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~京都 東福寺~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 東福寺
東福寺

 

 

以前、紅葉の名所として紹介した京都の東福寺。そして京都三大門でも東福寺の三門(山門)を紹介しました。今回は東福寺そのものの紹介です。

 

臨済宗大本山 東福寺

 

新幹線のとまる京都駅から電車ですぐ。徒歩でもいける距離にあるのが東福寺です。紅葉があまりにも有名ですが格式高い名刹です。臨済宗大本山。山号は慧日山。御本尊は釈迦如来。禅寺で京都五山の第四位の寺格を有します。割と有名な話ですが奈良にある有名なお寺、東大寺興福寺から「東」と「福」の字をとり東福寺としました。京都最大の大伽藍が造営され、今も広大な土地に25もの塔頭(山内寺院)が並ぶ大寺院です。最初に訪れたときは長女と紅葉観賞のためだったので一部だけを拝観のちに一人で再度訪れて境内を巡りました。多くの国宝や国重要文化財に指定された建築物あります。

 

嘉禎2年(1236年)に開基(創設者)である九条道家は、九条家の菩提寺としての釈迦如来像を安置する大寺院を建立することにします。釈迦如来像の大きさは五丈(約15m)。釈迦如来像は建長元年(1249年)に完成しますが、それを安置する仏殿は延応元年(1239年)から始めて、完成がなんと建長7年(1255年)までかかります。九条道家は開山(初代住職)として禅僧の円爾(聖一国師)を迎えます。仏殿以外の建築も30年以上に続き、法堂が完成したのは文永10年(1273年)でした。歴史あるお寺の常ですが火災、戦災に襲われます。元応元年(1319年)に起きた大火災で伽藍は全焼してしまい御本尊の釈迦如来像も焼失してしまうのです。再建が行われますが建武元年(1334年)に方丈が焼失。しかし、この年に東福寺は後醍醐天皇によって京都五山に列せられます。延元元年(1336年)に兵火にあって仮仏殿が焼失。貞和3年(1346年)に仏殿の上棟式が行われます。至徳3年(1386年)に法堂が再建され、同年足利義満によって京都五山と鎌倉五山が改めて制定されることになり、京都五山の第四位に。享徳3年(1454年)に三重塔が建立。文明2年(1470年)、応仁の乱によりいくつかの塔頭が焼失。大永6年(1526年)にも焼失します。

天正年間(1573年~1593年)に豊臣秀吉によって再興。戦国時代が終わり江戸時代になると、徳川家康徳川家光によって修理がなされます。

明治時代となり神仏分離令が出されます。それまで神仏習合といって神社とお寺を混合させる思想がありましたが、国家神道を打ち出す明治政府により分離させる政策がとられます。これにより東福寺に70近くあった塔頭が25院にまで減ってしまいます。さらに明治14年(1881年)、失火のため出火し、それが大火となり仏殿と釈迦如来像、法堂、方丈、庫裏などの主要な建物が焼失してしまうのです。大正6年(1917年)より仏殿と法堂を兼ねた本堂の建築がはじまり、塔頭の万寿寺から釈迦如来像を移して御本尊として昭和9年(1934年)に完成しています。

 

現在の本堂、方丈、庫裏などの建物は明治以降の再建ですが、国宝の三門をはじめ東司(便所)、浴室、禅堂などは現存しています。建築物や仏像以外にも鎌倉・室町時代の絵画などの文化財が多数残っており、国宝や国重要文化財に指定されています。また歴史があるため戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイススパル・ヴィレラが東福寺を訪問してその様子を手記におさめています。

 

東福寺は紅葉が有名で橋から眺めるその景色が絶景です。しかし境内はそれだけではありません。本坊庭園(方丈)が素晴らしいです。方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居のこと。のちに応接の間としての役割が強くなります。当初は東福寺方丈「八相の庭」という名称だったのが、平成26年(2014年)に国指定名勝に登録されたことにより、「国指定名勝 東福寺本坊庭園」となります。東福寺本坊庭園(方丈)は明治14年(1881年)の火災により焼失するのですが、明治23年(1890年)に再建されます。東西南北に四庭が配され、「八相の庭」といっていました。現在のものは作庭家である重森三玲(1896~1975)によって昭和14年(1939年)に作られました。南庭は砂紋の中に四仙島を表現した配石がされ、五山が築山として表現されています。北庭は 石と苔を幾何学的な市松模様に配しています。西庭は市松模様に。東庭は柱石の余材で北斗七星を構成しています。

方丈から通天橋を渡った境内の北で、最も高い場所に建つのが開山堂です。国重要文化財に指定。開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像を安置しています。内部は公開されていませんが高台から境内を見下ろせます。

本堂(仏殿兼法堂)は明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼失したあとに大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成したもの。高さ25.5m、間口41.4mという大きさで昭和期の木造建築としては最大級。近代建築のため重要文化財などではありませんがその大きさは圧倒されます。

京都三大門で紹介した東福寺の三門は、現存する禅寺の三門としては日本最古のもので国宝に指定されています。至徳元年(1384年)から再建が始まり、完成は応永32年(1425年)。非常に大きいです。

禅堂は貞和3年(1347年)に再建された日本最古最大にして中世から遺る唯一の坐禅道場です。国重要文化財に指定。扁額「選佛場」は宋の佛鑑禅師(聖一国師の師)の筆。

東司は便所のこと。日本最古の公衆便所とされ、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠とも呼ばれます。国重要文化財。

浴室は長禄3年(1459年)に建てられた、京都最古の浴室建築。国内でも東大寺の湯屋に次いで古い。建物としては国内最大です。国重要文化財。

愛染堂愛染明王を祭る丹塗りの杮葺き八角円堂で南北朝時代の建築。もとは東福寺塔頭三聖寺にありました。その三聖寺を万寿寺が明治6年(1873年)に併合し万寿寺のものとなります。さらに万寿寺が明治19年(1886年)に東福寺の塔頭となり、昭和12年(1937年)に東福寺に移築されました。国重要文化財。

 

ここまで多数の境内にある建築物を紹介してきましたが、やはり見どころは東福寺三名橋でしょう。東福寺の境内を流れる三ノ橋川に3本の橋が架かっています。

まずは臥雲橋。京都府指定有形文化財に指定されています。西側にあり日下門と月下門の間にあります。この橋から見ると紅葉の先に通天橋が見えます。

最も有名なのが中央の通天橋。渓谷・洗玉澗を渡るため本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る苦労から僧を救うために架けたと伝わります。紅葉のシーズン外でも眼下に楓の木々が広がり美しい景色を楽しめます。昭和34年(1959年)の台風で崩壊しましたが2年後に再建され、橋脚部分は鉄筋コンクリート造となりました。

東側にあるのが偃月橋。慶長8年(1603年)に再建された木造単層切妻造。国重要文化財。日本百名橋にも選ばれています。

 

他にも興味深い建築物が多数あります。京都は名刹だらけで紅葉の名所としての東福寺が注目されがちですが、応仁の乱も乗り越えた歴史のある寺院です。

 

甲野 功

 

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