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~怨霊を祀る神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 怨霊を祀る神社
怨霊を祀る神社

 

 

今アニメ『呪術廻戦』が放送中です。アニメは制作に時間がかかるため、今は分けて放送するのが主流。第3期前編が放送中です。少年ジャンプ誌で連載していた大人気少年マンガのアニメ化。怨霊や呪力を扱う内容で非常に日本らしいストーリーです。最近のジャンプ作品に多い、話が複雑で登場人物がたくさん出てきます。原作を全て読んだのですがいまいち理解しきれず、アニメになって理解が深まる、解説動画やサイトをみて復習するという感じです。

 

日本には怨霊という呪いをともなう存在があることを当たり前のようになっています。実際に目視したり、実感できたりしているかは別として。戦後広まった宇宙人がいるかいないかという論争よりも遥かに古くから。平安時代から怨霊はポピュラーです。その理由は怨霊を祀る神社が各地にあるからでしょう。本来害をなすはずの怨霊を神様に転じて味方につける。このようなことをしてきました。天災や疫病は怨みを持って非業の死を遂げた人間の怨霊の仕業と見なし、これを鎮めて怨霊を御霊とすることによって、祟りを免れ平穏と繁栄を実現しようとする信仰を「御霊信仰」といいます。日本固有の信仰ではないでしょうか。

 

恨みをもって亡くなった者の霊を信じ、祟りを恐れた。まず祟りを信じることから。飢饉、大火事、台風、疫病、地震などは恨みを持った者の祟りによるものだと考える(信じる)。分かる人がいたのでしょう。怨霊になって祟りをなすと。怨霊を鎮めて神として祀ることで御霊として反対に我々を守ってもらう。この御霊信仰は平安時代から始まったといいます。『呪術廻戦』でも呪力全盛期は平安時代といいます。怨霊を鎮魂するための儀式として「御霊会」があります。宮中行事として行われました。怨霊になるのは天皇に関りがある宮家の人間。そういう実情があったのでしょうか。今では考えられませんが天皇家内で政治闘争が活発でした。政争に負けて不遇な死を遂げた宮家が怨霊になり祟りをおこす。最も古い怨霊は早良親王でしょうか。早良親王は光仁天皇の皇子ですが皇位継承はないと思われ仏門に帰依し僧侶になります。ところが桓武天皇の皇太子に立てられます。しかし藤原種継の暗殺に関与した罪に疑われ、幽閉され亡くなります。詮議をかけた桓武天皇は早良親王の兄。最期は餓死ということですから苦しんで亡くなったのでしょう。死後の追諡として「崇道天皇」をもらいますが即位しておらず、歴代天皇には数えられていません。早良親王死後、宮中に多くの不幸が起こり、その祟りだとされました。歴史上、最初の御霊会が貞観5年(863年)に行われ、この御霊会で崇道天皇(早良親王)らが祀られます。今も京都の御霊神社(上御霊神社)下御霊神社に崇道天皇は祀られています。また全国に御霊神社が存在しています。

 

そして怨霊といえば、日本三大怨霊と称される怨霊の3トップがいます。諸説ありますが、一般的には菅原道真平将門崇徳天皇の3柱を指します。

 

まずは学問の神様として名高い菅原道真公。平安時代に右大臣まで昇進した菅原道真ですが、陰謀により失脚。九州の大宰府に左遷されてしまい、失意のうちに延喜3年(903年)に亡くなります。祟りと恐れられたのは死後20年経ってから。右大臣として仕えていた醍醐天皇の後継者が相次いで早世し、菅原道真の祟りかと噂されるように。さらに延長8年(930年)に清涼殿落雷事件が起き、大宰府で菅原道真の監視役を務めた藤原清貫が焼死します。この落雷事件の3カ月後に醍醐天皇は崩御。これはもう菅原道真の祟りに違いないと、怒りを鎮めるために太宰府天満宮を造り、祀ります。その後、京都にも北野天満宮を造ります。菅原道真は天神様として全国の天神社に広まっていくのです。私がこれまでに訪れた中には京都の北野天満宮を始め、関東にもたくさんあります。湯島天満宮成子天神社亀戸天神社五條天神社荏柄天神社らがあります。怨霊転じて受験の神様となった菅原道真。

 

