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~追悼 福島哲也先生~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 福島哲也先生献花
福島哲也先生献花台

 

 

教員養成科時代の恩師である福島哲也先生がお亡くなりになられたと連絡を受けました。

 

福島哲也先生は私が東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科に通っていたときの灸実技の教員でした。出会いは生徒と教員という関係。福島哲也先生は「深谷灸法」という灸の世界では有名な流派の技術を習得されていました。私は今でも技術的なコンプレックスとして艾(もぐさ)を捻る昔ながらの灸法が苦手であることがあります。教員養成科入学時には鍼灸師になってから5年が経過していましたが、灸実技はかなり難ありでした。ほとんど臨床で使わずそこまできたので不安な科目だったのです。

 

また福島哲也先生はお灸だけでなく「東京九鍼研究会」に所属し伝統的な鍼法にも精通していました。何をもって“伝統”鍼灸と称するのかは意見が分かれると思いますが、柔道整復師でもあり現代医療的な観点で人体を眺めることが第一選択の私からすれば、非常に伝統的な鍼灸にまい進されている先生という印象でした。

 

私が鍼灸師免許取得から5年という月日を空けて教員養成科に進学した理由の一つに、東洋医学をきちんと学ばずにここまできた、というやはりコンプレックスがあったからです。もちろん専門学校ではきちんと勉強しましたし国家試験に合格していますが、当時はあん摩マッサージ指圧師を取ることが最優先で鍼灸にも東洋医学にも強い情熱を持っていませんでした。単にあん摩マッサージ指圧師免許取得のついでに鍼灸師も取るというスタンス。臨床現場に出て鍼灸という技術あるいは東洋医学という学問の効用や必要性を体感し、また柔道整復師専門学校で鍼灸マッサージ専門学校以上に現代医学の勉強をした上で、きちんと鍼灸と東洋医学に向き合う必要があると考えた末の、教員養成科進学でした。その意味で福島哲也先生は私が最も必要としていた技術・知識・経験を持った教員の一人だったのです。

 

入学当初は東洋医学系の勉強についていけなくてかなり焦りました。周りは2月末まで国家試験のため勉強してきた言わば現役生ばかり。学校の勉強から5年間空いていたので約400ある経穴(けいけつ)もかなり忘れていました。また私が卒業してから教科書の改訂があり経穴の名称や場所が変わっているものがあります。東洋医学概論の教科書も大幅に改訂されていて同級生との知識差が激しかったです。「知らないぞ、そんな内容!」ということが多々。福島哲也先生の実技試験で「水道」の場所は?と質問され、「水道なんて経穴あったか?」とあたふたしたことを今でも忘れません。「水道」は正穴(せいけつ)といって絶対に覚えておかないといけない経穴だったのですが。数年ぶりに経穴を順番に書き出し、名称が空欄になった経穴図に記入する地道な自習をすることになりました。

 

福島哲也先生とは教員養成科在学時代には大きな接点がありませんでした。卒業研究は現代医療的な観点での低周波鍼通電をテーマにしましたので、研究内容で質問することはありませんでした。付属施術所の臨床実習でもその時点で臨床歴6年になっていたので自分の型ができており、その中で習ったことをどうアレンジするかという感覚でした。ですから福島哲也先生に「この患者さんはどうしたらいいですか?」と聞くことはありませんでした。

 

福島哲也先生とは教員養成科を卒業してからの方が繋がりができました。

 

まず別の先生のお誘いで参加するようになった東京医療専門学校教員養成科卒業研究発表会。教員養成科最高学年である2年生が約1年間かけて研究をし、それを2月後半に発表をします。これが卒業するための要件であり、教員養成科最後にして最大の課題になります。その発表の場に卒業生として毎年私は出席しているのですが、講師の立場で同じく参加しているのが福島哲也先生でした。質疑応答では講師陣や教員からの鋭い質問や意見交換があります。そこで福島哲也先生は毎年、伝統鍼灸の立場で発言をし、それを横で聞きながら勉強させてもらいました。ときに休憩時間に直接、福島哲也先生に私が質問することもありました。ある年は席を並べて卒業研究を聞いて。私の教員養成科卒業後は毎年2月にお会いするようになりました。

 

福島哲也先生はその年齢やキャリアでは珍しくSNSを活用し、フットワークが軽いお方でした。2019年の夏に、私の教員養成科で地方で開業している先生が勉強会のため上京するので、関東の鍼灸師を集めて飲み会をしようと計画しました。その旨をTwitterで告知し、東京の若い鍼灸師と私の同級生による交流の場になればと目論んでいました。そこですぐに参加表明をしたのがまさかの福島哲也先生でした。大ベテランの先生がTwitterをチェックしていて、かつ飲み会に来るのかと驚きました。都内在住でないですし。蓋を開けてみると、上は福島哲也先生から下は20代前半の免許取りたての若手までが参加した非常に年齢の幅がある鍼灸師による飲み会になりました。業界内ではそれなりの立場にいる方なのに凄いなと感心しました。

