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~LGBTQ+について考える~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 LGBTQ+の意味
LGBTQ+の意味

 

最近ウェブメディアハリトヒト。に飯塚聡先生のインタビューが公開されました。テーマはLGBTフレンドリー

 

フレンドリーがあらゆる偏見の壁を壊してくれたらいい /鍼灸師:飯塚 聡

 

飯塚先生とはこれまでに何度か接点がありました。

 

飯塚先生が開業した「南青山鍼灸マッサージ治療室らるく」へ私が訪れたことがありますし、反対に飯塚先生が当院にいらっしゃったこともあります。同じ開業鍼灸師として患者さんのために連携をとったこともありました。ある疾患に飯塚先生は強いのですが赤ちゃん連れだと対応が厳しいということで、飯塚先生に施術のアドバイスをもらい当院が引き受け例もありました。

 

飯塚先生と初めて会ったのがハリトヒト。のインタビュー冒頭にあった東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科卒業論文発表会でした

 

私は教員養成科30期でした。卒業論文発表会では2年生が発表し1年生が発表を聴き自分たちの研究の参考にするのです。私たち30期の生徒が発表した内容を1年後輩である31期が聴いて1年後に発表したのです。

教員養成科を卒業してあじさい鍼灸マッサージ治療院を開業していた私に卒業翌年にある先生から連絡が入りました。「31期の研究内容がまずいので発表会に参加して突っ込もうではないか」という内容です。表現を柔らかくしていますが実際はもっと厳しい感じでした。一つ上の先輩として𠮟ってやれというニュアンスです。30期のメンバーに連絡が行ったのですが、開業して時間の融通がきいた私だけが31期の卒業論文発表会に参加したのでした。

 

31期の発表は確かに一部、はて?、と思う内容もありました。事前に抄録集で確認して、これはいかがなものか、と感じていたものの一つが「古代文献にLGBTに関する記述があるのか」という研究テーマでした。

鍼灸の世界では黄帝内経をはじめ幾つも古典と言われる古くから伝わる文献があります。その理論をベースに理論が構築されてきました。それらの古代文献にLGBTに関係する記述があるのか文献調査をしたのです。

 

結論は、ありませんでした

 

抄録の内容を読んで私は「それはそうだろうね」と思ったのです。当時はLQBTは近年生まれた性的マイノリティという概念であり、大昔には無かっただろうなと何となく思っていました。東洋医学概論にもそういう内容は習った覚えもありませんし。

わりと分かり切ったことを、実験をすることなく文献調査で済ませていないか?という不信感のようなものがありました。それは他の先生方も感じていた雰囲気がありました。

 

いざ発表が始まると結果は記載が無かったということでありますが、近年の状況を考えて鍼灸業界はLGBTとしっかりと向き合うべきではないかという提言がなされ、質疑応答でも活発な意見が飛び交いとても素晴らしいものになりました。会場にいた私もその雰囲気に一種の感動を覚えたのでした。当時は今以上にタブー視されていた性的マイノリティのことを堂々と議題にして正面から向き合っていこうという気概のようなもの。事前に感じていた気持ちが吹っ飛びました。

 

このとき1年生として聴いていたのが32期の飯塚先生でした。

 

翌年も教員養成科卒業論文発表会の会場に訪れた私は、飯塚先生が昨年の古典文献におけるLGBTの記載についての研究を踏襲し、現代の臨床現場におけるLGBTの問題をテーマに発表した姿を目の当たりします。昨年の提言をそこで終わらせず繋げたことに驚きと感動がありました。研究テーマは各生徒が自ら選びます。飯塚先生は別のテーマにしても良かったわけです。敢えて教員養成科の集大成としてLGBTをテーマに研究したのです。

 

飯塚先生の発表を聴いて私は昨年以上にLGBTについて考えるようになりました。開業している私にとっても他人事でないと。のちに飯塚先生は「南青山鍼灸マッサージ治療室らるく」を開業しLGBTフレンドリーを掲げています。そのことについてはハリトヒト。のインタビューをご覧ください。

