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~富士塚~

あじさい鍼灸マッサージ治療院院 富士塚
富士塚

 

 

大学から始めた競技ダンス。社交ダンスを競技として行うもの。四半世紀取り組んできました。東京理科大学に入学し新入生歓迎イベントで捕まり(まさにこの表現)、入った舞踏研究部。当時の東京理科大学舞踏研究部は東京成徳短期大学と一緒に活動していました。東京成徳短期大学があるのは東京都北区。最寄り駅がJR埼京線の十条でした。大学1年生の春、十条駅に初めて降ります。それ以降、随分長い期間、十条が人生に重要な場所になりました。東京成徳短期大学とは別に競技ダンスをする上で重要な場所が十条にあります。それが「富士学院」です。最寄り駅はJR京浜東北線の東十条駅になりますが十条エリアになります。東京都内で競技ダンスをしていたら知らない人はまずいないであろう有名な練習場です。利用する人のレベルがとても高く、その場にいるだけで勉強になります。この富士学院があるから、私はあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師になったときに十条を職場に選んだのです。富士学院で練習しやすいように十条で暮らす競技ダンス選手がいます。住居が無くとも富士学院まで練習に来る選手がたくさんいるので目標に有利に働くという狙いがありました。その予測は正しく、約4年間の勤務でたくさんの出会いがあり成長することができました。

 

さてその富士学院ですがなぜこの名前なのでしょうか。それは建物の隣に富士塚があるからです。最初は自然の山があるのだと思っていたのですが、よく見るとどうも意味があるよう。それが富士塚だと知ったのはずいぶん後になってからでした。またそれがもともと古墳だったということも。大学を卒業し会社員を経て鍼灸マッサージ専門学校に入学、卒業。そして職場として決めた十条で働くようになり。「おふじさん」というお祭りを知ります。これは富士山の山開きに合わせて6月30日と7月1日に行われるお祭り。正式名称を「十条冨士講祭礼」。露店が立ち並び盛大に開かれます。一大イベントで大勢の人が訪れてごった返します。ところが日程は固定で平日、週末関係なくその日に行います。売上を考えたら土日にした方がいいのでしょうがそうはしません。当時の職場は夜遅くまで業務があったので「おふじさん」を楽しむのはたまたま土曜に重なった年だけでした。

 

これは富士信仰と言われる富士山をご祭神とするもの。私が勤めた職場は富士見銀座商店街にありました。すなわち富士山が見えたということ。富士見という地名は東京各地に存在していて千代田区にもあります。富士塚とはまさに富士山への信仰から生まれました。距離や金銭面、体力面など様々な理由から富士山を登山したくてもできない人々のために、登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られるとして作られたのが富士塚です。

 

その富士塚について紹介します。

 

富士塚が登場するのは江戸時代後期以降。比較的最近のことです。東京都域および近隣地域に、各富士講集団を単位として築造されました。富士講とは富士山信仰のための講のこと。この場合の「講」は民俗宗教における宗教行事を行なう集団、またはその行事・会合を指します。富士塚とは平たく言えば富士山を模して造られた人工の山(塚)。江戸時代に「お富士さん」の愛称があり、現代だと「ミニチュア富士」(ミニ富士)などとも呼ばれています。人工の山と言えば築山がありますが、そこに富士信仰が乗っかっていると言えます。一から造る場合と、既に存在している自然の丘や古墳を活用する場合もあります。

ちなみに最初に紹介した十条の富士塚は再開発のため取り壊されて規模が小さくなって再建されました。

 

私が富士塚を認識したのは新宿の外れにある成子天神社を訪れたとき。ここには新宿区内で最も高い富士塚が残っています。富士山の溶岩を持ってきて造られたという富士塚はかなり大きく、新宿の街並みにこのようなものが残っていることに驚きました。その時にきちんと解説文を読み、富士塚というものを認識したのです。そして富士学院の隣にあるのは富士塚か!と納得したわけです。そこから富士塚に興味が生まれ、調べてみると。東京都内に結構、富士塚が存在するのでした。

 

まず江戸七富士。江戸七富士と呼ばれる7つの富士塚があります。富士塚は地名の後に富士を付けて〇〇富士と称します。

品川富士(東京都品川区、品川神社境内)

千駄ヶ谷富士(東京都渋谷区、鳩森八幡神社境内)

下谷坂本富士(東京都台東区、小野照崎神社境内)

江古田富士(東京都練馬区、茅原浅間神社境内)

十条富士(東京都北区、十条冨士神社境内)

音羽富士(東京都文京区、護国寺境内)

高松富士(東京都豊島区、富士浅間神社境内)

十条の富士塚、十条富士も江戸七富士に入っています。この中ですが品川富士、千駄ヶ谷富士、音羽富士を登ったことがあります。つまり7つ中4つの富士塚を制覇していることに。興味深いのはみんな神社境内にあるのに音羽富士だけは護国寺、すなわちお寺の境内にあります。新宿区、成子天神社の富士塚が入っていないのが地元民としては残念ですが造営されたのが大正時代と新しいからなのでしょう。これら以外にも荒川区、足立区にもあり、都外では神奈川県や埼玉県にも現存します。重要有形民俗文化財に指定されている富士塚もあります。

 

ではどの富士塚が最初にできたのでしょうか。一説によると安永9年(1780年)に高田籐四郎(日行)が江戸の高田水稲荷の境内に建てたものが最古であるとされます。しかしこの富士塚は昭和39年(1964年)頃に早稲田大学のキャンパス拡張により近隣の水稲荷神社に移築されました。場所は東京都新宿区早稲田で当院からもさほど遠くない距離にあります。以前この水稲荷神社を訪れたときは立ち入り禁止になっていて策の外から眺めました。富士講が行なわれる日にのみ入ることができるそうです。ここを高田富士といい、先の7つに入れて江戸八富士という場合もあります。高田富士は最初の場所にもうないので外して江戸七富士になったのでしょうか。

 

では当時の場所に今もある富士塚において東京都で最も古い富士塚はどこかというと、東京都渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社境内にある千駄ヶ谷富士になります。寛政元年(1789年)の造営と伝わります。半面、消滅してしまった富士塚も複数確認されています。都心部では再開発の波に飲まれてしまうことがしばしあるようです。秋葉原や目黒にもありました。

高さで見てみましょう。富士山は日本一の高さを誇る山ですからそれを模した富士塚もそれなりの高さが求められるのではないでしょうか。都内で最も高い富士塚は品川神社品川富士で高さは15mあります。富士塚は登ってみると結構な高さのものも多くアトラクション的な楽しさもあります。きちんと1合目から9合目まで標識が立っている。分岐路があり道を選ぶことができる。頂上には社が建っている。頂上は見晴らしがいいところが多いですし、登るのにも降るのにも少々神経を使います。新宿の成子天神社境内の富士塚は危険なので高齢者、子どもは最大限の注意を払ってくださいと警告がなされているほどです。私は本物の富士山を2回登頂しています。どちらもとても大変でした。高校生の体力があった当時でも苦労したのです。都内で富士塚を登ればそれと同じご利益があるというのであればわずかな困難でありますが。

 

江戸時代に始まった、比較的最近の風習。よく見ると富士塚は神社、お寺にあるものです。上れませんが新宿歌舞伎町の稲荷鬼王神社にも小さいながら富士塚があります。参道の左右に分かれているという変わった形。富士塚の知識が無ければ見過ごしてしまうところでしょう。知識はちょっとした日常を豊かにしてくれます。

 

甲野 功

 

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