 

 

あじさい鍼灸マッサージ治療院 福島哲也先生との飲み会
福島哲也先生との飲み会(2019年)

 

 

そしてあるとき福島哲也先生から当院に予約が入ります。これもまさかと思いました。実技の指導教員だった人に鍼灸施術をするとは。今この時点でもかつての教員に施術したのは福島哲也先生だけです。どうしたものかとかなり悩みました。もうその時点で私も臨床歴10年を越えていましたし、教員養成科卒業して年数が経過していました。独り立ちしたプロとして福島哲也先生に向き合うことにしました。施術後に何を言われるのかドキドキしていたら、「それでは次回の予約を」と次の来院予約の話になりもっと驚きました。てっきり卒業生が開業しているからお祝いがてらやってきただけだと思っていたので。その予想外の行動に、より真剣に患者さんとして向き合う覚悟が固まりました。

 

それから度々当院に来院してくださった福島哲也先生。ある時は私の子ども達にと「鬼滅の刃」のお菓子が詰まったクリスマスセットを持ってきてくれました。SNSでうちの子が「鬼滅の刃」が大好きで色々とグッズを集めていることを知ったのでしょう。よく見ていると感心しましたし、用意してくれたことに感動しました。

あるときは銅製の立派な鍉鍼(ていしん)を私にくれました。鍉鍼とは古代九鍼の一つで身体に刺入しない鍼。教員養成科では灸実技の講師だったので灸の印象が強いですが鍼の方も当然できます。特に道具にこだわる方で持ち歩いているバッグには多種多様な鍼が入っていました。またそこで鍉鍼の使い方を教えてもらい、それまで漠然と考えていた鍉鍼の使い方や理論が上書きされました。研究している人の知識と技術は違いました。

 

あるときは、きちんとした直接灸(体表に艾を置いて線香の火で燃やすやり方のお灸。火傷の跡が残るので最近はあまりやらない。)を受けたことがないということで福島哲也先生自ら行ってくれました。その日は当院に鍼灸を受けに来たのは福島哲也先生の方なのですが。毫鍼という体に刺す鍼を含めて直接灸まで体験させていただきました。長鍼という非常に長い鍼を背中に刺す。腹部に焼き切りの直接灸をする。本当に技術を伴う鍼灸術をしてくださいました。その技術に圧倒されました。私も教員免許を取り、10年以上現場に出ている身です。色々な先生の鍼灸を受けました。その経験から比較しても圧倒的な技術でした。それは知識・経験が付加されてのものでしょう。同じ術者として参ったなと思いました。そして、お代は?とたずねると、要らないと福島哲也先生は言いました。当院まで来てもらって私は料金を頂いているのに。

 

今年の1月には福島哲也先生も講師を務める「灸法臨床研究会」において、“鍼灸院におけるSNSの活用”というタイトルのセミナーを担当させてもらいました。私は灸法臨床研究会に所属しておらず福島哲也先生の口利きで実現しました。私が東京医療専門学校教員養成科で特別授業を毎年行っていることを知って運営の方に紹介してくれたのでした。とても光栄なことでした。

 

福島哲也先生とお会いすると常に鍼灸や臨床の話ばかり。新しい電子温灸器ができた。CDブックができた。自作温灸を作った。過去の文献を研究し鍼灸技術を追求する。それが福島哲也先生でした。得たものを、過去の先人達の叡智を、次の世代に残そうとしているような。そのような振る舞いを感じました。後進達には気前よく、自らの足で動き回って。それが信条だったのではないでしょうか。当院に来て施術を受けても、ここはこうした方がいいと福島哲也先生の方から指導するようなことはありませんでした。先輩風を吹かすことがない。そこでは私を一人の術者として扱っていただきました。

 

教員養成科に入学したのが2012年4月。もう10年経ちました。福島哲也先生から学んだことを消化して自らの血肉にし、私も次の世代に渡していかないといけないと思います。突然の訃報に、東京医療専門学校教員養成科校舎の献花台に献花を捧げてきてその想いを強くしました。

 

ご冥福をお祈りします。そしてこれまでどうもありがとうございました。

 

東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科30期卒 

あん摩マッサージ指圧師 はり師 きゅう師 甲野 功