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~保育園最後の日~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 最後の保育園
最後の保育園。園服を着て一礼。

 

 

本日3月31日。今日は次女の最後の保育園登園日でした

 

最後のお迎えは妻と同じくこの保育園に通った長女と一緒に行きました。我が家にとっても最後の保育園でした。

 

長女が0歳のときから通った保育園。9年間の付き合いが終わりを迎えました。この9年間は私の独立の9年間でもありました。

どこかに勤めるということを止めて自営業としてスタートした2012年4月。このとき長女が保育園に入園。実際には順序が逆で子どもを保育園に通わせるために自営業として独立したのでした。

今では一般的に知られるようになった保活。子どもを保育園に入れるための活動です。保育園に入りたいのに入れない待機児童は都心部で多く、待機児童問題となっています。9年前も希望の保育園に入れるか、そもそも保育園に入れること自体できるのか、という不安がありました。早生まれの長女を生後数ヵ月のまさに赤ちゃんのうちから保育園に入れるために生まれる前から保活をしてきました。

幸いにも第一希望の保育園に入園させることができましたが、簡単なものではありませんでした。あの時の経験は今でも鮮明に覚えています。長女が無事に生まれて病院で良かったねと妻と話しているときに、役所に行って本申請をすぐにしてね、と言われたものです。そう生まれる前から申請を出していました。

 

進学に伴い保育園に残るためには条件に合った時間帯で仕事をする必要があり、そのためには自営業としてやっていくことが現実でした。1年待とうとか保育園入園を諦めようという選択肢はありませんでした。特に私は保育園に思い入れがあります。

 

私は1977年生まれなのですが保育園育ちです。地方に単身赴任している父と教員をしている母から生まれて物事ついたときには保育園に通っていました。当時うちの地域では保育園に通う子どもはマイノリティで大半が幼稚園でした。日本全体がそうだったかと思います。今では考えられませんが、旦那が解消無しで妻子を養っていけない家庭、片親の家庭、母親が特殊な仕事をしている家庭、が子どもを保育園に通わせるという雰囲気がありました。保育園児だった当の自分は気が付きませんでしたが小学校にあがり、段々と社会環境がわかってくるとそのように思われているのかと感じるようになりました。私からみてある程度上の世代の男性には保育園と幼稚園の違いを理解している人は少なかったです。保育園といってもわざわざ幼稚園と言い直す人もいました。幼稚園は文部科学省管轄で保育園は厚生労働省管轄です。先生の資格も異なります。

 

私が出た保育園から地域の公立小学校には3名しか同学年で入学しませんでした。ほとんどが附属幼稚園から入学した児童でみんな友達。1年生の始めは疎外感がありました。いわゆる鍵っ子で放課後は学童クラブに行って夕方姉と帰宅。夕方ランドセルを背負って歩いていると笑われたものでした。

最近はあまり聞かれなくなりましたが、子どもは母親が育てるもの保育園に入れるなんて育児放棄よ、などと平気でいう人がいました。割と最近まで。保育園に入れるなど父親失格だと発言する上の世代もいました。共働き家庭の何が悪い。保育園育ちは劣った子どもか。そのような反発が子どもの頃ありました。反面保育園に通ったから強くなれたという自負もありました。自分に子どもができて、0歳から保育園に入れることでしっかりと育ってほしいと思っていました。

 

子ども達が保育園に通った9年間は自営業として歩んだ9年間。勤めではできなかっただろう子どもとの保育園との関わり方ができたのではないでしょうか。

 

保育園育ちであることに後ろめたい気持ちは一切ないのですが、共働き家庭での寂しさのようなものはありました。平日は家に帰ってこない単身赴任の父。小学校教員の母。親が忙しくてあまり構ってもらわなかったという自覚は小学校に上がって感じるようになりました。放課後の友達の家にいくとほとんどの家庭でお母さんがいる。ああ、うちはちょっと違うのだと思いました。授業参観や運動会に母が来ることはほぼありませんでした。何故なら同じ日に担任として小学校で同じ行事をしているから。父しか来ないか海外出張が重なり両親どちらも来ないということもありました。反対に外部の教員を招いた研究授業で母が外部の教師として授業視察に来るということがあったりしました。

 

ですから自営業となり時間に融通が利く分子ども達の送り迎えや保育園のイベントには極力参加しようと思っていました。そこは私と同じ経験をしてほしくないなと。特に長女が生まれる前年は東日本大震災が起きました。いざという時に駆け付けられるようにしたいと考えていました。

 

長女が生まれてからは保育園に送ってそのまま代々木の学校に向かうという生活が2年間。いつもすんなり預けられるわけもなく、機嫌が悪い、体調が悪い、準備に時間がかかるなどトラブルも多々ありました。突然の初熱、嘔吐が長女が割とありました。生後数カ月で入院すること、深夜に救急外来に連れて行くことも。あの頃は下の血圧が100を超えていて、自営業になったプレッシャーもあり大変な体調でした。そこで同じように仕事を前に頑張って保育園に送りにくる他の保護者をみて自分も頑張ろうと踏ん張りました。保育園の存在は子どもだけでなく私も親として育ててもらった気がします。まだまだ世間からは子どもの面倒をみるのはお母さんだけすよね、という感覚がありそれを私は感じます。保育園職員の方々は関係なく保護者として扱ってくださいます。そして同じ境遇の父親とたくさん接することで勇気づけられました。

 

 

最後の日。お迎えにいくと最後の挨拶をするため保護者の列ができていました。下の兄弟がいる家庭はまだ関係が続きますが、うちのような家庭は本当に最後です。9年間ほぼ毎日通ったこの場所も最後だと思うと感慨深いものがありました。保育園には小学校のような夏休み、冬休み、春休みがありません。お盆の長期休みもありません。働く親のために年末年始以外ずっと開けてくれています。本当に感謝しかありません。

園の門を出て。長女と同じように次女に保育園に向かってお辞儀をしてもらいました。普段は着ない園服、円帽を身につけて。

本当に9年間ありがとうございました

 

甲野 功

 

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