続いては平将門。この方も非常に有名です。宝武天皇の血をひく平将門は平安時代中期の関東の豪族です。自らを「新皇」と称して天皇を倒そうとするも挙兵するも討ち取られます。その首は京都の七条河原に晒されたといいます。しかしその首は関東に向かって飛び去り、途中で力尽きて落ちます。そこに平将門鎮魂のために首塚が作られるのですが、その場所が現在の東京大手町になります。有名な話ですが太平洋戦争後に進駐軍が首塚を工事していると死傷者が出る事故が起きます。戦争に勝った進駐軍ですら平将門の祟りを恐れて首塚は残したままになります。日本人以外にも祟りをもたらすとされる強い平将門の怨霊。延慶2年(1309年)に将門塚の神田神社(神田明神)に祀られるようになります。神田明神は江戸総鎮守として江戸の町を守ります。都市伝説では平将門の怨霊を用いた結界を江戸に施したとされていて、縁のある神社などが北斗七星の形に並ぶといいます。その縁がある神社の一つが北新宿にある鎧神社です。戦利品として持ち帰ろうとした平将門の鎧。討ち取った一段のリーダーが重病になり、祟りだと恐れて鎧をこの地に埋めたというのです。このような平将門関連の場所を繋ぐとできる結界。近年、将門の首塚は綺麗に作り直され、その間は神田神社に御霊が移されていました。その時に大流行したのが新型コロナウィルスで、将門の結界が弱まったせいという噂が都市伝説として言われるといいます。

 

日本三大怨霊の最後は崇徳天皇です。崇徳上皇とする場合もあります。上皇とは次の皇位を譲った元天皇のこと。平安時代は天皇を力のない幼子や若い者に譲り、実権を上皇として握るというやり方が流行りました。現在も“院政を敷く”という言葉がありますが上皇が行う政治が院政です。崇徳天皇も皇位を受け継ぎ天皇にはなりますが、その年齢は今でいうと3歳くらい。先代の鳥羽天皇からすれば何もできない天皇にうつるでしょう。どうも家系図としては祖父にあたる白河法皇(白河上皇が仏門に入ったときの呼び名)の子どもだったという崇徳天皇。白河法皇の意向で鳥羽天皇は幼子に皇位を譲らされたようです。鳥羽天皇は鳥羽上皇になるのですが、妻と父の不倫の末に生まれた思われる崇徳天皇への想いはどうでしょう。実父と噂される白河法皇が亡くなると崇徳天皇への風当たりがきつくなります。鳥羽上皇は近衛天皇に皇位を譲るように崇徳天皇へ命令。このとき近衛天皇は2歳だったとか。院政は鳥羽上皇が担い、上皇となった崇徳天皇は政権から蚊帳の外に。近衛天皇が崩御すると崇徳上皇は実子を天皇にさせようとしますが鳥羽法皇はそれを拒否し、崇徳上皇の弟を後白河天皇として次の皇位につかせます。後白河天皇は鳥羽法皇の本当の子だったとか。崇徳上皇は政治から排除される形になります。鳥羽法皇が亡くなると、崇徳上皇が謀反を起こすという噂がたてられます。身の危険を感じた崇徳上皇は後白河天皇を倒すべき挙兵するも、平清盛源頼朝といった後の有名武将たちを相手に、捕らえられて流罪になります。これが保元の乱。流罪となった讃岐の地で、自らの舌を噛み切りその血で“天下滅亡”と書き残し亡くなったという崇徳上皇。讃岐で金比羅権現を篤く信仰したといい、金毘羅宮が崇徳上皇を祀るのはこのためです。金毘羅宮の御祭神は大物主神です。崇徳上皇が合祀されたのは永万元年(1165年)のこと。三大怨霊で最も祟りが強いといわれる崇徳上皇は没後の節目となる年に大きな飢饉、戦が起きるようになり、700年以上も祟りが続いたとか。明治時代になり京都で崇徳天皇を祀る白峯神宮がつくられ、やっと鎮まったといいます。私は白峯神宮には行ったことがありませんが、東京の虎ノ門金毘羅宮にはあります。超高層ビルの一角にあり、将門の首塚同様、開発で無くすことなどできなかったのではないかと予想してしまいます。

 

御霊信仰にとは違いますが似たようなものとして「疫神信仰」というのもあります。疫病神を祭ることによって、疫病を防ぐというもの。構造は御霊信仰と同じでしょう。有名なものが牛頭天王を祭る祇園信仰です。古事記において、姉で太陽神である天照大御神に狼藉を働き、天岩戸隠れを起こすことになる素戔嗚尊(須佐之男命)。高天ヶ原を追われて地上に降り立ち、八岐大蛇を退治して国津神の祖となります。一方で牛頭天王は疫病や災いをもたらすもの。神仏習合により牛頭天王と素戔嗚尊は同一視されます。牛頭天王(素戔嗚尊)を祭っているのが京都の八坂神社で、京都の祇園祭は牛頭天王に対する信仰によるもの。素戔嗚尊も牛頭天王も最初は災いをもたらす存在で、怨霊を祀る神社と似ているといえます。京都の八坂神社に、私はもちろん訪れています。

 

怨霊を転じて災いから守る存在の御霊にして祀る御霊信仰。鎌倉にも御霊神社があり、怨霊となった人物を祀っています。たくさんの神社を巡りましたが実在の人物、しかも恨みを持って亡くなった怨霊を祀った神社が多数ありました。それが日本特有の考えで、呪力がそばにあった我が国らしいところでしょう。放送されている『呪術廻戦』を観ると思い返すものです。

 

甲野 功

 

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