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2026年(令和8年)3月11日。あの東日本大震災から15年が経ちました。
5年前もこのような書き始めでブログを書きました。3月11日。どんどんあの日、そしてそれからの数か月のことを忘れていっています。実感を伴わなくなっているというか。5年前に10年を振り返る文章には新型コロナでまだまだ先が見えないとあります。緊急事態宣言、三密を避ける、不要不急の外出を避ける、など今や遠い過去のように感じます。昨年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン時間から30年という年で振り返りましたが、やはりかなり忘れているもの。事実として忘れてはいませんが感情という体験が薄くなっています。15年前の東日本大震災を風化させないようにまた振り返ってみます。
やはりあの日から人生が変わったというか、変えていったという実感があります。当時の私は柔道整復専門学校3年生。先週の日曜日に柔道整復師国家試験を終えて次のステージに向かうためにひと休憩していました。専門学校1年生という立場で2009年3月に入籍し、同年12月に挙式。翌2010年の夏に新婚旅行でエジプトへ人生初(そして現時点で最後の)海外旅行にいきます。そして2011年1月末に鍼灸マッサージ師の新卒として入った当時の職場を去りました。柔道整復師として整形外科で働いてみたいという気持ちが強くなってのこと。ですから東日本大震災から15年ということは柔道整復師になって15年という節目にもなります。
飯田橋にある当時妻が勤めていた職場で臨時バイトをしているときに大きな揺れが襲いました。東日本大震災発生。震源地が東北にもかかわらず東京も非常に強く揺れました。東京では大きな被害は表向きなく、天井が崩落して1名亡くなったことが直接的なものだったでしょうか。東北が津波、原発事故、火災と尋常でない被害が伝わってくる頃、東京は帰宅困難者で溢れます。公共交通機関がほぼストップ。高速道路も封鎖。金曜日だったこともあり、何とか帰宅しようという人達で混乱します。私は自宅に歩いて帰られる距離だったので歩いて帰宅しました。出身大学の東京理科大学では生徒職員が近くの公園に避難していて、初めてみる光景に非日常を感じました。災害時に役立つというラジオも放送させていません。携帯電話が繋がらず、まだ存在したPHSが通じました。
今仕事に欠かせないツールとしてあるX。当時はTwitterといいました。私がTwitterをアカウント登録した日が2011年3月11日。これは携帯電話が繋がらないなか、TwitterやMixiといったSNSは動いていたため。必要になると感じて始めたのです。
当日の地震発生以降は民放、NHK問わずテレビ番組は全て地震関連の報道になります。テレビCMが消えてACジャパンのCMだらけ。幾度となく同じ内容のCMが流れて気分がおかしくなりそうでした。また度重なる余震で地震酔いに。揺れていないのに揺れているような感覚に襲われます。飲食物が店頭から消えて食料の買い占めを注意する張り紙が貼られています。飯田橋駅前の飲食店がどんどん閉まっていきます。まだ子どもが生まれていなかったのですが、赤ちゃんがいたらどれだけ不安になったのでしょう。
東京の混乱など東北とは比較になりません。連日の報道で被害がどんどん分かってきます。地震そのものの被害だけでなく、津波と原発事故が大きな問題でした。15年経った今も元に戻っていないことは明白です。津波よりも原発事故の方が個人的にこたえました。というのも昨年亡くなった父は原子力発電所のエンジニアでした。付け焼き刃の記者や解説員とは比較にならないくらい理解していたはずです。原子力発電所の設計から携わっていた日本の原発創世記に近い人。後にOBとして非難区域に入って作業をしています。既に70代後半になっていた父は防護服で夏場の作業は相当しんどかったといいます。また報道されないことまで理解できるため、本当に心配で苦しんでいたそう。生前、父は原発事故について多くを語らず亡くなります。母から様子を聞く限り。原子力発電所とは間接的に大きな関りがあるのです。また応用物理学科を卒業して少し知識がある分、放射能・放射線のことで世間に認識がずれていることに憤りを感じるものでした。
後にコロナ禍で体験するのですが、多くのデマに踊らされます。大災害が起きたときに生じる弊害。東日本大震災はその後の熊本地震、能登半島地震と災害時の在り方をアップデートさせ、一方でネットでの真偽不明な情報が氾濫する予兆だったように思います。東京ですら3月11日からの数週間は先行き不安で何が正しくて何が嘘なのか分からない感じでした。3月末に一人訪れた鎌倉。いつもは観光客でごった返している小町通りが閑散としていて、この国はどうなっていくのだろうと途方にくれました。海沿いに行くことに躊躇しなくなった頃です。
東日本大震災は人生を強く考える出来事でした。開業するなら立地の良い神楽坂で。そんなぼんやりとした願望が消えて、自宅近くにしようと考えを改めました。当時就職活動で面接した整形外科病院の理事長(すなわち経営のトップ)からその年齢(31歳、既婚)と資格(あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師、柔道整復師)とキャリア(免許を取って丸4年)でまだ誰かの下で働こうと思っているのか?いい加減独立してやっていく覚悟を持てと言われました。この経験も大きかったです。そして就職した整形外科クリニックが裏で詐欺行為をしていることが分かり、辞めて教員養成科進学を決意します。この詐欺というも東日本大震災があったから生み出されたアイデア。東日本大震災がなければ敢えて鍼灸マッサージ教員養成科に進学して2年間勉強するなどしなかったことでしょう。本当に東日本大震災は人生を変える出来事でした。
あれから15年。今日は多くの報道特集や振り返りの番組が放送されます。東日本大震災は名称が“東日本”と広大な範囲になっています。各地でそれぞれの3.11があったことでしょう。直接の被害は皆無でしたが気持ちは大いに影響を受けました。人生の岐路となりました。5年前の文章では、10年前の東日本大震災を生き残ったのだから新型コロナにも生き残ると書きました。2026年3月11日現在は物価高、円安という苦労はありますが、コロナ禍という苦難はありません。一方で海外は紛争、戦争が続いています。いま平穏な暮らしができていることに感謝します。5年後に、あれから20年と書き出す文章は何を書くのか。書いていられる未来を望みます。
甲野 功
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