の世代のため4年生になるまでレギュラー戦出場が叶いませんでしたが、4年生になると最初の東都大学戦で優勝。スタンダード強豪校と名が知れた東京理科大のエースとして成長していました。1年生の頃から実績を残し卒部、そして杉野先生と同様プロの道へと進みます。なお就職先は杉野先生と同じエムズ・ダンスアカデミー。

 

室伏先生との私の関係も深いです。既にOBとなって大先輩に分類される状況で、新入生当時に出会った室伏先生。その頃の私は民間資格の学校を出て国家資格の学校へ進学しようと考えていた時期。室伏先生が1年生の秋に受験をして翌年から東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に行くことが決まっていました。そして室伏先生が2年生になったときに私は東京医療専門学校に入学。室伏先生が4年生で卒部したときが国家試験をパスしあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師免許を取得したのでした。つまり室伏先生の大学4年間と私の専門学校3年間は重なります。

資格を取ったら競技ダンス選手のサポートをしたいと考えていた私には室伏先生はじめ、後輩たちが学びの存在でした。今もそうですが競技ダンス選手のために働いている鍼灸師やマッサージ師はほとんどいません。先行研究も文献も皆無。自ら学んで研究しないといけません。東京医療専門学校で学んだ知識や技術をどう活用するのか。そもそも活用できるのか。そのような手探り状態。室伏先生の成長と私の臨床の成長は一致しており、素人からチャンピオンになる過程を観察しながら、介入しながら学びました。今も競技ダンス選手に対して独自の理論で施術できているのは、この頃の経験なくてはあり得ません。室伏先生は裏師匠の一人と言っても過言ではないのです。トップ選手の体の変化、メンタルの変化などをつぶさに観察できたこと。礎になっています。

 

室伏先生が卒部と同時に私はあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師として十条を勤務地に選び働き始めます。そしてその十条で最初に書いたように谷組と仕事として接点が生まれて実績を重ねていくのです。

 

このように単なる後輩にとどまらず、同じ時代を過ごした者、今の礎を築く経験を与えてくれた者、プロとして実績を積むチャンスとなった者、という関りがある4名が京都に集まるということ。無理しても京都に行こうと決めました。

 

当日。夜行バスで疲労した状態で早朝から観光で歩き回った体で会場に到着しました。知り合いは後輩以外誰もいません。昨年会場で一緒になったお客さんが同じ卓に居るようですがデモンストレーションの準備などで忙しそう。主催者の谷組はもっと忙しく動き回っています。杉野先生と室伏先生はいないかなと会場をうろうろしプロ控室も覗いてみます。しかし姿は見えません。

少しして杉野先生が現れました。スペシャルゲストは控室が別だというのです。スペシャルゲスト用の控室で杉野先生と室伏先生と談笑しました。パートナーのイレップ先生、青沼彩先生にも挨拶をします。6年前に東京理科大学舞踏研究部のイベントでお会いして以来でした。室伏先生、杉野先生とはその後何年か前に話したものでした。京都で再会するという奇遇。

 

このとき感じたのが杉野先生、室伏先生の存在感。二人とも身長は私と変わらないくらい。私よりずっと高いということはありません。体も鍛えていますがムキムキという体型でもありません。しかしやけにデカく感じました。それは体積や質量といった物理的なものではなくオーラというか存在感からくる大きさなのでしょう。体軸の強さ、重心のブレなさ。私の数多くの選手を見てきて研究してきた経験から、ただならぬ雰囲気を感じました。もちろんいい意味で。横に並んだ時に「大きいな」と声が漏れます。何といっても上下関係が厳しい部活の後輩。年齢も下。気後れすることは無いはずなのに。これからデモンストレーションをする仕事モードだからでしょうか。6年前に同じようにデモンストレーターとしてイベントに参加してもらった時には全く感じませんでした。あの時とは別人のような。これは相当鍛えていると感じました。

 

パーティーが進行し杉野先生、室伏先生が登場します。事前に聞くと4曲踊るのだとか。他にも多数の先生がダンスを披露します。スペシャルゲストとはいえ4曲は多すぎではないかと思いました。谷先生は彼らにずいぶんと出番を与えるなと思いました。

 

杉野・イレップ組と室伏・青沼組のデモンストレーションは想像以上でした。6年前に観たときとは別物。表現力が増しています。年齢を重ねて身体能力が落ちるどころか向上していました。荒削りなところが洗練されています。フィジカル(身体能力)頼みのダンスから間の取り方、佇まい、音の表現らに深みが増していて。控室で感じたオーラはダンスに出ていました。

 

杉野組、室伏組がソロで3曲踊った姿を観て、競技ダンス選手から表現者に成ったと思ったのです。学生競技ダンスは徹頭徹尾、競技に捧げます。競技会を「試合」と呼び、成績を「勝つ負ける」で表現します。入部当初はなんで先輩方は試合というのだろう、勝つって何をもって勝つになるのだろう、と疑問に思いました。いざ競技会デビューして早々と予選落ちしたとき、その理由を思い知りました。これは試合。勝ち負けがはっきりとある。そう分かりました。参加者で優劣を付けてたった1組が優勝する。その世界をずっと過ごします。新入生歓迎イベントや文化祭、OBOG会などでデモンストレーションをすることはありましたがメインは競技会。競技会(試合)で優勝する(勝つ)ことが全ての目的。そういうメンタルです。私もそのように習い、後輩たちにもそのように教えました。杉野先生にも室伏先生にも入部した当初から試合で勝つためにできることを教えました。そして杉野先生も室伏先生も卒部してもなお競技ダンスをすることを選びました。引退した谷組と異なり、二人は今も競技ダンス選手であり続けています。しかも近い成績で競っているのです。