 

この記事を読んで改めてLGBT、そしてLGBTQ+について考えてみました

 

まずLGBTとは

L(レズビアン)

G(ゲイ)

B(バイセクシャル)

T(トランスジェンダー)

の頭文字です。

 

男性は女性が好き、女性は男性が好き、というのが当たり前であり常識とされていた少し前では、LGBTの人は異端、異常、ひどい場合は病気として排除してきました。私が子どもの頃は嘲笑される対象でありバラエティー番組でもそのような扱いでした。ただ思い返すと小中学のクラスメイトにやけに同性にくっついているなという人はいて、もしかしたらLGBTだったのかもしれません。

 

LGBTについて考える出来事があり、それは高校の同級生が痴漢にあったと聞いたときでした。その同級生は男性です。相手は体の大きな男性だったそうです。満員電車で股間を触れて逃げることができなかったと。そのときに男子高校生でも痴漢に遭うという現実に驚きました。そのようなことが本当にあるのかと。

 

これは他人事ではありませんでした。私も大学生の時に痴漢に遭った経験があるのです。

大学の部活が終わり帰宅途中コンビニエンスストアに寄ったときでした。雑誌を買おうかと立ち読みをして決めかねているとき。隣に二人の酔っぱらった大人二人組が来ました。酔って色々と話しているのですが一人がだんだんと私に近づいてきて股間を触ってきたのです。何だこいつと思い、すぐにお店をあとにしましたが非常に不快だった記憶があります。

男だからそういうことは大丈夫、ということではないと身をもって知りました。

 

大学で競技ダンス部に入った私は、海外のトップ選手はゲイが多いという噂をよく耳にしていました。芸術を極めるために女性の表現もできるようになるためそうなるのだと。海外に行ったこともない私は真偽を確かめようがありませんが、複数の方から同様の話をきき、そういう世界もあるのかと思うようになっていました。

芸術家にはゲイが多いらしいということは知識として認識するようになり、あの作家はそうだ、あのアーティストもそうだ、など噂レベルで聞くものや、はっきりと公言する人も出てきて段々とゲイの人が遠い存在ではないように思えてきたのです。

 

時は過ぎて20代後半、私が鍼灸マッサージ専門学校の学生時代。当時リラクゼーション店でバイトをしていたのですが、そのスタッフにゲイの友人が多い方がいました。その方は体を鍛えていて花で作品を創作する人でした。体を鍛える人、花の世界にはゲイが多いのだと。ゲイの方は非常に美意識が高く美しいものならば性別を問わない。ゲイは相手がゲイかすぐにわかるのでストレート(女性が好きな男性のこと)に無理にアプローチをかけることはない。そのように教わりました。

人それぞれだと思うのでゲイと一括りにするのは良くないと思いますが、その話からすると痴漢をしてきた人はゲイではなかったのかという疑問。そしてゲイの方々が身近に感じるというか偏見が薄まったように感じました。

実際にゲイと接している方の話は説得力があり、何事も情報不足が問題だと認識を改めました

 

LGBTは性的マイノリティというワード(あるいはレッテル)で語られます。少数派。主流ではないという表現です。

 

マイノリティという意味では私は幼少期から思春期をマイノリティである自覚がありました。

お母さんは専業主婦であることが当然だった時代に、私の母は小学校教員で父は単身赴任。共働き家庭は珍しく、私達姉弟は保育園に通っていました。放課後は学童クラブに行っていて、夕方ランドセルを背負って姉と帰宅するときには「あいつなんでこんな時間に帰っているの?居残りかな」と笑われました。野球が大人気で男の子は野球をすることが当然と強いられたもので、野球ができない私は年下からもバカにされた小学生でした。

