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~朝熊岳金剛證寺~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 朝熊岳金剛證寺
朝熊岳金剛證寺

 

 

私は人生の節目にお伊勢参りをしています。これまでは以下の時に。

・あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の資格を取得したとき(2007年3月)

・あじさい鍼灸マッサージ治療院を始めるとき(2014年5月)

あじさい鍼灸マッサージ治療院5周年のとき(2019年4月)

あじさい鍼灸マッサージ治療院10周年のとき(2024年4月)

そして昨年初めに父が急死し、1年が経ち一周忌を終えた今年2月。気持ちを新たにする意味でお伊勢参りをしました

 

今回のお伊勢参りでは一番行くことを決めていたのが朝熊岳金剛證寺でした。

 

朝熊岳金剛證寺

 

お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の俗謡にも唄われるお寺。実は最近まで知りませんでした。普通に考えれば神道の神社である伊勢神宮を参拝するのに仏教のお寺がどう関係しているのでしょう。伊勢神宮の正式名称は「神宮」であり各地にある神宮のトップの社格。便宜上、地名の伊勢をつけているだけ。神社の中でも最高位に位置するのが伊勢神宮です。その神宮と金剛證寺はどのような関係で、なぜ参拝した方がいいのでしょうか。

明治より前の江戸時代までは神仏習合という、仏教と神道が一緒にありました。仏様と神様を同一視する。その名残は今でもいたるところにあり、神社の境内にお寺があることがあれば、お寺の境内の中に鳥居と神社があります。日光東照宮は神社ですが境内に鳴き龍で有名な輪王寺薬師堂があります。都内最古の寺院である浅草寺の横には浅草神社が建っています。このように神社と寺が密接な関係にありましたし、今もそうです。明治維新後の神仏分離令、廃仏毀釈が無ければ今も変わらなかったかもしれません。伊勢神宮の鬼門を守るのが朝熊岳金剛證寺です

 

鬼門。言葉は聞いたことがあると思います。北東の方角を鬼門といいます。十二支でいうと丑寅(うしとら)。不吉な方角とされ鬼や災難が北東の方角(鬼門)から入ってくるという信仰です。余談ですが鬼の描写は概念で牛の角をはやし、虎柄のパンツを履いて描かれるのは丑寅の方角によるものだそう。諸説ありますが角の生えた人間型の生物が実在すると考えるより合理的ではないでしょうか。各地に鬼のミイラがありますが。鬼門に戻すと、古くから鬼門封じをしてきました。京都の鬼門には比叡山延暦寺があり、京都御所の鬼門を延暦寺が封じてきました。江戸になると上野の寛永寺がそれにあたります。更に裏鬼門も芝増上寺が。神聖な場所を守るために鬼門にお寺を置いてきました。金剛證寺も古くから伊勢神宮の鬼門を守る寺でした。それ故に神宮(伊勢神宮)の奥之院ともいわれたとか。そのためお伊勢参りの際には金剛證寺もお参りすべしというわけです。

 

ただとても行きにくいところにあります。朝熊岳金剛證寺というくらいですから朝熊岳にあります。それもほぼ山頂に。比叡山延暦寺というようにお寺は〇〇山とつきます。これを山号といいますが、山にお寺を建てることが多いのです。

金剛證寺は現在、臨済宗南禅寺の特例地。南禅寺は京都の名刹です。臨済宗なので禅寺。山号は勝峰山、院号は兜率院。ですから正確には勝峰山兜率院金剛證寺となります。ご本尊は福威智満虚空蔵大菩薩日本三大虚空蔵菩薩の第一位の秘仏。伊勢神宮式年遷宮の翌年に20年に一度だけ御開帳しています。

6世紀半ば、欽明天皇が僧暁台上人に命じて明星堂を建てたのが創建とされます。平安時代に弘法大師空海によって堂宇が建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めます。しかし衰退してしまいます。室町時代が始まる明徳3年(1392年)から応永年間(1394年~1427年)に鎌倉建長寺の仏地禅師東岳文昱が再興します。お寺を再興させた者を中興といい、東岳文昱は金剛證寺の中興にあたります。ここで真言宗から臨済宗に改宗して禅寺になるのです。

 