 

ところがタニダンススタジオパーティーにスペシャルゲストとしてフロアーに立った二人は圧倒的な技術と表現力で観客を魅了していました。競技会であれば互いに競い合いその姿を観客は応援します。同時に複数の選手が踊り他者との比較。例えどれだけ酷いダンスだったとしても競技会であれば誰かしらが優勝するのです。デモンストレーションはその場にいるお客様が個々に評価します。1曲まるまるが作品であり、会場中が躍る一組に注目するのです。競技会では流れる曲は何か知らされていませんがデモンストレーションでは自ら選曲し構成を考えることができます。起承転結を定める。杉野組も室伏組もショーとしての社交ダンスを披露して観客を納得させました

 

なお後半の方は本当に東京理科大学推しが激しかったです。谷組の二人は東京理科大学卒で杉野先生、室伏先生は同じ出身であることを最初からアナウンスしていました。景品が当たるくじではハムの詰め合わせや高級メロンと並んで東京理科大学タオルとTシャツが出ていました。「TUS」と描いてあるもの。TUSがTOKYO UNIVERSITY of  SCIENCEの略だと誰が知るのでしょう。またA級といっても東京の、それも谷組とは団体が違う、カップルで京都のお客様は楽しめるのだろうかと勝手な不安があります。スペシャルゲストの成績として挙げられた日本インター、ムーアカップ、スーパージャパンカップ等の大会は東京開催のものでJBDF主催。京都のお客様達はピンとくるのでしょうか。

そして東京理科大学を知っているのでしょうか。京都の大学、せめて関西の大学であれば馴染みもあるでしょうが、東京のしかも理科系大学のことを知っているのだろうか。東京であれば日本一卒業が難しい、とか、留年率が高い、とか噂で聞いたことがあるかもしれませんが。多くのお客様にとって東京理科大学のエピソードは聞いて面白いのだろうか。私は後輩たちの活躍や東京理科大学の勉強の大変さ、同じように部活で過ごした経験があるので、とても楽しめましたが他のお客様には届いているのだろうか?と会場で心配でした。内輪で楽しんでいないかと。

 

室伏組のデモンストレーションを目の当たりにした同じ卓のお客様が「さすがね」と一言呟きました。この状況ですからほとんど話さない、声を上げないようにしている中で。恐らく、この先生誰でしょう、という人のダンスをみて声が漏れた。このことに私は驚き感動しました。散々プロのデモンストレーションを観てきたであろう社交ダンス愛好家をダンスで納得させる。私は入部当初の何もできなかった頃を知っているので成長した後輩というフィルターがかかっていますが、初めて観たと思われる京都のお客様を数分のダンスで感嘆させたことが客観的に実力を測定できた気がします。

 

ラスト前の曲では杉野組、室伏組が同じような赤のドレスで同時に同じステップを踏むダンスから始まりました。ユニゾンで踊ります。後半そこに谷組が一緒になり3組同時にフロアーに立ちます。6名中4名が後輩というショー。エンディングは杉野組と室伏組が谷組を崇めるような演出でした。そのまま大トリの谷組のルンバデモンストレーションに移行しました。杉野組、室伏組が踊っているときは出番が控えていても袖で楽しそうに見ていた谷先生。

最後3組で踊ったときは何を想ったのでしょう。

私の席からは正面の客席が見える位置だったのですが、最後の谷組のルンバを観ながら涙ぐむお客様が2名ほど見えました。何に感動したのだろう?私にはそのお客様と谷組との関係を知りません。何か心に響くものが谷組のダンスにあったのでしょうか。それを引き出したのは東京理科大学の先輩、後輩と一緒に主催したパーティーで踊れたことなのかもしれません。

 

客席でおそらく私だけが東京理科大学ネタを理解して楽しんでいるなと考えていました。そして私以外の誰もが東京理科大学ネタがよく分からないだろうなと。それを本業のデモンストレーションで物語に昇華させた後輩たち。まさにプロフェッショナルでした。

 

今年2回目となるタニダンススタジオの大規模なパーティー。昨年は1周年記念で、二人の師匠である山本喜洋・英美先生をスペシャルゲストに招きました。高知県と茨城県出身の二人が東京の大学でダンスを始めて、その後カップルを結成。京都に移住してプロとして成長し独立した。京都に来てからの過程をみせた気がします。今年のパーティーは互いのルーツである東京理科大学舞踏研究部をみせたものだと感じました。プロになっても京都に居ても故郷はここだったと振り返るような。昨年は谷先生、智美先生が京都にきて、これだけの人脈と基盤を作り上げたのだと東京を離れてからの実績をみました。今年は京都でできたファミリーに谷組の故郷を知ってもらいたいという気持ちが見てとれました。

 

パーティー終了後のバタバタしているときに理科大メンバーで、そして互いのパートナーも入れて集合写真を撮りました。約20年に渡る壮大な物語の1ページを体感しました。

 

甲野 功

 

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