今では私の住む新宿区では専業主婦がマイノリティであり、子どもを保育園に入れるのに一苦労。我が子のクラスの多くが学童クラブに行きます。世間からは、野球などルールも分からないし日本シリーズは地上波で流すな、延長で嵐の番組が録画できなかった、と文句が出るわけです。

かつての主流派は今やマイノリティに入れ替わっています。これから何が大多数になるか分かりません。マイノリティと決めつけることは良くないのかもしれません

 

臨床現場でも私は「決めつける」という行為をしないように注意しています。個人的にこれをすると失敗するという危険行為があって、1位自己顕示欲に負ける、2位決めつける、3位居直る、としています。

「決めつける」行為とは自分の価値観・常識を相手に押し付けて価値基準をこちら側に合わせて相手に強いることです。普通なら、常識的に、男なら、女なら、〇〇すべき。そのような言葉で相手の気持ちを想像通りにして行動を制御する。

 

私は今まで何度も、勝手に相手はこう思っているに違いない、という慢心から一言で傷つけ不快にさせてきました。こちらは良かれと思って言ったのに相手にとっては、何も分かっていない、大きなお世話、侮辱している、と思われてしまったのです。根底にあるのは勝手に相手のことを自分の中の考えで決めつけていたのです。開業して失敗したら誰もカバーしてくれない環境になり、先入観で決めつけないように心掛けています。

 

LGBTに対しても、男性は女性が好きに違いない・女性は男性が好きに違いないという決めつけ、俺は女が好きだからこいつもそうに違いない!・女の幸せは結婚してお嫁さんになることよ!といった価値観を万人に押し付けることが問題であるように思うのです。ひとの生き方や幸せの形はそれぞれです。多様性を認めないことが根本にあるのではないでしょうか。

 

そしてLGBTと4つに区分しているのも決めつけているのではないか?と考えるようになりました

私の母は現在人権擁護委員もしていて最新の人権について教えてもらうことがあります。そのときにXジェンダーという言葉を知りました。LGBTのどれにも当てはまらないものだそう。性的マイノリティはLGBTの4つのどれか、と勝手に分類するのはまた違うのではないかと。実際にXジェンダーかもしれないという方に会ったことがあります。かもしれない、という表現の通り本人も完全に自覚しているわけではないのです。

 

そして最近目にするようになった「LGBTQ+」という言葉。LGBTの語尾に何か付いているぞ?と気になり調べてみました。こちらのサイトに分かりやすい解説がありました。

 

LGBTQ+のQとは?【実はよく知らないクエスチョニング・クィア】

 

LGBTはこれまでと同じです。

 

Qはクエスチョニング、クィア(Queer)という2つの言葉の頭文字だそうです

クエスチョニングとは、自身の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない、もしくは意図的に定めていないことを指すのだと。ですから質問のクエスチョンなのですね。とても納得できました。

クィア(Queer)とは、元々は侮蔑的な表現だったそうなのですが当事者が敢えて使い出した表現だといいます。QはLGBT以外にもラベリングされないセクシャリティを持つ人々がいることを示唆していようです。

 

こちらのサイトではクロスドレッサー(自身の性を表現するにあたり、異性装を行う)やパンセクシュアル(好きになるにあたりそもそも性別を条件としない)、アセクシュアル(他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない)といった初めて目にする用語・概念もあり、セクシャリティは複雑だと思いました。

 

最後につく+は人のセクシャリティは多様で簡単に分類できたり、これだと決めつけたりできるものでもするものでもないという意味だそう。LGBTsと最後に複数形を表すsを付けるのも同様の意味だとか。

 

LGBTだけでなく他にも多様なことがあるということをLGBTQ+という言葉は教えてくれて、そのような概念があることを知りました

対人間関係で成り立つ私の仕事は相手を尊重しよく知ろうとすることが重要です。LGBTQ+ということを学ぶことは当然で、それ以外のことでもしっかりと向き合い偏見で決めつけることなく接する。「ハリトヒト。」の飯塚先生のインタビュー記事を読み改めて気を引き締めました。

 

甲野 功

 

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