開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~京都 平等院~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 平等院
平等院

 

 

昨年は京都に2回行きました。一度目は春に単身。こちらは大学の後輩が主催するダンスパーティーに出席するため。二度目は秋に長女を連れて。長女に京都を見せてあげたい、長女が行ってみたいということからです。そして1年に2回も同じところに行った京都の名所が平等院でした。

 

世界遺産平等院

 

平等院は、平等院そのものよりも平等院鳳凰堂として有名です。10円玉のデザイン。誰もが見たことがあるもの。キャッシュレス化が進んでお金を見たことがないという子どもがでてきたら別ですが、日本に住んでいたら絶対に目にすることでしょう。私も子どもの頃から平等院鳳凰堂として覚えていて、平等院鳳凰堂が一つの単語であり、平等院というお寺の中に鳳凰堂という建物があると認識しておりませんでした。また京都が好きでこれまで何度も観光に来ていますが、平等院のある宇治エリアは京都駅から南に下ったところ。中心地から少し離れています。それまでは大原や貴船など北方面は行ったことがありましたが南は未知のエリアです。伏見稲荷くらいまでしか南下したことがありません。昨年春の京都訪問では満を持して宇治の地に降り立ったのでした。

 

JR宇治駅を降りると抹茶のお店がずらりと並ぶ道が。辻利本店を見かけて、これがあの辻利の本店なのかと感動しました。宇治川が見えるくらいで右に曲がり平等院参道へ。お土産もの屋が立ち並ぶ京都らしい観光エリアでした。道の左右のお店に目移りします。そして平等院に到着です。

 

宇治は源氏物語の宇治十帖の舞台。9世紀末頃、源融の別荘だったものが離宮「宇治院」となり、長徳4年(998年)に藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。永承7年(1052年)に時の関白だった藤原頼通が、父道長より譲り受けた宇治殿を仏寺に改め平等院を開創します。藤原頼通は開山(初代執印)を京都岡崎の平等院の住持となっていた明尊大僧正と、この新たな寺院として「平等院」の名を譲り受けます。そのため従来の岡崎にある平等院は円満院と改名します。平等院創設の翌年天喜元年(1053年)には阿弥陀堂が完成し阿弥陀如来坐像が安置されます。阿弥陀堂がのちの鳳凰堂になります。

釈迦入滅から2000年以降は仏法が廃れるという末法思想というものがあります。永承7年(1052年)は末法思想において末法の元年に当たっており、人々は不安にかられていました。極楽浄土を望み、それを具現化するように阿弥陀堂(鳳凰堂)が建てられたといいます。その姿は同じように現世に極楽浄土を再現しようとしたとされる広島の厳島神社にその姿が似ています。平等院境内において創建当時から残っているのはこの鳳凰堂だけです。

 

治承4年(1180年)以仁王の命で妥当平家を掲げ挙兵した源頼政は宇治で「橋合戦。しかし源頼政は戦に敗れ平等院境内の「扇の芝」で切腹をしています。これが日本史上初の切腹とされています。平等院には源頼政の墓があります。その後も寿永3年(1184年)に「宇治川の戦い」、承久3年(1221年)に「承久の乱」と戦が付近でおきます。南北朝時代になり、建武3年(1336年)に建武の乱足利尊氏楠木正成による合戦に平等院は巻き込まれ鳳凰堂以外はほとんど焼失してしまうのです。室町時代になると園城寺の院家である円満院院主が平等院の住職を兼ねるようになります。その後、平等院は廃れていきます。戦国時代の明応年間(1492年~1501年)になると、浄土宗の栄久は廃平等院を修復するために塔頭「浄土院」を創建。天正10年(1582年)には円満院院主による平等院住職兼務が終了。江戸時代の慶長15年(1610年)に園城寺は平等院を放棄。それ以降は浄土院が平等院を管轄していたのですが、承応3年(1654年)に天台宗寺門派の僧が塔頭「最勝院」を創建し、平等院境内に浄土宗と天台宗の塔頭があるという状況になります。揉めるも、天和元年(1681年)に江戸幕府の裁定により、平等院は浄土宗と天台宗寺門派の共同管理と決まります。現在は天台宗と浄土宗を兼ね特定の宗派に属さない寺院なのです。寛文10年(1670年)に阿弥陀堂の大規模修理が行われこのときから鳳凰堂と呼ばれるようになります。元禄11年(1698年)には宇治大火に見舞われ荒廃が進みます。明治にはいり、1902年(明治35年)~1907年(明治40年)に掛けて鳳凰堂の大規模修理、「明治修理」を実施。その後も昭和、平成の大修理を経て今の姿を鳳凰堂は残しています。

約1000年の歴史がありますが、ずっと隆盛を誇っていたわけではなく、荒廃した時期もありつつ今に残っているわけです。

 

国宝の鳳凰堂、国の史跡名勝である庭園をはじめ素晴らしい景色が平等院にあります。これらの伝統に加えて2001年(平成13年)に平等院ミュージアム鳳翔館が完成。日本芸術院賞を受賞する建築デザインです。歴史と現代が融合しており京都でも指折りの場所です。私が最初に行ったときは藤棚が綺麗で、これだけの規模の藤棚を初めてみました。「鬼滅の刃」から藤棚を見たいと思っていたので期せずして願いが叶いました。この藤棚だけでも見る価値があります。正面からみた鳳凰堂は10円玉のデザインと同じ景色で感動します。その写真を見た長女が自分も見てみたい、写真に納めたいという気持ちで秋の京都旅行になります。乗り物酔いが激しい長女が遠出を決意させる景色です。更に1万円札のデザインである鳳凰象。ミュージアム内で実物を見ることができます。架空の鳥でありながら実在するかのようなリアリティを感じさせる造形は見事です。また鳳凰堂の屋根に設置されている鳳凰象も見事です。

 

この年齢になるまで行ったことがなかったことに恥ずかしいような気持ちにさせられた平等院。数ある京都の名所でも注目していなかったことが情けないというか。実際に足を運ぶと想像していたよりも京都駅から近かったですし。京都の新たな魅力を発見した平等院でした。

 

甲野 功

 

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