最初に書いた通り、神仏習合の時代では伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する金剛證寺は“伊勢神宮の鬼門を守る寺”として伊勢信仰と結びつきます。また金剛證寺には虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子が祀られているのですが、雨宝童子は伊勢神宮内宮の祭神である天照大御神の化現と考えられていました。そのため伊勢神宮の奥ノ院と称されます。伊勢神宮との強い結び付きもあり、仏事に用いられるのは樒ではなく神事に使われる榊が供えられる、全国でも珍しい寺になります。神仏習合の最たるものという。

 

慶長2年(1597年)と慶長13年(1608年)に火災に遭い本堂が焼失します。しかし慶長14年(1609年)に徳川家康の命で本堂・摩尼殿が再建されています。この本堂は元禄14年(1701年)に徳川綱吉の母桂昌院による修復を経て現存し、今は重要文化財に指定されているのです。

明治時代になると神仏分離令が出され廃仏毀釈が起き、他の伊勢神宮の神宮寺が廃寺となります。しかし金剛證寺は廃寺を免れました。廃寺は免れますが火災が襲います。明治20年(1887年)の火災で多くの堂宇を失います。大正14年(1925年)にケーブルカーが開通、昭和に入ると伊勢神宮内宮前から登山バスが運行開始し賑わいがもどります。ところが太平洋戦争中の昭和19年(1944年)にケーブルカーの線路を軍部が私用するため廃線となっています。昭和39年(1964年)に伊勢志摩スカイラインが開通してアクセスが良くなり、参拝者が急増します。昭和54年(1979年)に仁王門が再建されます。

現在も路線バスは非常に少なく自家用車かハイヤーを頼まないと訪れることが困難な場所です。私は高校時代山岳部で山には自信がある方ですがあの道を徒歩で登るのは非現実的です。そもそも歩行者が立ち入れませんし。訪れたときも自家用車を出してくれる友人がいなければ参拝を諦めていたかもしれません。朝熊岳はとても高かったです。見晴台からの景色は絶景でした。

 

金剛證寺の境内は広かったです。

駐車場から参道に出ると金佛(阿弥陀佛)があります。金色ではありませんが仏像があります。階段を上ると仁王門が現れます。昭和54年(1979年)に再建されたもの。正面には仁王像が対になって鎮座しますが、裏側には仏像が置かれています。

仁王門を通り抜けると連間の池が目に入ります。この池は空海が掘ったと伝えられます。池には朱塗りの太鼓橋である連珠橋が架かります。連珠橋を渡った先に雨宝堂があります。神仏習合思想の像である雨宝童子尊を祀っています。これは大日如来の化身である天照大神が日向国(現宮崎県)に降り立った16才の御影を空海が刻んだと言い伝えられています。安時代の作で国重要文化財です。

その先に矢負地蔵堂があり本尊は矢負地蔵尊。お堂の前には小さな厄除け六地蔵尊(重軽地蔵尊)が置かれています。持ち上げられる大きさです。

銅製のさほど大きくはない三重銅塔があります。五重石塔もあります。

更に階段を上った先にあるのが重要文化財の本堂摩尼殿。慶長14年(1609年)に姫路藩藩主池田輝政の寄進により再建されました。正面に徳川家の家紋、三つ葉葵の紋が目立ちます。御本尊は福威智満虚空蔵菩薩ですが、伊勢神宮内宮の祭神天照大御神を現す神鏡も祀られていて、神仏習合の形式をとる珍しいもの。御本尊の虚空蔵菩薩は日本三大虚空蔵菩薩の第一位として、広大無辺な「福徳・威徳・智徳」の三徳を有する秘仏。

本堂の前には本尊虚空蔵菩薩の広大な智慧をいただいた寅(虎)の像「智慧寅」があります。その向かいには丑(牛)の像「福丑」があります。福丑の頭の上には大黒天を乗っている非常に珍しいもの。丑と寅という鬼門(丑寅の方向を示す像が対になってあるのが興味深いもの。

本堂の右側には明星堂があります。明星天子を祭っています。明星は日、月、星の三字よりなり、三光天子とも称され国土安穏智慧成就の仏神とされます。ここでも神仏習合がうかがえます。

開山堂は寺を再興した仏地禅師東岳文昱を祀る堂宇。毎年6月27日〜29日の朝開山忌では法要が行われます。

 

伊勢神宮の鬼門を守る朝熊岳金剛證寺。まだ全てを参拝していませんがお伊勢参りに重要なお寺です。

 

甲野 功

 

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