開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
私の持つ国家資格の一つが「あん摩マッサージ指圧師」。長い上に聞き馴染みのない名称です。しかし私自身において基盤となる資格で最も重要かもしれません。この名称は『按摩』、『マッサージ(massage)』、『指圧』の3つの技術を行う資格です。元々個別の徒手療法をくっつけてしまった名称です。この順番でわが国において成立してきました。最も古くからあるのが按摩。中国から伝わり大宝律令にもその名前が出てきます。マッサージ(※あん摩マッサージ指圧師のいうマッサージを指す)は明治時代にヨーロッパから導入されたとする西洋由来の技術。按摩をカタカナ英語にするとマッサージとなるので世間の人が想像するマッサージはほぼ按摩。そのため正確にはmassageと英語表記の方が好ましいかもしれません。そして指圧。大正時代に成立した教科書にはあります。歴史的なことを調べると数多くの按摩、massage以外の徒手療法をまとめて指圧としてしまった。そのため教科書には米国3大整体も取り入れていると書かれています。指で押せば指圧、というわけでありません。
今年の私が取り組むテーマが~按マ指を探究する~としていて、按摩・マッサージ・指圧を更に研究、追求する1年にしようとしています。昨年から始めていましたが今年2025年は様々な取り組みをしてきました。先日その一環として吉田流按摩を受けてきました。
今回は吉田流按摩とは何かという話です。
3つの技術のうち、最も古くから日本にある按摩。視覚障害者(昔の用語でいうと盲人)の生業として歴史を残してきました。視力を失う、視力がない。人間は情報の8割を視界から得ると言われています。視力に障害があったらとてつもなく不利になります。視覚障害がある人でも生活できるように工夫や制度が昔からありました。職業としては音楽と按摩、鍼。音楽家は箏、琵琶、三味線など。耳なし芳一は盲目の琵琶法師です。そして私の分野である按摩や鍼灸。特に按摩は視覚障害者の仕事として何百年と続いてきました。あん摩、按摩、アンマという言葉は非常にポピュラーなものでした。江戸時代には杉山和一という盲目の按摩・鍼師が存在して視覚障害者を支援するシステムの礎を築きました。『杉山流あん摩術』というものがあります。
一方、江戸時代の終わり頃に晴眼者(視覚障害のない視力において健常者のこと。「目明き」とも。)の按摩術が誕生します。それが吉田流按摩です。盲人の杉山流に対して目明きの吉田流。このような対比がされました。後で歴史をたどりますが、東京都八丁堀にある東京医療福祉専門学校がこの吉田流按摩を継承しています。今から約20年前。私は国家資格を取得したいと専門学校を研究していました。あん摩マッサージ指圧師は必ず取るとして、同じ3年間で一緒に鍼灸師も取れる本科と言われるものがあることが分かっていました。都内には複数の本科がある専門学校があり、どこにしようか思案していました。候補に残っていたのが実際に進学する東京医療専門学校(現在の東京呉竹医療専門学校)と東京医療福祉専門学校、などでした。東京医療福祉専門学校には見学に行き吉田流按摩というものがあることをそこで知ります。東京医療専門学校は鍼灸から始まった学校に対して、東京医療福祉専門学校は吉田流按摩から始まった学校という事で魅力的でした。しかし諸条件を考慮して東京医療専門学校を選びました。東京医療専門学校に入学してからも吉田流按摩のことは調べていましたし、国家資格を取ってから一度吉田流按摩ができるという院に受けに行ったことがありました。そして今年に入り10数年ぶりに受けてみて私が習ってきた呉竹学園の按摩との違いを体感してきました(※呉竹学園は東京呉竹医療専門学校を運営する学校法人。)
業界内では非常に有名な吉田流按摩。どのように生まれたのか。各種ホームページや論文からその歴史を書いていきます。
吉田流按摩の開祖は吉田久庵という人物。江戸時代後期の享和3年(1803年)に埼玉県北埼玉郡の農家に生まれます。周囲の影響もあり郷里で医学を学んだ後に長崎に行きます。長崎は出島があり鎖国中の日本で最も世界に開けた場所でした。オランダの学問、蘭学の医術を知り感銘を受けます。その視点から鍼灸や導引といった日本伝統医療を研究していきます。吉田久庵は江戸幕府の奥医師(将軍をみる医師)であった石坂宗哲の弟子でした。石坂宗哲は江戸時代の非常に有名な鍼師であり、別の機会に詳しく触れたいところです。鍼以外にも按摩、導引も習得していました。吉田久庵は按摩以外にも鍼灸、導引、今でいう西洋医学のはしりも学んでいたのでしょう。天保3年(1832年)に江戸の日本橋四日市にて治療を始め、吉田流按摩を完成させていきました。家塾を開き多くの門下生がいました。吉田久庵は安政の大獄で知られる安政3年(1856年)に54歳で亡くなります。技術的な特徴は後で触れますが当時としては画期的な技術革新があったようです。
初代吉田久庵の死後、息子の二世(1836〜1896年)に受け継がれます。勢力をつけた吉田流は視覚障害者の主流である杉山流と文久元年(1861年)に衝突することになります。盲人(視覚障害者)にとって目明き(晴眼者)が按摩をして活躍されては仕事にならないというわけです。これは現代でも通じる問題と言えるでしょう。また門下生同士が競合しないように、一定の距離をもって開業させる共済制度を作りました。
その息子、すなわち吉田久庵の孫の三世は明治12年(1879年)に生まれます。現在の東京慈恵医科大学に合格して医師を目指すも父である二世が倒れたため、家業の吉田流を継承します。かの東郷平八郎元帥を鍼で治療しました。吉田流は按摩以外にも鍼灸もできたようです。三世は多くの教え子がいてその一人が平川荘作氏でした。第二次世界大戦が勃発すると三世は栃木に疎開し、戦後昭和21年(1946年)に疎開先で亡くなります。吉田流を継ぐ者がいなかったため、平川荘作氏が吉田流按摩を無くさないために行動します。
昭和25年(1950年)、東京八丁堀に東京マッサージ師養成所を設立します。これが現在の東京医療福祉専門学校になります。このような歴史を経て令和の現代も東京医療福祉専門学校で吉田流按摩が継承されているのです。学生さんに聞くと按摩の授業は3年生のかなり先まであるそう。多くの専門学校では国家試験対策に入るためにある時期から実技授業は無くなっていくものですが、やはり按摩に対する力の入れ様が他と異なることがうかがえます。
それでは技術的な特徴はどのようなものあるのでしょうか。視覚支援学校(盲学校)教諭が執筆した論文には盲人の杉山流按摩に対して晴眼者の吉田流按摩の特徴が4つあるとしています。杉山流に対して全体に強めの刺激であるという前提があり、
①母指揉捏法:押してから筋を外にはじくような一側性の線状の揉捏
②肘揉み:尺骨頭部、前面尺側を使用
③四指揉捏法:母指揉捏と同様な線状揉捏
④足力:術者の足底で患者の下肢を踏む
を挙げています。
術者でないと何が特徴なのか意味が分からないと思いますが、私にとっては非常に興味深いです。
まず①は母指(親指)による線状揉捏です。揉捏とは揉むことだと考えてください。線状というのは直線方向で揉むというもの。対して輪状という円を描く方向で揉むやり方があります。吉田流按摩を掲げるは、弦楽器の弦を弾くように筋線維を弾く「線状揉み」を打ち出します。私の出た呉竹学園では母指線状揉捏を当然習うのですが、「MP揉み」と称されるやり方をします。ここが吉田流按摩の「線状揉み」と大きく違います。東京医療福祉専門学校の学生さんと接して確かに違うなと納得したものでした。また実際に吉田流按摩を掲げるあん摩マッサージ指圧師さんの施術を体験して違いを再認識しました。テンポが速く、強刺激だと感じました。
もう一つの有名な特徴が②の「肘揉み」です。肘頭(肘の先で尖ったところ)を用いる揉捏法。圧が強く入り過ぎてしまうので危険です。特に背中にするときは肋骨骨折の危険性があります。多くの学校では肘で押すことを禁止しています。そこを吉田流按摩では肘で揉むのです。押すことより揉む方が技術的に困難です。しっかり技術体系として持っているのはあん摩マッサージ指圧師の私には驚く点です。
③の四指揉捏法。四指とは手の指のうち親指を除いた4本のこと。ここを用いて線状で揉捏するのは簡単ではありません。個人的には輪状の方がずっと楽です。これも東京医療福祉専門学校の学生さんと練習したときに面食らったものでした。ちなみに神奈川衛生専門学校卒の先生に按摩をしてもらったときにこのやり方を体験しました。神奈川衛生専門学校は後藤流という技法を継承しているのですが、成立に吉田流按摩が取り入れられたとか。聞いて納得したものでした。
④の足力。足底(足の裏)で揉む技術。巷にあるリラクゼーション店や呉竹指圧にも技術があります。吉田流按摩の特徴としては聞いたことがなかったです。どこかで調査してみたいものです。
非常に専門的な内容を紹介しました。調査をしてみて知らなかったことがたくさん分かりました。吉田流按摩の歴史と技法を見つめることで私自身の技術が高まります。按摩の歴史は日本の視覚障害者福祉と直結します。その点でも学ぶものが多数ありました。いつか盲人と晴眼者の按摩を考察したいと考えました。
※参考資料
治療院みはらホームページ
東京医療専門学校ホームページ
社会鍼灸学研究 016(通巻11号) 第11回社会鍼灸学研究会講演特集
「江戸期の鍼灸・あん摩と視覚障害者―杉山流誠術の江戸から明治の展開を中心に―」
群馬県立盲学校教諭香取俊光
甲野 功
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